彗星に尾が付いた夜①
ヒネがスベラギの塔へ来てから、早くも3か月が経った。季節はすっかり暖かくなり、薄衣に替える者も多く見られるような時季に差しかかっていた。
それは、いつもと変わらぬ朝であった。
カムイクジナの礼儀の間で朝の礼儀会が始まった時刻、天上から吊り下げられた香炉がにわかに揺れはじめた気がして、ヒネが吊香炉を見上げた瞬間のことである。
突然下から突き上げるような揺れを感じ、ヒネは慌てて近くにいたヨヲセの腕を掴む。
「始まりおったか、こんな日に……」
ガルシャが低く唸るようにつぶやく。
ヒネは思わずガルシャの顔をのぞき込んだが、ガルシャは哀しそうな色を瞳に浮かべたまま、それ以上は何も言わなかった。
幸いにも揺れはわずかで、すぐに収まった。そのあとは、何事もなかったように礼儀の会が始まった。
その日、朝の地震など皆がすっかり忘れた夕刻、パムゥの各地で歓喜にも似た歓声が上がった。
ラーヨウが沈んだ空にあらわれる件の星に、ついに「尾」が付いたのだ。
彗星のコマとされる本体の部分は、輪郭のはっきりしない明るい白色を放っている。その白い光を追いかけるように、薄く長く伸びる橙色の光が彗星の尾だ。そして、そのコマの大きさたるや、今や昼間のラーヨウにも劣らぬほど巨大である。
「あれで本当に、この星にぶつからぬというのだろうか……」
食堂の窓越しに彗星を眺めていたヨヲセは、同じく隣で宵の空を見上げるヒネにつぶやくように言った。
「パムゥの3分の1もある大きさというではありませんか。それが、あの程度の大きさで見えるということは、むしろ問題ないのではございませんか?」
「なるほど……」
ヒネの答えにヨヲセも納得する。
「あんたたち……」
背後から声がして、ヒネとヨヲセは同時に振り返る。そこにはガルシャが立っていた。
「ババ様」
「お師匠様」
ヨヲセとヒネがほぼ同時に声を上げる。ガルシャを食堂で見るのは初めてだったからだ。
「食事はこれからなんだろ? あたしも混ぜとくれよ」
ガルシャは軽い口調でそう言うと、二人を先導するように配膳口へと向かう。
「珍しいですね、ババ様。どういった風の吹き回しですか?」
3人が席に着くなり、ヨヲセがガルシャに問う。予期せぬ懇親会に少し楽しそうである。
だがガルシャは、いつものような覇気がなく、どこか寂しそうな様子で静かに笑んだ。
「あんたは本当にバカだねえ」
台詞だけは、いつものままである。だがその言葉にもいつものような勢いがなく、かわりにどこか優しい色を含んでいる。
「今晩は最後の食事だからね、可愛いバカ弟子二人と共に食べたかったのさ」
そう言って、手元の汁ものに箸を潜らせ、一口すする。
「最後の食事って……」
ヨヲセは苦笑しながら、やはり汁ものが入った自分の器を手に取り、かき込むように食べている。
ヒネは、二人の様子を眺めながら自分の小鉢に箸をつけようとして、だがその瞬間、はっとして箸を止める。
ガルシャはちらりと横目でヒネを捉えてニヤリと笑い、そして言った。
「あたしは今夜、魂の泉へ旅立つ」
ヨヲセも器を傾けたまま、ガルシャの方を見て固まった。




