もう一つの人生①
「うわあ、食べるのがもったいないね!」
ジンナは、一瞬脳裏に浮かんだ妄想のようなものを振り払うがごとく頭を振った。
今年の正月も独りだ。
しかしキャバクラ嬢には盆も正月も関係ない。
今しがたでき上がったばかりの飾り巻き寿司をスマートフォンのカメラ機能で撮影する。
これでキャバクラのお客に送るLINEのネタはできた。
あらかじめ作っておいた文章の最初の一文「〇〇さん、あけましておめでとうございます」の、○○の部分だけを各お客の名前に替えて、あとはコピー&ペーストした文章に先ほど撮影した写真を添付し、LINEで送りつける作業を始める。地味で単純な作業だが、200名近いお客様とお客様未満にLINEを送る作業は、終えるまでには1時間以上もかかってしまう。
実に無駄な労働だと毎回辟易している。
客側としても正月早々、こんな営業メールをもらったところで迷惑な話だろうにと、機械的に作業を続けながら他人事のようにジンナは思う。
「もう辞めたい」
お客宛てのLINEを送るたびに毎回ジンナは思う、でも辞められない。
今やキャバクラ嬢は、ジンナが借金を返してまともな生活を送る上で、しなくてはならない「仕事」なのだ。
ふと、金田の顔が脳裏をよぎる。金田はジンナの唯一の太客で、正月明けには恋人になるか断るかの返事をすることになっている。
恋人になることを了承すれば当面のメンツと収入は保証され、断ればうだつの上がらないキャバクラ嬢へ逆戻りする道が待っている。
それでもジンナは断ろうと決めていた。
好きでもないお客と売り上げのために付き合うのは、建前は恋人関係だなんだといったところで、実際には枕営業そのものだ。それだけはしないとキャバクラ嬢になったときから決めていた。
だがその誓いは、ほんの些細な出来事で崩れてしまうことになった。
それは正月明け最初の営業日で、金田と同伴したあとに、付き合うか否かの返事をする約束の日だった。
金田との約束場所に向かう途中で、ジンナはストッキングが伝線していることに気がつき、すぐそばにあったドラッグストアに駆け込む。
入口付近で、ファンデーションの残りが少なかったことを思い出し、それも一緒に買おうと化粧品売り場へ先に向かった。“ファンデーション大特価4,850円”の価格表記が目に入る。「こんなに高かったかしら?」ファンデーションに伸びかけたジンナの手が止まる。
「そうか、値上げをしたのか」とすぐに思い至ったが、やはり手が伸びない。来月の引き落とし残高は大丈夫だろうかと次の瞬間には考えていたのだ。
だがすぐにはっとして、今は時間がないことを思い出す。ファンデーションは一旦お預けにして、ストッキング売り場へと向かった。
ジンナは、並べられた各種ストッキングの前でまず価格表記を眺め、一番安いものから順に品定めを始めた。
夢中で価格を追っている自分にふと気がついて立ち止まる。
なんとなく振り返った先には大きな鏡があり、自分の心許ない姿が映っていた。「私、こんなに老けていたかしら……」自分が認識している己の顔と、実際に鏡に映る自分の顔のギャップにジンナは少し驚く。
なんともいえない虚しさが心を襲った。いったい私は何をしているのだろう……。
化粧品の値上がりなんて以前なら気がつきもしなかった。
ストッキングだって、まずは色を見て次に品質を確かめた。レジに行って初めて、買おうとしたものが想像以上の値段だったと気がついても、まあそのぶん質がいいに違いないと三秒後には値段のことなど忘れていた。
それなのに今は……。
何をこんなに頑張っているのだろう、何をこんなに苦しんでいるのだろう、そう思った。枕営業なんて、どうせみんなやっている。売り上げ上位の嬢なんて、やっていない方がおかしいに違いない。何を無理して貞操を守っているのだろう、もう40歳のオバサンなのに。
ジンナはその日、金田の恋人になった。




