★きょうだい弟子・ヨヲセ②
地下一階はスベラギの塔の玄関口である。それより先は、上へ行くにも下へ行くにも許可証が必要となり、スベラギの塔で寝起きする者でなければ簡単には進めない。だが、地下一階は広く開放されており、さまざまな手続きや相談の窓口が置かれ、一般の者でも気軽に立ち寄ることのできる階だ。
到着した昇降機から降りたヨヲセは、だるそうな足取りで迷うことなく目的の場所を目指す。
地下一階の主要玄関口を入ってすぐの所には総合窓口である詰所があり、その先は扇型に空間が広がっている。扇型の広場となった先には、ほぼ等間隔に5つほどの入り口が並んでおり、その入り口から通路を進むと各種窓口がある。
ヨヲセは総合窓口の後ろを通り、その先の、玄関から向かって一番左奥の通路へと向かった。通路の入り口には「カムイクジナ」と書いてある。
短い通路を進むと左横に扉のない入り口があり、部屋の中では、多くの人が長椅子に腰を掛けて何かを待っている様子がうかがえた。ヨヲセとヒネはそこを通り過ぎ、突き当りにある扉を開けて中に入る。
中では複数の人の話し声が聞こえており、ヨヲセは入り口付近に張られた予定表のようなものを眺めたあと、奥から二番目の仕切りで区切られた席へ向かった。仕切り板に挟まれた席をうかがえば、机を挟んで向かいにいた人が椅子から立ち上がり、丁寧におじぎをして離れるところであった。机の手前側でそれを見送っていた男性がヨヲセを振り返る。
「ようやく交代であるか。いやあ、本日もなかなか手ごわいものばかりであるよ」
と苦々しげに笑って席を立つ。すでにうんざりした様子のヨヲセが「お疲れ様です」と男性に声をかける。男性はヨヲセの肩に手を置いたあと、ヒネに黙礼して去っていった。
ヨヲセは、奥に置いてあった椅子を持ってきてヒネの前に置き、座るように促した。
「ここは神呼や審神者に直接相談できる窓口なんだ。といっても、ほとんど神呼も審神者も関係ないけどね。実際にどんなことをしているのか、後ろから見ててよ」
そう言ってヨヲセは先ほどの男性が座っていた席に座り、机の右横にある赤い釦を押下した。
すると、年増の女性がしなを作るように机の向かいまでやって来て、椅子に腰を掛けるか掛けないかといったうちに喋りだした。
「聞いてくださいませ、審神者さま!」
「いえ、私は神呼の方です」
と、一応返したヨヲセの声などまったく耳に入っていない様子の女性は、そのままの勢いで続ける。
「わたくしはね、さように気に入らないのであれば、ご自身で“もいで”くださいませって申し上げたんですよ。そしたらどうです、そなたが言うからここに留まっておるだけで、私はべつに頓着ない、どこへなりと行こうぞって、こう来たではありませんか! もう悔しくて悔しくて、20年ですよ? ええ、たしか20年です。あら? 21年でしたか……まあいいですよ。そんなにも長く一緒にいて今更出ていこうなどと、どう思われますか、え? 審神者さま!!」
女性はいったい何の話をしているのだろうかと、ヒネは、その勢いに圧倒されながらも疑問に思う。それはヨヲセも同じだったようで
「ええと。まずは、ですね、述語にかかる主語を用いて、ことの経緯からお聞かせ願えますか? “もいで”……というのは、果実か何かでございますか?」
「さようでございます、花のあれですよ、花弁のことでございます。うちは香料づくりを生業としておりますゆえ。だからもう……詮ない人なのでございますよ、ほかにも同居している者たちがたくさんおりますのに、大きな声で怒鳴るものですから」
と、女性はなおも自分の世界で話を続ける。ヒネはどこが「さようでございます」なのだろうと、不思議に眺める。果実かと問うたヨヲセに「そうだ花弁のことだ」と答える女性、まったく話がかみあっていない。
するとヨヲセは
「あ~。その方は、けだし、あなた様の恋人であられますか」
と、思い至ったように言った。
「おやめください、もう、恋人だなんて、認めるのも腹立たしい。ただの同居人くらいにしか思っておりませんよ、今は」
女性が不貞腐れたように言うと、ヨヲセは
「男ってのは勝手ですからね~、いやあ……こんなお美しい女性を怒鳴るなど信じられませんなあ」
と、ずいぶん無責任なことを言いはじめた。
「まあおよしくださいませ、美しいだなんて」
そう言って女性が頬を赤らめる。だが次にすっと真顔になり、ヨヲセに顔を近づけて問う。
「審神者様のご神力で見えませぬか? あの者、ほかに女がおるのではないでしょうか……」
ああ、なるほど……とヒネは思った。それがこの女性の本題なのだ。いろいろと不可解な不満を並べてはいるが、実のところ恋人が昔のように自分へ愛情を注いでくれていないと感じており、ほかに女性の影がないかを聞きに来たのだと悟る。
「いやあ、私には見えませんねえ。おそらく虫の居所が悪かったのでございましょう。今夜あたりどうです? 美味しい酒でも用意して、ですよ。昔に戻ったつもりで、妙齢な女性よろしく、ひとつ可愛らしく甘えてみるなんてのはいかがですか」
などと、すこぶる適当なことを言ってヨヲセが返す。女性は「まあ」と頬を赤らめ、
「審神者様がそうおっしゃるなら……」
そう言って嬉しそうに席を立つと、にこにことお辞儀をして帰っていった。ヨヲセは最後に
「私は審神者ではなく神呼にございまーす」
と言ったが、やはり女性の耳には届いていないようであった。
女性が立ち去ると、ヨヲセは「楽勝だぜ」とでも言いたげなしたり顔で振り返り、後ろから呆れた顔で聞いていたヒネに、にっと笑って見せる。日に焼けた肌のせいで、やけに歯が白く浮いて見える。
「おられますよ?」
ヒネは冷ややかな声でヨヲセに言った。




