幼なじみで初恋の人⑤
「妊娠したらしい」
「ええ!?」
ジンナは目を丸くした。妊活は諦めていたものとばかり思っていたが、治療が功を奏したのだろう。ジンナは驚きながらも
「それはおめでとう!」
と二度目のお祝いを口にした。今や心に屈託のようなものはない、幼なじみとして純粋に司の幸せが嬉しいと思えた。
「いや、僕の子じゃないけどね。妻とは離婚したんだ」
司は苦笑しながらも、声音は明るいままでそう答える。驚いたジンナは、声を失った。
「結局妻は……いや、元妻か。あのあともやっぱり不倫を続けてたみたいなんだ。それで、僕と離婚した半年後には再婚したんだけど、なぜか再婚した相手は不倫相手とは別の人でさ。風の便りで、結婚して間もなく妊娠したって聞いた。人生って面白いよね、ほんと何が起こるかわからない」
そう言って司は苦笑する。ジンナはやはり声が出ず、司を見つめたままだ。
「あ、そっか、いけない! 好きなもの、頼んで?」
司はドリンクを注文するようジンナに促したが、司の心を慮れば、ジンナはそれどころではなかった。
「司くんは……大丈夫なの?」
ようやく発せられたジンナの言葉に、司はきょとんとした表情をする。
「ああ、うん。もう全然」
ようやく自分を気遣ってくれているのだと気がついた司は、そう言ってまた笑顔になる。
「離婚を切り出したのは僕の方なんだ。しかもそのときはまだ、元奥さんが不倫を続けてたなんて知らなかったし」
ジンナはどういうことかわからず、司に目で続きを促す。
「あの日、仁奈ちゃんに言われて気がついたんだ。「奥さんのこと愛してるんでしょ」って……。あのとき、ドキッてした。それで「ああ、僕はもう、本当はとっくに妻のことなんて愛してなかったんだ」って気がついた」
司はわずかに目を伏せる。
「昔は大好きだったんだ、愛してた。でもいつのころからか、ただ『家庭』っていう概念に縛られていただけだって気がついたんだ。それは見栄だったのかもしれない、いや意地かな。家庭をもったからにはそれを守って、妻をめとったからにはその人を愛さなきゃいけないって、そんな自分の中の『当たり前』に縛られていた気がする。本当はただ、人から幸せそうだと思われたくて、あるいは惨めだなって蔑まれるのが怖かったのかもしれない。今は……今となってはそう思うよ」
司は自嘲気味に笑った。ジンナは、目の奥が熱くなる感覚がして「わかる、同じだ」と思った。
手放したくないと強く握るほどに、指の隙間からこぼれ落ちていくのが幸せなのかもしれないと考える。
少しだけ鼻をすすり、ジンナは空気を換えようと司に声をかけた。
「新しい事務所は? どの辺りに構えたの?」
司も目を上げ、少しだけ微笑んで答える。
「実家の近くだよ。ほら、昔よく一緒に遊んだ公園、覚えてる? あの、ちょうど裏辺り」
「ああ」
ジンナはすぐに思い至る。春になれば毎年桜が綺麗に咲く公園だ、遊具の位置まで詳細に思い出せる。
「春には桜が綺麗な公園よね、懐かしいわ」
ジンナが言うと、司もうなずく。
「うん、事務所からその桜もよく見えるよ」
ふと、ジンナは自分用のドリンクをまだ頼んでいなかったと思い至る。いつものようにワインをオーダーしようかと考えたときだった。
「今年も桜、もうすぐ咲くよ? よければ一緒にお花見しない?」
司の言葉にジンナは振り返り、司の目を見た。司の瞳がやけに綺麗に見えて、ジンナの胸はきゅっと苦しくなる。
「夏には屋上から花火も見られるよ。誰にも邪魔されない特等席!」
そう続けた司は、眩しい笑顔で微笑む。
「じゃあ……」
ジンナはさっきから落ち着かない胸の辺りに手をやって、潤む瞳を笑顔で隠すように答えた。
「お弁当を作って伺おうかしら」
ようやく荷解きの目途が立ったジンナは、籠った空気を逃がそうと窓を開ける。
ギラギラとした日差しとともに、むせかえるような熱気が窓から入ってきて、やむなくジンナは早々に窓を閉める。「早く寝室のエアコンが来ないかしら」そう思って、寝室の方に目をやった。今年も例年と同じく連日猛暑の予報だ、どこの業者も大忙しで、注文したエアコンが届くのはまだ先になるとのことだった。




