俺の女になれ③
あの日は、金田の申し出を断ることしか考えていなかった。しかし断るにしても、できるなら金田には一度でも多く店に来てもらいたい、そのためにはどうすべきか……ジンナはそればかり考えていた。
だが寂しい年越しを迎え、年が明けた今は迷いが生じている。
キュウリを丸ごと1本巻いた細巻きを作り、桜でんぶを敷き詰めた酢飯でさらに巻く。そうしてできあがった中太巻きを縦方向に4等分していく。
金田が毎月使ってくれるお金は、ジンナの成績、つまり売り上げの半分と等しい。仮に金田を失うとなれば売り上げは半減するわけだが、それは単純にジンナの収入も半分になるということではない。
ジンナはあくまで時給で雇われているキャバクラ嬢だ。そして時給額は月の売り上げによってあとから決まる。つまり売り上げが、よければ時給額は高く、悪ければ低くなる仕組みだ。
今の時給単価は金田あってこそのものであり、売り上げが下がれば必然的に時給単価も下がるため、収入は激減することになるだろう。売り上げのうち何パーセントが自分の懐に入る、といった単純な仕組みではないのだ。
そして、ざっと計算しただけでも、金田を失えば今の収入の3分の1以下くらいしか稼げない見込みである。
「はぁ……」
ジンナは、もう何度目になるかわからないため息をつく。ふと、いったい自分は何をそれほどまでにこだわっているのだろうと、そんな気持ちになる。別に彼女になってしまえばいいではないか。どのみち結婚はできないのだから、彼女ということにしておいて、今までどおり別のお客たちには「彼氏がいない」と言って接客をすればいいだけの話だ。そう思うとなんだか少し肩の力が抜ける思いがした。
大きく広げたのりの上に、先ほど4等分にした中太巻きの元の中心部、扇型になったキュウリが四隅にくるように置く。円柱状に切った厚焼き玉子が全体の中心になるよう、中太巻きに囲まれるかたちで配置したら、すべてをまとめて巻いていく。
完成である、見事な正方形の太巻き寿司ができた。
仕上がりを見たくて、その場で包丁を入れる。切り口は見事な幾何学模様だ。等分に切り分けて並べてみると、まるで洒落たタイルのようで、いかにも写真映えしそうだ。ジンナは相好を崩した。
その、瞬間だった――
「うわあ、食べるのがもったいないね!」
たった一瞬の残像……。本当にたった一瞬ではあったが、誰か懐かしい男性の笑顔が脳裏をよぎったような気がした。
いや、懐かしいとは違う。これは、この感覚はなんだろう……。
――未来の記憶
ふいにそんな言葉が浮かぶ。
「ああ、そうか……」
そのときジンナは気がついた。これはきっと、私が心から望んでいる本来の光景なのだと。
そうだ、なぜ私はこんなにも結婚がしたいのか……。かつてそれは見栄のためだった。それがいつしか意地となって、今や孤独と貧困の恐怖から逃れたいためでもある。
でも違う、違うのだ。本当はただ、美味しいものを美味しいと共に味わえる相手が欲しいだけだ。共に寒さを感じ、泣きあって、励ましあって、笑って……そんな些細な日常を共有できる相手が欲しい。それだけ、たったそれだけのことなのだ。
なんともいえないような温かさと、冷え冷えとした孤独が同時に胸に広がった気がして、気がつけばジンナの目から涙が一粒こぼれた。「何をそれほどまでにこだわっているのだろう」本当にその通りだ。だけど、その「こだわり」は、決して手放してはいけない、手放したくないもののように感じた。
年明け最初の営業日、ジンナは金田に、やはり付き合えないと断った。金田は宣言どおり、二度とジンナの店を訪れることはなかった。ジンナの収入は激減したが、しかしジンナはどこか晴れ晴れとした気持ちでいた。
「これでいい。また一からお客さんを作っていこう」
そう心に決めて、またキャバクラ嬢として振りだしに戻ったのだった。
そんなことがあった2か月後のことだ。ベスト5どころか、すっかり戦力外となったジンナは、ヘルプとして席につくことが多くなっていた。
その夜は、店のナンバー2であるキャストの客で弁護士の偉い先生が、団体を引き連れて来店するとあって、店内は活気づいていた。
「今日はね、みんな“のんべえ”ばかりだから。いつものボトルを追加で2本、先に入れておいてくれるかな?」
そう言いながら入店してきた弁護士先生のあとを、これまた弁護士バッチを付けた男性たちがゾロゾロと入店してきた。待機席の女性は全員呼ばれ、各人へ紹介され席へつけられていく。
ジンナが席についたのは同じ年頃のやはり弁護士の男性だった。




