俺の女になれ①
ご飯が炊き上がったことを知らせる炊飯器の軽快なメロディーが部屋中に響く。
「はぁ……」
ジンナは大きなため息をつき、なんとかこたつから這い出して立ち上がる。こたつというものは、こうも人を立ち上がらせなくするものなのか……。こたつを手に入れてからというもの、立ち上がるのが億劫になり、それどころかこたつの奥まですっぽりと体を滑り込ませウトウトしてしまうこともしばしば、といった有様だ。
こたつから這い出たジンナが向かった先は台所だった。1Kの室内はこたつ以外の暖房はついていないのだが、それにしても台所は一段と寒い。前に住んでいた2LDKのマンションは各部屋に冷暖房が完備され、電気代など気にしたこともなかったため、都内の冬の室内がこんなにも冷えるものとは知らなかった。
ジンナは身震いを一つして、カーディガンの襟元をぎゅっと内側に引っ張ったあと、冷蔵庫からキュウリを一本取り出した。かじかむ手でキュウリを雑に洗い、両端を切り落とす。炊き上がったばかりのご飯を軽くほぐしてからボウルにとり、そこにすし酢を回しかけると、片手にうちわ、片手にしゃもじを持って交互に動かしながら酢飯を作る。
本当は、おせち料理に挑戦するつもりでいた。だが、年末にかけて通常の倍近くも値上がりする食材の購入費と、調理の手間を考えたら気持ちが萎えてしまった。かわりにインターネットで見かけた“飾り巻き寿司”を作ることにしたのである。
愛する人のためでも、ささやかな正月を独りで楽しむためでもない。キャバクラのお客に送るメールの“ネタ”にするためだ。「次はないかもしれないと思っていても、メールアドレスやLINEを交換したお客様には、必ず毎週連絡すること!」これはベテランの人気キャバクラ嬢から教えてもらった秘訣だ。
どれだけ連絡しても既読無視をするお客が八割、律儀に返してくれるお客は一割未満、残りの一割強は未読無視かブロックされるのが通例だ。だが1年もキャバクラ嬢をしていると、それなりに効果はあると実感した。返信はもちろん、既読すら付かないのが当たり前のお客が、たまにふらっと来店したかと思うと指名してくれたりする。「いつもメールをもらって悪いなって思っていたんだ、たまにはね」といった具合だ。
だからメールもLINEも止められなくなった。とうに200人は越すであろうお客様とお客様未満を相手に、毎週1回から2回、メールかLINEを送っている。
常連ならともかく、一度場内指名をもらっただけのお客など共通の話題があるわけもない。また、一人ひとり文面を変えるのは気の遠くなる作業だ、到底不可能である。だからこうして、個人的なイベントや話題を作っては写真を添え、お客の名前の部分だけ変えてメールマガジンさながらに送りつけているのである。
「はあ……」
ジンナはもう一度大きなため息をついた。
巻き寿司の中心となる厚焼き玉子を作るため、卵焼き用のフライパンに卵液を流し込んだところだった。本当は、色鮮やかなマグロかサーモンでも使いたいところだが、お客に送る写真のためだけにそんな贅沢はできない。
正月明け、ジンナには憂鬱な案件が一つあった。それを思うと気が滅入り、ため息ばかりが出てくる。
キャバクラ嬢として働きはじめて1年ほど経ち、ジンナにも“太客”と呼べるお客が一人できた。3か月ほど前にふらりと来店した客で、50代で独身の金田という会社経営者だ。たまたま席についたジンナをひと目で気に入り、以降は足繁く通ってくれるようになった。明るい茶色に染めた髪とゴルフ焼けした肌が特徴の熟年男性である。
金田は、来店すれば一晩で最低10万円は使ってくれる。誕生日や何かイベントとなれば、会計が100万円近くなることもあった。最低でも1週間に一度は通ってくれる彼のおかげで、ジンナの給料は一気に跳ね上がり、店の中でも常にベスト5には入るようになった。半期(半月)で見るなら、ナンバー1になれたことすらある。金田は今やジンナの命綱とも呼べる存在だ。
そして、そんな“太客”金田から話を切り出されたのは、去年のクリスマスだった。
「なあジンナ、お前、俺の彼女になれ」
「え?」
突然の金田の申し出にジンナは戸惑った。またいつもの冗談だろうか。
「もう、金田さんったら冗談ばっかり」
「冗談じゃない、本気だ」
金田が真剣な目でジンナの揺れる瞳を見つめた。ジンナの心臓が一度だけ大きく鼓動する。




