社会貢献が意欲の源となる社会
「社会的獲得点数」とは、社会にどれだけ貢献したかを可視化するもので、その貢献度に応じて下された評価が、そのまま得点となって各人に付与される。
パムゥの人々は、生まれて間もないころに、電子機器の小片をこめかみ付近に埋め込む者がほとんどである。もちろん強制ではないが、主に養育者の判断によって入れられることになる。なぜならこれは、パムゥでの生活全般において、無くてはならない道具となっているからである。この電子機器は、食料・生活用品・そのほかの「受給権」を収受・管理するための媒体で、ほかにも他者との通信や、さまざまな情報を得るための手段となっている。また「社会的獲得点数」を取得・管理するのも、この電子機器である。
社会的獲得点数の評価対象となる場面はさまざまあり、主なものは次の二つといえるだろう。一つ目は、労働力や食料・物資といったスベラギが募る「供給」にこたえるときに付与されるものだ。これは募集の段階から、得点数の見積もりが提示されるため、要求にこたえる限り確実に得られる得点数となる。二つ目は、周囲の人々から送られる評価によって、その内容と真偽などを人工知能で精査して付与される。人々は互いに何かをしたり、してもらったりといったとき、お礼のかわりにこめかみに埋め込まれた電子機器を通してスベラギへ評価を送ることができる。これについては、否定的な評価、社会的秩序を乱す者を通報するといった目的として利用することもできるが、よほどのことがなければパムゥの人々は否定的な目的で使うことはほとんどない。
では、この社会的獲得点数を獲得する利点・恩恵は何であるかというと、実際にはほとんど何もない。強いてあげるなら、各選挙に出馬する際、必要最低限の得点数を有していなければならないという規定に適うためのものであるほか、何かの審査・選考の際に考慮される要素となるくらいである。各人の得点数は、成人になるまでは本人と養育者のみ、成人後は本人のみが知ることができる。そして鬼籍に入ったのちには、その合計得点が全体に公開され、誰でも閲覧可能とされる。遺された者たちは、故人の生きた証として「社会的獲得点数」の軌跡をたどりながら、その人生を讃えるのが習わしとなっている。
そのため、他人からの評価にまったく無関心で、自分の得点数が現在どれくらいかなど気にもしていない、といった者も少なくない。しかし、他者へ貢献して喜ばれることが人生の意義だと考えるパムゥ人は多く、そういった人々からすれば社会的獲得点数は生きる指針となり、意欲の源にもなりうるのだ。
しかしヒネは、この「社会的獲得点数」の制度・仕組みが嫌いだった。
通貨制度や金銭の概念がある社会に比べれば、パムゥではおそらく誰もが平等で、ある意味では豊かに暮らせているのだろう。しかし、そのせいで 「人からの評価」がすべてになってしまうおそれがある。つまり、社会的獲得点数が低いということは、ほとんど何ももっていないに等しいといえるのではないだろうか。
たとえば金銭がある社会では、人としての評価は低くとも、金銭さえ多くもっていれば一定の社会的評価は得られる。誰に関心を持たずとも、あるいは持たれずとも、与えられた仕事をこなし、その対価として金銭を得てさえいれば独りでひっそり生きていくことも可能だ。成人してもなお自分の共同体家族に馴染めずにいたせいか、そういった社会の方がヒネにとっては快適なもののように思えてならなかった。
社会に対する貢献度を可視化するのは、生きるうえでの励みになるかもしれないが、一方で人の目や評価を常に気にすることにもなりかねない。独りでは生きにくい環境をあえて作ることで、社会からとり残される者を少なくする方がよいのか、独りでも生きていける環境を作ることで、自由を得られるかわりに孤独を生み出す社会をよしとするのかは、意見が分かれるところであろう。




