カダ25歳ーあの日、自分はー
カダが宇宙船から戻ったのは、やはり一瞬のことだった。瞬きする間もなく、気が付けばガルシャと住む家の前に立っていた。
すでに辺りに人の気配はなく、虫の音が響いているだけだった。空を見上げてみても特に変わった様子はなく、いつも通りの静かな夜である。先ほどまでの出来事はすべて夢であったかのような、どこか現実味のない記憶として残っていたが、腕の中に抱えられた銀色の箱だけが、一連の出来事が夢でなかったことを証明している。
カダは、大きくため息をついたあと、家の中にそっと入ると、なんとなく隠すように脚付きの寝床の下に箱を隠した。
ガルシャが眠る奥の部屋から灯りは見えない。どうやら先に寝ているようだとわかると、なぜかカダは安堵した。
先ほど隠したばかりの箱を寝床の下から引き出して、中で整然と並んだ筒から一本だけ取り出してみた。筒の中で怪しく揺れる緑色の液体を、しばらく凝視していたカダは、やがて覚悟を決めたように筒を握り直し、片側の先にある突起に親指をかけた。
迷いがないわけではなかった。しかし、先延ばしにするほど躊躇し、やがて恐怖が生まれるかもしれない。どうせ自分のことだ、約束したからには守らない選択などありえないだろう。ならば、早い方がいいと思った。反対の手を勢いよく上げ、ゆったりとした衣の袖をたくし上げるように肩に寄せてから、指をかけた反対側から突き出る無数の針を、思い切って腕に当てた。
筒を握った手の親指に力を入れて、突起物を押し込むと、とたんに筒の先から針が伸びて腕に激痛が走る。「痛い」というより「熱い」に近い感覚であった。先ほどまでドロドロとして見えた液体は、筒の中で数回波を打つように大きく揺れたかと思うと、あっという間に腕の中へと消えていった。
直後、針を刺したときとも、実際に液体を注入したときとも違う痛みが全身を走る。それはまるで、体の隅々まで広がった血管の中を、熱くてトゲトゲした何かが駆け回るかのような、耐え難い感覚だった。
初めて筒の中の液体を注入してから10日間、高熱に浮かされ続けたカダは、全身の倦怠感で起きあがることすらかなわず、床に臥せることを余儀なくされた。
そして、カダの身体はその夜を境に、歳をとることを止めたのだった。
――あの日、自分は人でなくなったのだ
今でもカダはそう思っている。己の老いを嘆き、「かつてのように頭も体も働かなくなった」などと言って、嘆く者に出会った機会は数知れない。だが、カダは年齢を重ねること、老いること、そして死が迎えに来ることの素晴らしさを知っている。人は限られた時間の中を生きるからこそ尊いのだ。いつまでも続く命などないから、誰かを愛したいと強く思えるのだ。
永遠に終わらない時間を生きることは、永遠に逃れることのできない孤独と伴侶になるようなものだと思う。
シュガから依頼された頼みも、薬も、断ることはできた。しかし、そうしなかったのは、責任感からでも好奇心のせいでもない。
――孤独だったからだ
カダが断れば、他の誰かがその職務を担うことになるだろう。他の誰かに、その「孤独」を押し付けるのは忍びなかった。なぜならカダは、誰よりも孤独を知っていたから。
これ以上、誰かに傷ついてほしくなかった、傷つけたくなかった。
どのみち、カダは孤独だったのだ、物心がついた時からずっと。ならば、さらに孤独が増えたとて、たいして変わらないことのように思えた。
そして、カダはその日以来、心に鉄壁の隔たりを設けた。誰一人としてカダの心を読むことを許さず、また己には、誰が相手であっても心を開くことを禁じた。
すでに、このころには意識を制御する術を身につけ、他人に心を読まれにくくなっていたカダであったが、すぐそばにいたガルシャでさえ、この日を境にカダの心を一切読めなくなったのである。




