結びの祈り
それから幾日と経たず、その日は来た。
貯水庫が、スベラギの塔の20階にあるおかげで、かろうじて水を飲むことができたため、日に何度か水を飲んでヒネは飢えをしのいだ。一日の大半を寝床で過ごしていたせいか、日にちの感覚があまりない。一日と経っていないようにも感じるし、数週間が経ってしまったようにも感じる。
目が覚めたのは夜半過ぎであった。そしてこのとき、ヒネは確信にも似た予感がした。
――今日が最期だ。
今日でスベラギの塔は水底へと完全に沈む。そして、それはすなわち、己の人生最期の日であることを意味していた。
塔に残った仲間を失った日から、スベラギの塔は一日に何度となく揺れ、そのたびに少しずつ沈み込んでいるように感じる。
もともと、スベラギの塔は丈夫につくられていない。日々、高所左官職人の手によって行われる、補強および補修作業によって、その耐久性が随時保たれてきた。左官作業が無くなった今は、刻一刻と自然へ戻りつつある。ヨヲセがいつか聞かせてくれた話では、水、特に塩水にあたると、その朽ちる速度は急速に早まるらしい。
ふいに部屋の扉が優しく叩かれる。
「ヒネ、起きられそうであるか?」
カダの声である。
「ただいま参ります」
ヒネは暗がりの中、電灯をつけて支度を始めた。支度といっても、寝巻から着替えるだけのことだ。ヒネは着替えながら、こめかみの電子機器を確認する。やはりカダへ送った電子書簡は未開封のままである。ヒネはあきらめにも似た気持ちで、重い足を引きずるように扉へと向かった。
カダとヒネが向かったのは、カムイクジナの詰所奥にある通信室である。
カダは、ミナナミが沈んだ日に押し込んだ「緊急」の赤い釦に指を置いた。「緊急」のあとは「陸全人」も押し込む。この二つを押せば、頭部に埋め込まれた電子機器を通して、相手の状況にかかわらず、すべての人に強制的に音声通信が送られる。とはいっても、それは大陸内にいる者に対してのことである。大陸外にいる者に関しては、各送電塔の近くであれば通信を拾えるが、塔から離れた場所となると簡単には拾えない。つまり、これからする通信は必然的に、各塔へ派遣されている者へ向けての通信となるだろう。
それでもヒネは、各塔のみならず、できるだけ多くの人に届くようにと密かに祈った。
カダは一つ息を吸って吐いたあと、話しはじめた。
「我はカダと申し候、カムイクジナのミコトなり」
カダの声は静かに、しかし、すっかり痩せ衰えた姿など想像もできないほど、明瞭に通る声で呼びかけた。
「これまで耐えて生き残りし皆々様には、まことに難儀とありて拝察いたす。
本日、この時をもちてパムゥの送電塔は、その役目を終わりたてまつることとなりぬ。
装置回収にあたられし殿ばらにおかれましては、まことに痛み入りて候」
そこまで言って、カダは言葉を一度切る。喉ぼとけが大きく動くのが見えた。
「この先、いくつもの困難がございましょう、生きる意味を失う日もあるやもしれず。
さりとて、多くの犠牲になりし御霊が託せし希望が唯一あるなら、それはそなたらであると言えましょう。
多くの失われし同胞の想いが報われますよう、またいつの日か、我々が子孫らの再会せしときを心より願い、それまで皆様の幸いと祝福を心からお祈りたてまつる。
この挨拶をもちて作業初めのしるしとし、これにて結びといたす」
結びの言葉を合図として、カダは、各送電塔の起動装置が並ぶ前まで移動する。そして第7塔から順に、起動装置を閉じていった。
最後に残った第1塔であるスベラギの塔の電源に、カダが手をかけたときだった。ヒネは、最後にもう一度だけ、カダへ送った電子書簡を確認する。すぐに電源は落とされ、二度と通信を確認することはできなくなった。
しかし、ヒネは確かに確認したのだ、電子書簡が「既読」となっていたことを。




