カダの元恋人
「そなたはっ、自分が何をしたかわかっておるのか!」
ようやくヒネの意識が戻ったとき、カダは寝床の脇に置いた椅子に腰を掛け、ひどく怒っていた。カダ様でも、こんなに怒ることがあるのだな……と、ヒネはまだはっきりしない頭で、ぼんやり考える。
「あ、カダ様……わたくし、策謀の主がわかったのでございます」
まだ、よく廻らない舌でぼんやりカダにそう言うと、ヒネは自分の頭部に入っている電子機器で、先ほどの記録を送ろうとして気がつく。
――すでに送っていた。
意識が途切れる直前に、万に一つでも、これが最期であってはいけないと、ほぼ無意識の状態で送信したらしい。だが、記録をのせた通知は今も未開封のようである。
「そんなことはどうでもよい! いや、よくもないが……ともかく、そなたは非常に危険な真似をしたのだ。それを、わかっているのかと聞いておるのだ!」
カダはなおも怒り心頭である。
意識で魂の泉をたどるとき、あるいは宇宙船に行ったときのような、「意識だけでどこかへ行く」際、意識と肉体が途切れてしまうのは非常に危険である。最悪の場合、二度と戻ってこられなくなり、肉体がこん睡状態に陥るか、命を落としてしまいかねないのだ。
「ひょっとしてカダ様が助けてくださったのですか?」
ヒネがそう言うと、カダは気色ばんで顔を背ける。
「たまたま食事時だったのだ。そなたを呼んでも反応がないと聞いたので、様子を見に来てみれば……いったい何を考えているのだ、まったく」
ふと、机の方を見やれば、茶碗に半分ほど入った薄い粥が置いてある。時刻はすでに昼をまわり、間もなく夕刻にさしかかろうかとしていた。
「食事を残しておいてくださったのですね、ありがとうございます」
ヒネが嬉しそうに言うと、カダは虚を衝かれたようにうろたえる。
「んな……そ、は……腹も減っておるであろう。少ないが、しっかり食べておきなさい」
「はい、あとでしっかりいただきます」
「粥であるぞ? すぐに固まって食べにくくなる。今すぐ食べよ」
無茶を言うな、と、ヒネは不満に思う。
「そうは言っても、今は起きあがるのもままならないのでございます。食事も喉を通るかどうか……」
そう言って、のろのろと藻掻くようにして、ようやくヒネは寝床の上で上半身を起こす。
「な、ならば私が食べさせてやろうぞ」
そう言って、カダが茶碗と匙を手に取る。ヒネは目を丸くした。見れば、カダの手がわずかに震えている。
ヒネは噴き出してしまった。ただでさえ体力を消耗しているというのに、そのうえ笑わせないでほしいと思う。
「大丈夫です。カダ様は、そういったことは不慣れであるようにお見受けいたしますゆえ」
ヒネが苦笑まじりに、茶碗と匙を受け取ると、カダは不機嫌そうに言った。
「そんなことはない、恋人がいたときは、かいがいしく世話をしたものだ」
ヒネは、粥に匙をくぐらせた状態のまま、カダを見やる。カダは狼狽したように続けた。
「だらしない女人であったのだ。無理をして体調を崩すこともよくあった」
「さようでございますか」
ヒネはそっと微笑み、匙をひと掬いし、口へ運ぶ。
「カダ様の元恋人という方にお会いしてみとうございます。ひょっとして今、塔に残っている方の中に、おいでですか?」
今、塔に残っているのは、カダとヒネを除いて六人だけだ。その中で女性は二人。いずれも中年と老年の女性で、そんなはずはないとわかっているのに、ヒネはあえて問うた。
「もうおらぬ……」
案の定、カダは静かに言って、椅子から立ち上がる。
「しっかり食べておくのだぞ。いや、しっかりというほどもないか……。せめてゆっくり休みなさい」
そう言って、カダは部屋を出ていった。
ヒネは、胸がひどく苦しくなって、ふたくち目の粥を啜る気になれずにいた。
なぜあんなことを聞いてしまったのだろう、助けてもらったお礼もまだ言っていない。
ヒネは、自分にはもう関係無いことだという気持ちがあるのに、なぜだか嫉妬にも似た後悔を覚えた。
手に取ったときから既に温度を感じなかった茶椀を片手に、窓の外で降りしきる雨を独り眺めて、やはりヒネは、ふたくち目の粥をいつまでも啜る気になれずにいた。




