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愚かで美しい争い

 スベラギの塔から船着場までの道は、想像以上に歩きにくい悪路であった。そして、ようやくカダたちと船着場まで着いてみれば、降りしきる雨の中で老若男女が入り乱れ、押しあい・へしあいの大騒ぎをしている。

 無理もないことだ。皆、助かりたい気持ちは同じであろう。すでに出たと思っていた最終便が、まだ一隻残っていたのだから、争いになるのは必然である。

「いったい何事だ?」

 近くで右往左往していた審神者見習いの若い男性にカダが声をかけると、男性は目を丸くして言った。

「カダ様!……が、なぜここに!?」

 しかしカダは、男性の質問には答えず続ける。

「この船は、スベラギの職務に最後まで従事してくれた者たちのための船だ。いったい何を争う必要がある」

 しかし、男性は眉を下げるように、困った様子で答えた。

「それが、その乗船権を持っている者たちの中で、他に譲りたいと言いだす者が出たのでございます」

 ヒネもカダも、瞬時に理解が及ばず言葉に詰まった。しかし、一拍置いたのちカダが口を開いた。

「どういう意味だ。なぜ譲りたいなどと申す」

 審神者見習いの男性が、説明しようと口を開きかけた時だった。

「私たちは、もとより助かることを放棄した身です。皆のために尽くしてくださった方々に、せめてもの感謝のつもりで世話をしたまででございます。どうか、我々のことは捨て置きくださいませ」

 懇願するような声を上げたのは、降りしきる雨に髪を振り乱した女性だ。

 すると、近くにいた若い男性が声を張る。

「我々は、スベラギの塔に入属した時点で、パムゥの人々に仕えるという覚悟を決めているのだ。自分たちだけ助かるわけにはいかないのだ」

 ヒネは、思わずカダを振り仰ぐ。混乱した表情のカダも、ヒネを見た。

 先ほどの審神者見習の男性が、歩幅を少し詰めて、カダに耳打ちするように言った。

「あの者らは早々に乗船券を諦めたらしいのです。年老いているから、病の者を抱えているから、といった理由の者たちはわかりやすいのですが……その、なんと説明すればいいか」

 審神者見習の声に被せるように、近くの老婆が言った。

「わたくしどもは、おのれが助かったところで、亡くなった者を思うと、この先死ぬまで罪悪感にさいなまれることになります。そうなれば生き延びたとて地獄なのです」

 カダの口は、呆けたように開いていた。ヒネも唖然とする。

「あのように理解しがたい理由の者もおります」

 言いにくそうに審神者見習は続けた。

「あの者らは、いわば真っ先に死を受け入れた者たちです。しかし彼らは、ならばせめて最後まで人々の役に立ちたいと申し出たようで、造船をはじめ、さまざまな職務にあたる者たちの食事面や生活面を影で支えていたのだそうです。その真心に心を打たれた“スベラギの組織人たち”は、ぜひ彼らに乗船権を譲りたいと言いだした次第でして」


挿絵(By みてみん)


「なんと愚かな……」

 カダがようやく口にした言葉はそれだった。しかし次に、どうしたものかと思案しだす。

 ヒネとてスベラギの職人たちの気持ちが、わからないわけではない。

 だが、今や身体はどんどん重くなるばかりで空気も薄くなってきている。これより先は、さらに過酷な未来が待っているだろう。もし今、パムゥの血を少しでも多く残したいなら、優先すべきは少しでも体力のある若い男女なのだ。

 だが体力に自信のある職人たちは、体力があるからこそ老人や女子どもに譲ろうとしているのだ。

 時はそう長くも待ってくれない、だけど――。

 ヒネは自分の目尻が下がるのを自覚した。そして気がつけば、カダの雨具のすそをそっと引いていた。

 どうやって説得すべきかとあごに手をやったカダは、引かれた雨具の裾に気がつき、その手の主に目をやる。

「よいではありませんか」

 ヒネはそう言って、周囲でめあう人々を見渡した。

「私はこれでよいのだと思います。」

 カダは驚いて、そのままヒネを見つめる。ヒネはカダに向き直り、まっすぐと、温かい茶色の瞳を見て言った。

「どんな困難に直面しても規律を忘れず、他者を思いやる。それこそが我々パムゥの民、シュバウルの血を受け継いだ者たちとしての、誇り高き生き様なのです」

 しばらくカダは大きく開いた眼でヒネを見つめていたが、やがて眉を下げそのまま苦笑した。

「ああ、そうだ。まことに、その通りであるな。」

 そして、カダの温かい光を滲ませた眼差しが、ヒネに向けられる。

「まことに愚かではあるが愛おしい者たちだ。私は彼らを、彼らと共に生きた自分を誇りに思う」

 ヒネは、なんだか嬉しくなり、自分の目が潤むのを感じる。

「やはり私はパムゥの人々が大好きだ」ヒネは心の中でそう思い、また、カダと同じく誇らしい気持ちで人々を再度見回した。

「どうか……どうか少しでも多くの方々が、この困難と荒波を乗り越えることができますように」ヒネは深く、心からそう祈る。

 カダは恨みっこなし、辞退なしのくじ引きでもして、夜を迎える前には船着場を発つようにとヒエダと若い審神者見習いに告げ、その場をあとにした。



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