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思い出

 市役所での業務は順調だった。


 役所仕事の基本として、関係する規程や細則を読み込み、何が書いているか覚えておく。前例がないかを常に確認して、まずはそれに沿って業務を行う。


 また、空いた時間で手順書を作って、定例業務の作業時間を短縮させた。計算シートを使っているものは、亜利紗や越智くんから教えてもらった算式を利用して効率化させることができた。


 そして、いま大きな懸念事項が解決できそうだった。


「山本さん、部長の稟議(りんぎ)が終わって承認をもらったわよ」

 福島さんが稟議書の束をもって帰ってくる。


 心の中で、ガッツポーズをする。稟議が通るのがこんなに嬉しいとは思わなかった。


 駅までレンタルサイクルを移動させる仕事を、民間業者に委託することができたのだ。これで、かなりの時間を業務に充てることができる。それ以上に、くさい臭いに悩まされながら駅まで何往復も自転車を漕ぎ、変な爺さんに絡まれなくなるのが嬉しかった。


「それでは、自転車を運びに行ってきます」


 委託は1か月後からで、それまでは我慢が続くが、終わりが見えると駅までの道のりが明るくなる。


 市役所から駅までは整備された広い道路が続き、途中に商店街がある。人口減少に加えて、新型コロナウィルスのため、残念ながら多くの店が閉まっている。立派なアーケードもあるのに、もったいない気がした。


 東京では気の緩みや自粛疲れという名目で、人々が動き回っているようだが、南海市では人通りはまばらだ。これも田舎の監視社会が機能しているからなのだろうか。


 駅前の自転車置き場まで、やってくる。まだまだ残暑が厳しくて、少し動くだけで汗が出てしまう。


「おう、姉ちゃん。今日は元気そうやな」


 恒例の爺さんの絡みが始まる。ただ、これもあと1か月の辛抱だ。


「いいことでもあったんか」


「ええ、私が自転車を運ぶ必要がなくなったんです」


「ほお、別の新人でも入ったんか」


 部外者にどこまで話していいのか分からないが、どうせ1か月後には分かることだ。


「いえ、民間業者に委託することが決まったんです」


 話した瞬間、爺さんの顔つきが変わる。


「あんたが委託するように手筈とったんか」


「まあ、そうですけど」


 それから、無言になる爺さん。まさか、私に会えなくなるのがショックだったのか。


「あの、そこまで寂しがってもらえるなんて、すみません」


「勘違いすな、姉ちゃん」


 爺さんは、凭れこんだフェンスから腰を上げる。


「意外とやるのう、姉ちゃん」


 爺さんはそれだけ言い残して、立ち去った。


「やっぱり変な爺さん」

 私は小さく呟いて、来た道を引き返す。


 市役所に戻る途中、真珠の販売店があるのに気づいた。南海市は真珠の養殖が盛んで、全国一位の産出量を誇っている。


 立ち止まって、店先のショーケースを見つめる。


「きれい」


 いろいろな種類のネックレスやピアスが並んでいる。近づいてよく見ると、真珠の玉一つ一つが艶やかに光っていた。


 ふと、店内のポスターが目に入る。真珠のネックレスを身に着けた花嫁が、幸せそうに微笑んでいる。


 いつかは私も結婚できるのだろうか。もうすぐ30歳という事実に、どうしても焦りを感じてしまう。


 そういえば、独身仲間のあかりやちなみは元気にしているだろうか。最近は二人とも忙しいようで、連絡がぱったりと止まっていた。二人とも東京にいるので、新しい出会いでもあったのかもしれない。


 私は少しセンチメンタルになって、市役所に戻っていった。





 本日の業務を終えた後、若手5人による南海市PRの打ち合わせを行う。


 既存のコンテンツをどうやって周知するか話し合うだけで、新しい案は出てこない。じゃこ天くんの活動も盛り上がっておらず、このままではフェードアウトしそうだった。


 せっかく出向しているのに、このままだと何も成果を残せない。次第に焦りが生まれてくる。


 打ち合わせを終えて、市役所を出る。もう7時を回っているというのに、東京と違って、まだ空がぼんやりと明るい。ただ、西には雨雲が見えており、天気は下り坂になりそうだった。


 カバンに入れたスマホが鳴る。ディスプレイを見て、一瞬躊躇(ちゅうちょ)する。


 お母さんからだった。


「もしもし、里琴」


「なに、お母さん」


「里琴に話したいことがあるの」


「うん……」


「実は、今月末でお店を閉めることにしたの」


 突然の言葉に頭が真っ白になる。


「それで、今の家も家賃が払えなくなるから引っ越さないといけないの」


 私が小さいころから暮らしていた、お母さんとの思い出の場所がなくなってしまう。

 お母さんが頑張り続けていた、大切な居場所がなくなってしまう。


「常連さんたちも応援してくれていたんだけど、やっぱりそれだけでは無理でね。助成金も家賃に充てたらすぐになくなって……」


 お母さんの言葉が遠くから聞こえるようだった。


 私はなんとか言葉を絞り出す。


「……お店、なんで閉めないといけないの? 今の場所で休止じゃだめなの?」


「休止しても家賃が安くなるわけじゃないの。それに、ここ数か月間は貯金を取り崩しているのよ」


「だったら別の場所でお店を開けば……」


「今までは家主さんの好意で安い家賃で借りられていたの。別の場所では無理よ」


「私も一緒にお店のできる場所を探すから」


「里琴、もうお母さん年なのよ。そんな体力はないの」


「お母さんのお店がなくなるなんて、嫌だ」


「里琴、私が出した決断なの。分かってちょうだい」


「……どうしても、お店を閉めるの?」


「そうよ」


 会話が途切れる。遠く自動車の音が聞こえる。


「せめて、そっちに行きたい。何か手伝いたい」


「里琴、だめよ。お仕事はどうするの。それに県外移動はできないでしょう」


「口実は何とでも作るから、ねえ行かせて。最後くらい手伝わせて」


 私の震えた声に気付いたのか、お母さんの声が優しくなる。


「大丈夫よ、里琴。今まで長い間お店をやってきたんだもの。最後の片づけぐらい一人でも大丈夫よ。それよりも、里琴がこっちにきて体調を崩すほうが心配よ」


 こんなときでさえ、お母さんは自分のことより私のことを考えてくれている。私はいつまでたっても、お母さんの前ではこどもだった。


 そして、お店がなくなって、一番悔しいのはお母さんだと思いなおす。


「……お母さん、ごめん。お店のこともお母さんが決めたことなのに、お母さんが一番大変なのに、私はわがままばっかりだ」


「いいのよ、里琴もそれだけお店に思いがあったと分かって、嬉しかったわ」


 電話を持つ手が震える。


「お母さん、長い間、お疲れさまでした。小さいときから、何不自由なく育ててくれて、本当にありがとうございました」


 いま言わなくては後悔すると思った。

 でも、こんなときに言いたくなかった。


 お店が閉まるのはもっと先のことだと思っていた。

 お店を閉めるとしても、盛大なパーティを開いて、お母さんが常連さんたちに囲まれて、賑やかに終わるはずだった。


 そのときには私は結婚して子供がいて、おばあちゃんとなったお母さんの手料理を子供たちが美味しそうに食べているはずだった。

 それがすべて、新型コロナウィルスで潰えた。


 電話を切る。私はしゃがみ込んで、滲んだ地面を(にら)んだ。





「里琴さん、最近元気がないけど大丈夫ですか」


 亜利紗が心配して声をかけてくれる。


 定例の打ち合わせが終わり、亜利紗と二人で市役所に残っていた。


「うん、ちょっとね」


「PRチームのみんなが心配していました」


「そっか」


 なんとかごまかしていたかと思っていたが、やはり表情に出ているらしい。


「実は……」


 亜利紗に母親の店が閉まることを話す。


「……そうだったんですか。里琴さんのご実家がなくなるのは、私も悲しいです」


 亜利紗が慰めの言葉をかけてくれる。自分事のように思ってくれているのか、亜利紗の表情はとても暗い。感受性の豊かな亜利紗らしかった。


「心配してくれてありがとうね、亜利紗。PRチームのみんなにも理由を聞かれたら、話していいからね」


「分かりました。辛いのに気を遣わせてしまい、すみません」


 男性陣は他人に関心が薄そうだったのに、心配してくれているのが意外だった。短い期間だが、それなりにチームの結束力みたいなものができているのだろうか。


「それじゃあ帰ろうか」


「今日はタカナスで買い物をするので、一緒に帰りませんか」


 タカナスというのは商店街の入り口にある大きなスーパーマーケットだ。市役所から近くて品ぞろえもいいので、帰りによく買い物をしていた。


「うん、それじゃあ私も寄って帰ろうかな」


 私たちは何気ない会話をしながら、市役所を後にした。





「オンラインゲームって、ネットのゲーム?」


 突然の提案にびっくりする。


「そう、オンラインゲームな」


 清家が自信満々な感じで、言い放つ。


「なんで、飲み会をどこでするか話しているのに、ゲームの話になるのよ」


 打ち合わせの後、私のお母さんのお店が閉まることを知った4人が、気晴らしに飲み会の提案をしてくれた。

 ただ、新型コロナウィルスが蔓延している最中だ。大人数で外に飲みに行くのは難しい。休日の昼に遊びに行くにも、外出自粛が叫ばれている中、ましてや公務員であればとても無理な話だった。


 飲み会の話しが頓挫しかけたとき、清家がネットのゲームと言い出しだというわけだ。


「どこにもいけんのなら、家でやれること探すしかないけんな」


「でも、私、ゲームなんかしたことないし。他のみんなはどうなの?」


 意外にも越智くんがすぐに反応する。


「ぼ、僕は大丈夫です」


 それを聞いた毛利くんが同調する。


「久しぶりにゲームっていうのも、面白いかもしれませんね」


 男性陣は賛成多数か。


「亜利紗はどう?」


「うーん、どうでしょうか」


「別にな、俺はただのオンライン飲み会でもいいが、女性はそれでええのか。準備とか面倒くさくないんか」


 確かに男性陣のためだけに、部屋を片付けたりいろいろ用意したりするのは面倒かもしれない。


「ゲームならキャラが喋るだけやけん、問題ないやろ」


 亜利紗と顔を見合わせる。

 私たちは男性陣の意見に押されるかたちで、オンライン飲み会inオンラインゲームをすることになった。





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