それぞれ
日差しを感じて、目が覚める。
ゆっくり伸びをして、気怠い体をベッドから起こす。
カーテンを開ける。
天気は快晴だ。
海がきらきらと光り、少し先に見える島々の緑が鮮やかに映えていた。この窓からの景色にも、なんだかんだで愛着が湧いている。
昨夜にスーパーのタカナスで買ったパンを食べる。いつもなら三日分ほど買い置きするのだが、今日は一つだけ。
仕事用の服に着替える。ほとんどの服はすでに段ボールに詰めているため、今日は選択肢がない。
殺風景な部屋には、必要最低限のものしか置かれていなかった。
テレビからは様々なニュースが流れていた。以前と比べて、新型コロナウィルスの扱いは小さくなっている。
東京で暮らす日常は、もうすぐそばだった。
市役所までの通いなれた道のり。暑い日差しを感じながら、今日はゆっくりと歩く。
出向してから1年4か月が経ち、私は南海市で二回目の夏を迎えていた。
新型コロナウィルスの発生からは2年半ほど経ち、それまで何度か型が変異することで、数か月単位の短い期間で感染の流行期と抑制期を繰り返していた。
ただ、日本の大手製薬会社が開発したワクチンと治療薬が効果を発揮したことで、徐々に終息に近づいている。感染者が全国で二桁になるのも、そう遠くはなさそうだった。
私の所属している航空会社も、国内線の運航本数が急激に増えており、業績は大きく回復していた。出向した職員もほとんどが戻されて、今まで通りの業務に就いている。
同期のあかりも今年の4月で出向先から戻った。ちなみも体調が回復したため、実家からの通勤で元の職場に復帰することができた。
南海市役所に到着する。市内では最大規模の建物を、何となく見上げる。
南海市の業務では、PR作戦で企画された白いチョココロリンが相変わらずの過熱ぶりで、今年のヒット商品となっていた。そのおかげで、中畑製菓は過去最大の売上高を達成しており、景品の真珠を提供した南海市の真珠業者各社も大きな利益を得ていた。
また、南海市の知名度も上がり、大手ECサイトやWeb通販で南海市の地産品の販売が大きく増えた。それにつられるように南海市へのふるさと納税も増えて、市への寄付額が過去最高額を記録した。
コロナの終息と南海市の特需。この数か月間、私はまるでお祭りの熱気の中にいるようだった。
「おはようございます」
観光課に入ると、すでに他部署の方がたくさんいて、思わずびっくりする。
「山本さん、おはようございます」
大勢の人と挨拶を交わしながら、自分の席に向かう。デスクまで短い距離だが、何度も頭を下げる。
デスクにようやく到着する。デスク周りは備品関係を返却したため、すっきりしている。
ただ、そこだけ穴がぽっかりと開いているようにも見えた。
関島課長が入ってくる。そろそろ朝礼の時間だ。
関島課長は周りを大きく見渡して、朝礼を始める。
「それでは、朝礼を始めます。まずは連絡事項のある方は、お願いします」
誰も発言しないことを確認して、関島課長が話を続ける。
「それでは私からですが、本日を持ちまして、山本さんが出向元の航空会社に戻ります。1年と4か月という短い期間でしたが、観光課の業務だけでなく、南海市の知名度アップにも大いに貢献いただきました。山本さん、本当にありがとうございました」
関島課長のお礼に続き、島根さんが黄色い花束を持ってくる。
「山本さん、1年間と4か月間お疲れさまでした。最初こそきつく当たることもあったけど、山本さんの仕事を見て、こちらも勉強になりました。ありがとうございました」
いつもはお高く留まっている島根さんからの言葉に、思わず嬉しくなる。
私は島根さんの目をしっかりと見て、お礼を伝える。
「外から来たため、勝手が分からず大変ご迷惑をおかけしました。いろいろやらせてもらえたのは、観光課の方々がその分、業務を負担いただいたおかげです。本当にありがとうございました」
花束を受け取り、大きな拍手が広がる。
「山本さんは本日中に南海市を立つ予定です。市役所での業務は午前中までとなりますので、皆さん注意してください。それでは、今日一日もよろしくお願いします」
朝礼が終わり、他部署の方々からお礼の言葉をいただく。すべての方と話し終えた後、デスクに座って一息つく。ただ、最終出社日なので、ゆっくりしている暇はない。
私はかわいい花束を置いて、パソコンを初期化する設定を始めた。
午前中で仕事を終えた後、アパートに戻って引っ越し作業に立ち会う。単身のため作業は想定よりも早く終わり、私は再び市役所に戻ってきた。
建物の裏側にある駐車場で佇む。
観光課の皆さんからもらった花束は段ボールに詰めることができなくて、ここまで持ってきていた。
スマホが鳴る。亜利紗からの電話だった。
「里琴さん、今どこですかっ」
「裏口にいるよ」
「みんなですぐに行きますから、待っていてくださいっ」
電話が切れる。私は裏の玄関口付近に移動して、亜利紗を待つ。
亜利紗と言えば、大きな出来事があった。
この数か月で、亜利紗はネット上で時の人となっていた。
私たちがテレビ番組に出たときに、眼鏡を外した亜利紗の姿が画像投稿サイトにアップされ、アニメ好きな方々の目に留まったからだ。
何とか魔法少女マジマジミミカというアニメのキャラクターに、亜利紗が似ていることで話題となり、私たちが出演したVTRは有名な動画投稿サイトに何本もアップされた。
大手掲示板サイトやまとめサイトなどにも、その動画へのリンクが貼られたことにより、多くのスレッドが立ち上がり、魔法少女亜利紗はネットでさらに盛り上がることになった。
私たちが投稿した市役所の動画も、亜利紗の影響で大幅に再生回数を伸ばした。特に清家が亜利紗にいたずらして眼鏡を外す動画は、清家により密かにアップされていたため、かなりの再生回数をはじき出していた。
亜利紗自身はかなり悩んでいるようだが、清家には何か策があるようで、いろいろと忙しそうだった。
「亜利紗、遅いなぁ」
手持無沙汰になり、花束を顔に近づける。蜜のような甘い匂いがする。
「そういえば……」
花の匂いで気が付いた。そういえば、あれだけ臭かったペレットの臭いが、最近まったく感じない。
いつか臭いに慣れる、亜利紗がそう話していたことを思い出して、小さく笑う。
「おう、いたいた」
清家が玄関口から近づいてくる。
その後に、毛利くんと越智くんもやってくる。亜利紗はいないようだった。
清家が花束を見ながら、話しかけてくる。
「豪勢な見送りを断るなんて、お前らしいな」
「たった1年で私の何を知っているのよ」
「1年もありゃ、だいたい分かるけん。まあ、ここで言い合っても面白うないから、一応お礼を言っておく。いろいろありがとうな」
清家が勝手にはにかむ。
「こちらこそ、出向していい勉強になりました。ありがとうございます」
いろいろ言いたいことがあったが、最後くらいは口を慎む。清家も少し自己中心的なだけで、決して悪い奴じゃない。それに、清家の批判的な態度がなければ、チョココロリンの企画も途中で頓挫していたかもしれない。
清家と話し終えると、毛利くんが大きな体を揺らしながら近寄ってくる。
「里琴さん、本当にありがとうございました。南海市をここまで盛り上げてもらったのは、里琴さんのおかげです。この経験を活かして、これからも市役所で頑張ります」
「毛利くん、こちらこそ本当にありがとうございました。毛利くんがいたからこそ、いろんな気づきがあったよ。客観的に物事を見てくれて、適切にアドバイスしてくれたのは本当に助かった。私は突っ走ることが多いから、これからは毛利くんを見習って、一歩引いてから物事を見られるよう努力するね」
毛利くんが嬉しそうに笑う。思わず、私もつられて笑顔になる。
「おい、越智。いけ」
清家に体を押されて、越智くんが私に近づく。
「あ、あの……」
越智くんは口をもごもごしている。心なしか、いつもより緊張している。
「里琴さ~ん」
亜利紗がやってきて、私たちの輪に加わる。
そのとき、越智くんが真っ赤な顔を上げて、大声を上げた。
「り、り、里琴さん! す、好きでした!」
「へっ!?」
思わず、変な声が出る。
「えっ、うそうそ!? 里琴さんと越智くんが!? どういうことなん!? わたし何も聞いてないけん!」
越智くんの告白に、亜利紗がキャーキャー騒ぎ出す。何故か、亜利紗の顔も真っ赤になっていた。
「えっと……」
私が戸惑っていると、越智くんが意を決したように、言葉を絞り出す。
「東京に戻っても、頑張って下さい!」
越智くんは私から離れて、清家と毛利くんの背後に隠れる。まるで、中学生の告白みたいだった。
「ありがとうね、越智くん」
越智くんの不意打ちに、鼓動が速くなっている。
どきどきしている胸を抑えるため、みんなに分からないように深呼吸する。少し落ち着きを取り戻して、私は越智くんに挨拶する。
「越智くん、びっくりして話すことが飛んじゃったよ。でも、思いを伝えてくれて、とても嬉しいです。東京に戻っても、頑張るね。越智くんも頑張ってね」
越智くんは俯いたまま、頷く。
興奮した亜利紗が、越智くんに文句を言う。
「もう、越智くんのせいで、感動の場面が狂ったやない。本当はここで泣くはずやったのに!」
みんなが笑う。涙よりも、私たちには笑顔が似合っている。
亜利紗が笑顔で話しかけてくる。
「それじゃあ、気を取り直して。里琴さん、本当にありがとうございました。里琴さんがいなくなるのはとても寂しいです。でも、新型コロナウィルスが完全に落ち着いたら、絶対に東京に会いに行きます。美味しいもの、たくさん食べに行きましょうね」
「亜利紗、こちらこそ本当にありがとうございました。亜利紗がいなければ、私はこの知らない町で、経験したことがない業務で、どうなっていたか分からない。こんなに楽しく過ごせたのも、ぜんぶ亜利紗のおかげだよ。東京にもぜひ来てね。私もコロナが収まったら、絶対に南海市に遊びに行くから」
お互いに手を取り合う。
「そろそろ、汽車の時間やな。あそこにタクシーを呼んどるけん」
清家が手配してくれていたようで、すでにタクシーが道路に停まっていた。
タクシーに乗り込む。運転手に行き先を告げる。
「それじゃあ、みんなまたね」
窓を開けて、手を振る。
別れの言葉が行き交う。
「本当にありがとう、みんな!」
私の言葉を合図に、タクシーが走り出す。
小さくなっていく4人に向かって、私は手を振り続けた。
南海市駅に到着する。
タクシーから降りて、改札口に向かう。
駅舎を見ながら初めて来たときのことを思い出す。
あのときは不安でいっぱいだった。いまはどうだろうかと、自分に問いかける。
答えを探そうとしたとき、汽車がやってくるのが見えた。
私は急いで駅員に切符を渡して、汽車に乗り込む。
座席に座る。
この汽車が出発すると、私はこれまでどおりの日常に戻る。
こことは違うきらびやかで退屈ではない街。こことは違う自分の求めていた地味ではない仕事。こことは違う刺激的で干渉しないたくさんの人々……。
1年前、ここに来た時、早く帰りたいと願った。その待ち望んでいた生活に、私は戻れるんだ。
出発を告げるアナウンス、汽車が走り出す。乗客は私しかいなかった。
汽車の走る音だけが、社内に響く。
田んぼのそよぐ景色が、ゆっくりと流れ過ぎていく。
ふと、頬に伝うものを感じて、私は車窓に映った自分を見つめる。
「あれ、なんで泣いてるんだろう、わたし」




