3 解決策と妥協案
第一王子の突然の訪問と、それに付随した目を疑いたくなるような出来事があった日から一夜明けた次の日。
朝食もそこそこに急いで城へと向かい、手早く仕事着に着替えた私は、昨日の真相を確かめるべく、国王陛下の執務室へとお邪魔しました。
分刻みのスケジュールがつまってお忙しい国王陛下ではありますが、朝一番は比較的のんびりと寛いでおられるのです。
勝手知ったる城内を誰に止められることなく歩き、目的地まで到着すると、執務室の扉をノックしました。
入室を承諾する声を聞いて部屋の中へ足を踏み入れると、そこにいらっしゃるのは国王陛下。部屋の真ん中にあるソファーで足をくみ、優雅に紅茶を飲んでいらっしゃいました。
金髪に碧眼の物腰が穏やかな国王陛下。
齢五十を半ば近くまで過ぎたと言うのに、年齢を感じさせない若々しい国王陛下です。うちの兄や父といい、国王陛下も、特別な何かでも召し上がっているのでしょうか。その若さの秘訣をぜひ、教えてほしいものです。
「おや、マリー。こんな朝早くにどうしたんだい?」
「お寛ぎのところ失礼いたします、国王陛下」
私を見るなりその眼差しを和らげた国王陛下は、持っていたカップを一旦ローテーブルに置いて、近くにくるようにと私に手招きをしました。断る理由もないので素直に国王陛下に近づくと、国王陛下が座っていらっしゃる横に私も座るようにと仰いました。普通なら国王陛下と一介の侍女が同じ席に座るなどあり得ない事なのでしょうが、家族同然のお付き合いをさせていただいているので、同席は許されています。もちろん公私の別はつけています。今は国王陛下も仕事前ですし、執務室の中には私と国王陛下の二人しかいないので問題ないと判断し、腰を下ろしました。
そう言えば、いつもならいるはずの父の姿が見えません。騎士団長という地位にいますが、国王陛下の護衛もしているので、ほとんどの場合、国王陛下の傍にいるのです。その父がいないので不思議に思って国王陛下に尋ねると、今日は何やら朝から騎士団で会議があったようで、そこに出席しているとか。言われてみれば、兄たちも朝早くから出かけてました。なるほど、会議があったのですね。侍女の私とはスケジュールが違うので忘れてました。普段なら兄や他の四人のスケジュールも頭に入っているのに、今日に限ってこの体たらく。昨日の一件がなかり尾を引いているのでしょう。
ああ、頭が痛い。
「それで、話とは?」
国王陛下に声をかけられて、ハッと現実に引き戻されます。そうです。ここに来た用件を忘れるところでした。
私が話し出すのをにこにこと微笑んで待っていてくださっている国王陛下に、昨日にあった出来事を簡潔にお話ししました。
第一王子のウィリアムが我が家にやって来て、国王陛下の署名入りの婚姻許可証を持ってきた事を、です。国王陛下はご存じなのかと。ああ、もちろん私がヴァイカウントに子づくりしないかと持ちかけた話は省いてます。言うとややこしくなりそうでしたから。
とりあえず確かめたかったのは、国王陛下がご存じなのかどうか。もし国王陛下が知らなければ、あの許可証はサインを真似た偽物。第一王子は後でこっぴどく叱られるでしょうが、国王陛下の許可を得たという発言は第一王子の嘘になります。許可証自体も無効でしょう。しかし、もし知っていれば国王陛下も第一王子の考えに賛成という事になります。
国王陛下はどうお考えになっているのか。半ば戦々恐々としながら婚姻許可証について尋ねれば、国王陛下はまたもや笑顔を返されました。
「そうか、昨日のうちにマリーのところに持って行ったんだね」
「国王陛下、あの……あの、許可証はまさか」
「ああ、もちろん私がサインしたよ」
我が息子ながら行動が早いなぁ、と国王陛下はのんびりと仰いました。
今日の私のように朝一番にやって来た第一王子は、そこで許可証にサインをくれと言ったそうです。私と結婚したいからと。何故昨日だったかは、私の休みの日を狙ったんですって。そして、その日一日かけて私を口説き落とすつもりだったそうです。
……ええ、まったく口説かれてませんけどね。
何はともあれ、第一王子のあまりの突然の結婚話に驚きつつも、彼が結婚相手に選んだ女性(私)について反対する理由も見当たらなかった国王陛下は、すぐに婚姻許可証にサインしたそうです。
黙ってしまった私に、国王陛下は眦を下げて困ったような表情を見せながら、私の様子を窺い見ました。
そっと私の両手をとると、ゆっくりと話しはじめます。
「マリー。マリーは、ウィリアムが嫌いかい?」
その問いかけに、私は首を横に振りました。
嫌い、ではありません。好きか、嫌いか、で言えば、当然のごとく好きと言うでしょう。
幼いころからずっと一緒にいた相手です。兄ほどではありませんが、喧嘩もしたこともありますし、腹が立って嫌いと言ったことも過去にはあっただろうと思いますが、やはり嫌いになんてなれません。
けれど、それが恋愛感情としての好きか、と聞かれれば、すぐに答えが出せない私がいます。
彼を恋愛感情で見たことなんて一度もありませんでしたから。
正直に戸惑っている自分の気持ちを国王陛下に告白しました。
第一王子のことは好きだけれど、私が思うに、この好きは、国王陛下を始め、父や兄、妹や母に向ける好きと同じものであるという事。家族として、友人として、王子としてしか見ていなかったから、急にふってわいた結婚話に複雑な心境だと。
私と第一王子の結婚。客観的に見て、王子である彼に対して、私の身分は問題ないのは分かります。国王一家と私の一家の関係も良好ですし、このまま話が進んでも国王陛下の側近たちを含め、多分誰も反対しないでしょう。
でも、やはり気になるのは私の年齢です。私の方が第一王子より年上なのです。もうすぐ行き遅れの三十路です。恋愛感情を持っていないのも重要ですが、それも悩みの種なのです。
政略結婚でいいから相手が欲しいと兄には言ったけれど、実際に政略結婚まがいの状態になると躊躇している自分が嫌になる。政略結婚と考えるのであれば、恋愛感情なんてなくても結婚するべきでしょう。第一王子は私が兄に発言したあの結婚条件を知って結婚話を持ち掛けているのですから、そうとっても可笑しくはない。相手が年上でもいいというのだから願ったり叶ったりのはずです。
でも、頷けない自分がいるのです。
「国王陛下は、どうして反対なさらないのですか?」
「どうしてと言われても、反対する理由がないからなぁ。 マリーの人となりはよく知っているし、デュークも含め我が子同然に可愛がってきたからね。そんなマリーがウィリアムと結婚したら私の娘になるんだ。嬉しいとしか言いようがない」
王妃も他の王子王女たちも喜んでいるよ、と爆弾発言投下です。
え? もしかしてみんなご存じだと?
ビックリして聞けば、昨日あの後、城に戻った第一王子が私に求婚したとみんなの前で発表したそうです。
なにそれ、聞いてないんですが。っていうか、求婚? あれが?
「まあ、マリーが乗り気じゃないなら断ってくれてもいいんだけど」
「え? 断れるんですか?」
「もちろん断れるよ。ウィリアムが気付いているかどうかは分からないけど……あれ、実はあのまま提出しても無効なんだって知っていたかい?」
「えっ、無効?」
にっこりといい笑顔で国王陛下は仰いました。
通常、国王陛下からの婚姻許可証が発行されれば、それ自体が強制力を持ち、それだけでほぼ婚姻成立です。残りは結婚式を挙げ、婚姻証明書に署名するのみ。国王陛下が直々に二人の結婚を認めているのです。やむを得ない事情がない限り、断ることは出来ないはずです。婚姻許可証を戴いた後で、結婚したくなくなったからやっぱりやめたなんて、国王陛下に対して失礼にもほどがありますから、そうならないように許可証を申請する前にじっくりと話し合わなければならないのです。
だから、まさか国王陛下直々に戴いた許可証が無効だと聞いて、意味が分かりませんでした。
「あの許可証、マリーも見たんだろう? 思い出して御覧。私の署名の横に国璽、押してたかい?」
「国璽?」
「そう、国璽。国家の重要文書には必ず押してあるアレだ。婚姻許可証も、私の署名と国璽の両方があって初めて有効になるんだよ。知らなかったかい? 署名だけじゃ、偽造される可能性があるからね。婚姻許可証に国璽がないものは受理しないよう担当官には厳命してある」
溶かした封蝋の上に押し付けて型を取る国璽。複雑な模様と絵柄のそれは、おいそれと真似できるものではありません。
言われてみれば、あの許可証は一枚の紙だけで、折り目以外に凹凸がなく、それらしきものはなかったと思い出しました。国王陛下の話が本当なら、あれは未完成の婚姻許可証となり、完全な効力を持たないという事になります。
「という事は、断ってもよろしいのですか?」
「……そうだね、マリーがどうしても嫌だというなら断ってもいいよ」
確認の為に問いかければ、あっさりとそう返され、拍子抜けしました。
「マリーが嫌なら無理強いはできない。でも、あの許可証を出した私の気持ちは本物だと覚えておいてほしい。私は、マリーとウィリアムの婚姻自体には反対はしていない」
「国王陛下……」
「とりあえずは、ウィリアムとちゃんと話をすることだ。あの子が王子だとか、二人の年齢の事とかその他一切考えず、あの子と添い遂げてもいいと思えるかどうか、それだけを考えてみればいい」
「……はい」
「断るつもりなら許可証は破り捨ててくれていい。でも、マリーがウィリアムと結婚してもいいと思えたなら、二人であの婚姻許可証を持っておいで。国璽を押して完全なものにしてあげるから」
ちょうどそこで現在の時刻を知らせる時計の音が鳴ったので、この話は打ち切りになりました。
これから仕事に向かわれる国王陛下に、長居してしまったことを詫びて、執務室から退室しました。私にも仕事があるので、私の職場、つまりは王子王女達のいる部屋へと向かいました。
王子王女たちにはもちろん各自の部屋があるのですが、日中は大抵みんなこの部屋に集まっているのです。この部屋はいうなればリビングのような、談話室のような、そんな感じの部屋です。
道中いろいろ考えながら歩いていると、思ったよりも早くに着いてしまい、溜息をひとつこぼしてからその部屋の扉をノックしました。
声をかけて部屋の中へと足を踏み入れると、珍しく誰もいませんでした。
えっ、どうして? もしかしてまた、予定を忘れてる?
そう思って時刻を確認してみましたが、普段と変わりない時間帯でした。いつもならここで一度は紅茶を振る舞うのですが、誰もいないのでは振る舞いようがありません。困りました。何故みんなが居ないのか訳が分からないので、近くにいる人に王子王女たちをみなかったかと聞いてみようかと部屋を出ようと振り返った時です。
かちゃりと扉を開く音をたてて、誰かが部屋の中へと入ってきました。
誰あろう、第一王子でした。
おはようと挨拶をしてくる第一王子に私も朝の挨拶を返します。みんなが居ない理由を聞けば、なんだか歯切れの悪い様子で気を利かせてくれたんだろうと教えてくれました。
……なるほど、昨日の影響なんですね。まったく余計な事を。
あからさまなほど深々と溜息を吐き出せば、第一王子は国王陛下によく似た眦を下げて私を見てきました。
でも、みんなが居ないのならちょうどいいのかもしれません。この機会に、結婚許可証の事について第一王子に聞いてみることにしました。
「ウィル、昨日の婚姻許可証の事なんだけど……」
「父上に国璽押してないから無効だとでも言われた?」
「え?」
「やっぱり父上に教えられちゃったか」
知ってたのかと問いかければ、知っていたと返ってきました。朝一番に国王陛下の執務室へ行く姿を見かけたそうです。そこで多分この許可証の話をするんだろうなと思ったそうです。彼の予感はものの見事に的中。私は国王陛下から、あの婚姻許可証が無効であると聞かされました。
第一王子は懐から折りたたまれた紙を一枚取り出すと、それを私の方へと差し出しました。
「ウィル、これ……」
「僕が持ってると不安だろうからマリーにあげる」
戸惑っていると、一向に取ろうとしない私の手を掴んで紙を無理やり握らせてきました。無造作に押し付けられて、危うく皺だらけになりそうだったので、おとなしくそれを受け取りました。
改めて手の中の紙を開いてみれば、昨日見たあの婚姻許可証でした。
国王陛下の流麗な文字で書かれた婚姻許可証。国王陛下の話の通り、本当ならあるはずの国璽の封蝋が、国王陛下の署名の横にはありませんでした。
「ウィル……どうしてわたくしなんかと結婚しようと思ったの? あなたなら他にもいい人はたくさんいるでしょう?」
結婚話が出た時からずっと疑問に思っていた事が、ぽろりと無意識に口から零れ落ちていました。いくら私が結婚相手を探していて私の出した条件に見合っている(兄にしか漏らしてませんが)からといって、名乗りを上げるのはおかしすぎます。彼、こう見えても結構モテるんですよ。若いころの国王陛下に似て美男子だし、王太子だし、若いし、優しいし。次期王妃に相応しく、第一王子の妻になりたいご令嬢なんて他にもいるはず。行き遅れ一歩手前の年上女に手を出そうとしなくても、もっと若くて可愛い子だっていっぱいいるのに。そう思って第一王子を見上げれば、第一王子はひどく驚いた表情をしていました。
「どうしてって、マリーが好きだからだけど」
「えっ!?」
「えっ、ってどうしてそこでそんなに驚くの? 結婚しようと思ったのはマリーが好きだからに決まってるじゃないか。僕なんか眼中にないんだろうなとは思ってたけど、それはちょっとひどくない?」
私のあまりの驚きように、第一王子は先ほどの私と同じような溜息をついていました。
若干、私を見る目が呆れ返ってるように見えます。
好きって、どの好き? もしかして、恋愛感情の好きで私を見ていた?
嘘でも冗談でもなく、本気で分かっていなかった私に、第一王子はまたまた溜息をつくと、今度は自分の気持ちを告白し始めました。彼が言うに、ずっと私の事がす好きだったそうです。最初は姉のように慕っていたそうです。もの心ついた頃には遊び相手として兄とともに一緒にいましたから、当然と言えば当然でしょう。私だって弟のような気持ちでいましたもの。それがいつしか家族に向ける愛情以外のものに変わり、はっきりと自覚したのは、私にお付き合いする相手が出来た時だそうです。
頬を赤らめて嬉しそうに笑う私を見るたび、何度権力を使って仲を引き裂いてやろうかと思ったか分からないそうです。第一王子の前でお付き合いした殿方の話をした覚えはないのですが、私が態度に出てたってことは、多分、何年も前の……殿方とお付き合いをし始めた頃の、私が今よりももっと若かく初々しかった時の話でしょうね。
それから第一王子なりに積極的な行動に出たらしいですが、まったく覚えがありません。仕事だと思ってたお出かけが、第一王子的にはデートだったなんて知りませんよ!
「えっと……」
「マリーはさ、賢いし、よく気が付くから侍女としては優秀だけど、変な所で鈍いよね」
「……っ!」
ぐさりと第一王子の言葉が突き刺さります。今日ここで説明されるまでまったく気付かなかったのだから、言い返す言葉もありません。
申し訳なさで一杯になって、伺い見るような目で、私より少しだけ背の高い第一王子を見上げます。しようがないなぁとでも言うような、穏やかで甘い眼差しで第一王子が私を見ていました。
自分よりも年下だと子どもだと思っていた彼が、なんだか大人に見えた瞬間でした。
「マリー」
「は、はい?」
「あなたが好きです。僕と結婚を前提にお付き合いしてください」
婚姻許可証を持っていた手を取られ、真剣なまなざしで紡がれた言葉に、顔が一気に真っ赤になったのが鏡を見なくても分かりました。結婚を前提にという台詞と共に交際を申し込まれた事なんて、今まで付き合ってきた殿方の誰にも言われたことなんてありません。だってみんな兄に尻込みしていましたから。
「わ、わたくし……」
「うん」
「ウィルの事、その、そういう目で見たことなかったから……その……」
「うん、知ってる。だからこれからは一人の男として僕を意識して」
掴まれていた手を引き寄せられ、顔を彼の胸に預ける形で彼に抱きしめられました。いつの間にか私よりも高くなった身長。剣術の稽古をしているから服の上からでも分かる引き締まった身体。背中に回った腕は、痛くない程度に力強く私を抱きしめています。いつのまに、こんなに大人に成長していたのでしょう。ずっと子どもだ子どもだと思っていたのに、心臓のドキドキが止まりません。
「マリー、返事は?」
耳元で甘く囁かれ、顔の赤みがさらに増すのが分かりました。
今日この瞬間まで意識したことなんてなかったのに、今、完全に彼を意識しています。
抱きしめる腕と、このぬくもりが気持ちいいだなんて、ああ、もう! まともに彼の顔が見れない。何やら色々負けた気分です。
「……このこと、お兄様に説明してくださる?」
「もちろん。お安いごようだよ」
「ありがとう」
「それで、マリー。返事は?」
なおも聞いてくる彼に、なんだか言葉にするのは完全な負けを認めたようで悔しかったので、彼の胸に手をついて少しだけ身体を離すと、軽く爪先立ちになって彼の唇にちょんと触れるだけの口づけをしてやりました。
目を見開いて驚いている顔を見て、なんだか溜飲が下がる思いがしましたが、それも一瞬の事。
すぐにやり返されてしまい、清い交際しかしていなかった私は彼の腕の中で完全に白旗を上げました。
ああ、もう! 私の負けよ。