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第一話

 すっかりと夜が更けた山道を、ミーナは街に向って歩いていた。歩幅はそれ程大きくない。背中におぶったゴブリンの子供を起こさない様に静かに歩を進めているからだ。視線の先には夕食時過ぎの喧騒を湛えた街並みを覗かせる門がある。


「あ、貴方!」


「おおっ!」


その前に居たのは小さな影。シルエットは小さいが独特のガラガラ声を鳴らしている。昼間、山岳保安隊の詰所に居たミーナの所に来て泣きながら我が子の行方不明を告げたゴブリンの夫婦だった。

 ゴブリンの夫婦はミーナの姿に気が付くとすぐさま駆け寄って来た。


「保安隊員さん、うちの、うちの子は!?」


「……」


白いハンカチを握り締めながらミーナに縋り付くゴブリンの母親に、ミーナはしゃがみ込んで背中の子供を下ろしてやる。


「ああ、坊や!!」


「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」


下ろされた我が子をすぐさま抱きしめる母親と、何度もミーナに頭を下げる父親。仲睦まじい家族の様子に、何か眩しい物を見る様に翡翠色の瞳の目を細めたミーナだったが、すぐにその表情は消え、夫婦を安心させる様に笑顔を作る。


「山の中で倒れていましたが、とくに大きな怪我をしている様子はありませんでした。今は疲れて眠っていますが、明日になればまた元気になる筈です」


ミーナのその言葉にゴブリンの夫婦は漸く安心した様に胸を撫で下ろしている。


「本当に、何とお礼を言っていいやら」


ゴブリンの父親の言葉にクスリと笑みを漏らしたミーナは首を横に振る。


「お気になさらないでください。私は山岳保安隊としての職務を全うしただけですから。それよりも、明日一日くらいはその子の傍に付いていてあげてください」


「それはもちろん!」


大きく頷く両親を見て、ミーナは小さく頷くと改めて立ち上がり大きく一歩下がる。ゴブリンとミーナに大きな身長差があるだけでなく、平均よりかなり豊かな胸元のせいで真下に立たれるとその姿を見る事が出来ないのだ。


「それでは、私はこれで」


「本当にありがとうございました!」


「ありがとうございました」


勤務時間は既に終わっている。恐らく詰所で報告をしようにも既に扉は閉まっているだろう。なんだかんだ言って、ミーナの疲労もかなり限界に近かった。


(お腹空いたし、お風呂にも入りたいな。詰所で報告は……もう開いて無いだろうし明日でいいかしら?)


頭の中でそんな事を考えながら、夫婦の声を背にミーナは家路を急ぐのだった。





 街の中は夕食時を過ぎた独特の活気で溢れていた。仕事を終え、繰り出した酒場から出てくる二人組のワーウルフ。明日の開店の為に準備をしている日用雑貨屋の店主と思しきバーバリアン。どこかそわそわした様子で裏路地の宿屋へと向かうゴブリンのカップル。どれもこれもが見慣れた光景であり、ミーナの日常を取り巻く護るべき者達だった。


「おう、ミーナちゃんじゃねえか!」


「あ、おじさん!」


不意に横から掛けられた声にミーナが振り向くと、そこには一人の壮年のミノタウロスが自分の店と思われる肉屋の前で、体格に似合わぬ人の良さそうな笑みを浮かべてひらひらとミーナに手を振っていた。


「今、帰りかい?」


「はい。山で迷子になっちゃったゴブリンの子を今親元に届けた所です」


近寄って行ったミーナの返答に、ミノタウロスの男性はミーナの頭よりもさらに一回り程高い所にある顎を摩りながらしきりに感心した様に頷いている。


「相変わらず山岳保安隊は大変だねぇ……ミーナちゃん、辛くないかい?」


そう言って、ミノタウロスはミーナを見下ろす。交代時間を除いて山岳保安隊はほぼ一日中山を歩き続けるハードな仕事だ。この人の良い肉屋の店主は顔馴染みのミーナの事をしきりに心配している様子だった。


「ええ、ちょっとは。でも、この街の役に立ってるって思えるから、私とっても遣り甲斐を感じているんです。それに、私体力には自信があるんですよ?」


そう言って、ミーナは両腕で力瘤を作って見せる。ググッと膨張した上腕の筋肉がはち切れんばかりに膨らみ、強く張られた胸元は恐らく強靭なパワーを持つであろう大胸筋に引っ張られてブルルンッと躍動する。そんな体格とは対照的に無邪気な笑みを浮かべるミーナに、ミノタウロスの男性も思わず苦笑する。


「そうだな、ミーナちゃんもいつの間にか本当に立派になって……。俺も歳を取るわけだ」


「あら、そんな事言って、おじさんもまだまだ若いじゃないですか」


「お?嬉しい事言ってくれるじゃねえか。よし、今日はもう店も閉めるし、どれも安くしとくぜ!」


「え、良いんですか?」


機嫌良さそうに頷くミノタウロスに「ありがとうございます!」と礼を言って、ミーナは店頭にある商品を眺めていく。


「しかし、ミーナちゃん」


「?」


「少し見ない間にまた一段と綺麗になったねぇ」


まるで真剣勝負の様に商品を眺め始めるミーナの横顔をしげしげと眺めながら、ミノタウロスの男性がそう漏らした。余りにも飾り気の無い言葉に、ミーナは少し照れた様に頬を染めながら「そうですか?」と嬉しそうに首を傾げる。


「お世辞でも嬉しいです」


「いやいや、御世辞なんかじゃないぜ。胸も前見たときより大きくなって!」


「がっはっは!」と笑いながら両手でミーナの胸を再現して見せる店主の仕草に、ミーナは思わず噴き出す。少々、下品かもしれないが、厭らしさは感じない彼の冗談をミーナは嫌っていなかった。


「大分、鍛え込んだんじゃないかい?」


「日々のバルクアップはバーバリアンの嗜みですから」


そう言って、ポンッと胸を叩いて見せるミーナに、店主は「うんうん」と頷く。


「惜しいなあ。俺があと二十も若けりゃあ、ミーナちゃんを」


「どうする気だい?」


「もちろん口説く…に……」


「あ……」


だらだらと冷や汗を流すミノタウロスの前でミーナも「しまった」と口を抑えるが、既に遅いのは火を見るより明らかだった。ミーナの視線の先、ミノタウロスの店主の後ろから出て来たのは、店主よりも一回り小さいミーナと同じくらいの身長のミノタウロス。但し店主とは違って大きな角の無い女性のミノタウロスだった。


「へぇぇぇ。まだ店閉めてすら無いのに随分とお盛んだねぇ?」


そう言いながら、後ろから出て来たミノタウロスの女性は店主の頭を抱え込むとギリギリと締めあげる。


「往来のど真ん中で何みっともない事やってんだい!」


「ご、ごめんよ母ちゃん!」


悲鳴を上げながら何度も腕を叩く店主の事を無視してミノタウロスの女性はグイッと更に力を込める。


「あ、あのっ!」


店主の悲鳴が一段と大きくなったのに見かねて、ミーナがミノタウロスの女性に声を掛ける。


「おや、ミーナちゃんじゃないかい」


「こんばんは」


ぺこりと礼儀正しくお辞儀をするミーナに、「はい、こんばんは」とミノタウロスの女性はにこやかに挨拶をする。


「ミーナちゃん、仕事帰りかい?」


「はい、今仕事が終わって戻って来た所です」


「そうかい、毎日大変だねぇ」


と、そこまで言った所でハッと表情を変えてミノタウロスの女性は更に腕に力を込める。


「あんた!よりにもよってミーナちゃんにちょっかい掛けたのかいっ!この子はねえ、あんた等みたいな親父連中の下品なネタ向けて良い様な子じゃ無い、根っからの箱入りなんだよ!」


「ひいいぃぃ!!」


「ま、待って下さい!」


最早泣き声になった悲鳴を聞き流石に止めに入るミーナ。


「おじさんは私とちょっとお話してただけですから」


ミーナの言葉を聞き、少し力を緩めたミノタウロスの女性は店主の頭を見下ろす。


「本当かい?」


その言葉に、店主は何とか頭だけ縦に振って自分の妻に身の潔白を訴える。


「ふ~ん……」


ゆっくりと頷きながら、女性は店主を開放する。何とか腕から抜け出した店主は「ひ、酷い目にあったぜ」と小さく呟く。そんな店主をじろっと睨む女性の様子に、ミーナは慌てて間に入る。


「て、店主さんは何も悪く無いですよ!私もお話ししていて楽しかったですし!」


必死に店主を庇おうとするミーナの様子に、ミノタウロスの女性は一つ溜息を吐いて「いい、ミーナちゃん?」と、ミーナに言い聞かせる様にピッと指を一本立ててみせる。


「貴方が優しくて、親父連中の下品な馬鹿話にもつい付き合っちゃう様なお人好しだっていうのは、あたしが一番分かっているけどねぇ」


言いながら、既に体は成熟しているにも拘らずどこかあどけなさを残すミーナの顔を見詰める。


「優しいって事と無防備ってことは全く別なんだよ?」


自身を心から心配しての言葉だと分かる為、反論の様なものを出せず言葉に詰まるミーナ。


「自分の旦那だから良く分かるんだけどね。皆ミーナちゃんみたいな若くて気立てが良い子が自分の馬鹿話に付き合ってくれるのが嬉しくて仕方がないのさ。でもね、こんなのはまだ可愛いものさね。もし、男連中が本気で襲ってきたら、いくらミーナちゃんでも危ないもんは危ないんだよ?」


「それは……」


店主の妻であり、同じ女性としての言葉に、ミーナは返す言葉が無い。仮に、ワーウルフや人間が相手なら十人程度なら問題無く相手取れるミーナだが、もし種族が自分と同じバーバリアンや体格の良いミノタウロスなら筋力差で押し切られてしまう。それだけ、種族における性差というのは大きいのだ。嘗て、とある事情から国軍に志願し、性差を理由に門前払いをくらった経験のあるミーナは、その事も思い出して大きな体をしゅんと悲しげに縮みこませる。その様子に、流石に言い過ぎたと感じた店主の妻は気分を切り替える様にパンッと手を一つ叩く。


「そういえば、ミーナちゃん晩御飯はこれからかい?」


「はい……」


「じゃ、ちょっと待っておいで」


そう言って、ミノタウロスの女性は一旦店の奥に引っ込み、そしてすぐに大きな鍋を抱えて戻って来る。


「ほら、これ今晩の残りだけど、温めればすぐに食べられるから」


「え、いいんですか?」


思わず受け取ってしまった物の、鍋丸ごと一つ。ついでに言えば、ミーナはバーバリアンとしては少食な方だがあくまでバーバリアン基準であって、一食の量はそれなりの物になる。が、自身もミノタウロスである主婦はその辺もしっかりと心得ていた。


「大丈夫大丈夫!うちのが食べる量に比べたら、そんなの大した事無いから!」


そう言ったミノタウロスの女性は既に店主との間に五人の子供がいたりする。なんだかんだで夫婦仲はとっても良かったりするのだ。


「今日遅かったって事は、明日出るのも遅いんだろ?だったら、出勤する時に渡してくれればいいから」


「えっと、その」


どうしたものかと戸惑うミーナに、ミノタウロスの女性は「気にしないで」と返す。


「若いうちから遠慮なんかしちゃダメよ?」


「じゃあ、御言葉に甘えて。ありがとうございます!」


「うん、よろしい」


小さく頷いたミノタウロスの女性は自分の夫の方を振り返ると角を掴んでさっさと店に引っ込む。


―あんた、今晩は覚悟しておいで―


―お、おう……―


どこか緊張したミノタウロスの夫婦の会話の意味を察して、思わず赤面したミーナだったが、フルフルと首を振ってすぐに家路についたのだった。





 街の入り口から中心部を過ぎた東端部にミーナの家はあった。が、それは家というよりは邸宅に近い大きな門を持っていた。当然と言えばある意味当然で、ミーナの家は数年前までロルスック共和国において数少ない貴族制度の爵位を持つ家だったのだ。尤も、ロルスック共和国における貴族の権限という物は隣国のヴィニーネ王国程強力な物では無いし、せいぜいが税金面での優遇措置がある位のものであるが。


「ただいま~」


光一つ入っていない家の鍵を開けて中に入ると、真直ぐリビングに向かうミーナ。そして、暖炉の上からゴブリン製の歪で妙に複雑なライターを取り、中の薪に火をつける。中に付いたフックに鍋を掛けると、此処で一息ついた様に息を吐く。


「はあ~、疲れたぁ……」


暖炉の前のソファに座りこんで、うーんと伸びをする。パチパチと音を立てる温かな光に顔を撫でられながら、ミーナは今日の山の中で起きた事を思い出していた。


―目の前に飛び込んで来た青い光―


―空中に浮かび上がった立ち姿―


―霧の様に掻き消えた紫色の背中―


まざまざと脳裏に蘇る超常的な現象。普通ならば決して起こり得ない。否、『ロルスック共和国では』絶対に有り得ない光景だった。何故なら、


(アレは間違い無く魔道だった……)


あの現象が魔道だったからである。

 このマギーク大陸には五つの国家と四つの魔道がある。


大陸中央の最大の王国ヴィニーネ王国の聖道


大陸北部に位置する傭兵国家ギルド・ミラルドの邪道


東部に茂る森林地帯の連邦国家カンデラブラ首長国連邦の生道


そして、大陸西部に位置する魔道学の最先端国家、ジャージャー諸島の介道である。


嘗てはロルスック共和国にも固有の魔道があったらしいのだが、数百年前に消失してしまったという記録が僅かに残るのみである。が、そんな事は重要では無い。問題なのはあの男性が、間違い無くミーナの前で魔道を使ったという事である。


(今街で起こっている子供の誘拐事件も、あの人が?)


チラリと考えたミーナだったが、首を傾げた。今、この街では十日に一度程の割合でゴブリンやバーバリアン、ミノタウロス関係無しに子供の誘拐事件が起きていた。犯人は未だ知れず。それらしき姿を見た者も居おらず、被害者は既に片手では足りなくなり捜査は完全に手詰まりとなっていた。だが、その犯人が魔道士だったとしたら?


「……」


ミーナは無言で頭を横に振り、その考えを打ち消した。もし仮に彼が犯人だったとしたら、何故あの時自分を助けたのか疑問が残る。それに、甘いと言われるかもしれないが、ミーナは自分を助けてくれた相手を疑うような真似をしたくは無かった。ただ、彼に会って少しだけ話がしたかった。


(もしかしたら、魔道士ならこの事件の事を話せば原因が分かるかもしれないし。それに……)


脳裏に一瞬過ぎった嘗ての兄。その影を打ち消す様に頭を振って、そろそろ温まった鍋の蓋を開ける。


「とにかく、明日になったら隊長に報告をしないと」


呟いたミーナの鼻孔を美味しそうな肉の匂いが擽った。





     ◆





 翌朝。昼までは休みではあるが、普段から早寝早起きの習慣が身に付いているミーナは朝食と掃除を終えて、自宅のとある一室に来ていた。こうやって朝に時間の余裕がある日は、ミーナは昼までの時間を趣味に充てる事が多かった。


「……」


部屋の隅に備え付けられたクローゼットの前で、寝間着として使っているフリルがふんだんにあしらわれた薄いピンクのネグリジェを脱ぐミーナ。別に彼女に羞恥心が無いという訳では無く、単純に全面鏡張りで窓の無いこの部屋ではそれ程気にする様な事では無いというだけの話である。そして、脱ぎ去った衣服を下着類も含めて丁寧に畳みクローゼットに仕舞い込む。代わりにクローゼットから取り出したのは、飾りや模様の無いシンプルな下着。但し、その肩紐だけでなく下の方のサイドや股の部分も紐状になっており、バックも布地が殆ど無い全身の筋肉の露出が多いデザインとなっていた。綺麗に洗濯されたその下着を、ミーナは慣れた手つきで身に付けていく。カラーリングはお気に入りの緑色。自分自身の瞳の色と同じ翡翠の色だった。その次に、一緒に置いてあった小箱から二本の黒いベルトを取り出し、少しきつめに両方の手首に巻いていく。それが終わると、一旦その場でくるりと回り、下着のずれをチェックする。そして、問題無い事を確認すると、クローゼットの上にある奇妙な機械に取り付けられた針を中央の円盤の上に乗せる。ゴブリン製の奇妙な機械の一つ。回転する円盤を針が滑り、その機械は自動で音楽を奏で始めた。


「ふうっ……」


リズミカルに始まった音楽を聞きながら、まず一度息を吐いて体をリラックスさせる。そして、落ち着いた足取りでばねや重りの器具の間を抜けて部屋の中央へと歩いて行く。三方を鏡張りの壁で囲まれた広いスペースでクルッとターンを決めるミーナ。磨き上げられた筋肉が、何時でも膨張し躍動する準備が整った事を告げる。


「すぅ~……んっ!」


 胸元でクロスさせた両腕を大きく外に回し、一直線に伸ばしたまま肩の上まで持って来た所で一気に引き絞る。瞬間、強靭なミーナの二の腕が膨張し、人間の大人の頭程もある力瘤が隆起する。二度三度見せ付ける様に腕に力を込め直すミーナ。その度に、血管が浮き上がり膨らんだ筋肉がビクビクッと自己主張をする。ここ最近の集中的なトレーニングの効果をハッキリと映し返して見せる筋肉に、ミーナは思わず顔をほころばせた。

 次に、先程とはまるっきり逆の手順で腕を伸ばし、そのまま大きく内側に巻きこんで行く。そして、下ろして来た右の手首をベルトごと左の手で持ち、そのまま右腕を肘から背中の方へと引っ張ってゆく。右手の方に張られた鏡をくるりと振り返れば、大きく張られた胸の筋肉に支えられ、ツンと上向いた豊満で形の良い胸元が分厚い筋肉に押し上げられて普段より一層力強く前にせり出している。


「うん」


日々のトレーニングの中で特に気を使っている筋肉の期待通りのパフォーマンスに、ミーナは満足げに頷いた。

 それが終わると、今度は一転。少々緊張した面持ちで右の足を引きながら、背中に捻りを入れつつ片膝立ちになる。両の腕は当然力瘤を作っているが、それ以上にミーナが注視しているのは背中の筋肉と尻の筋肉だった。背筋は綺麗にブロックに分かれており、それを見たミーナは少しだけホッとした様に溜息を吐いたが、下の方にある尻の筋肉を見て少し悔しそうな表情を浮かべた。人間やゴブリン、ワーウルフに比べれば遥かに鍛え上げられているミーナの臀部の筋肉だが、太腿や胸の筋肉の造りから見ると少々物足りない感がある。その事は本人が一番自覚しているらしく、内心で明日からのトレーニングの内容を新たに考え直している。

 それが終わると、今度はゆっくりと立ち上がり、再び腕を下ろしていく。そして、両手を腰に添えて、直立のまま一旦胸を張る様にして大きく背中のシルエットを作った後、肩甲骨を中央の背骨に寄せる様にして背筋の筋肉を確かめに入る。丁度三方のうちの二枚が合わせ鏡の様になり、振り返らずにもミーナの分厚い背中の筋肉をチェックする事が出来る。


「よし……」


 背中のチェックも終わり、再び中央を向き直るミーナ。腰元にあった腕を今度は大回りさせずに後頭部に添え、そのまま腹と両足に力を込める。人間の大人の男性の拳程もある六つに割れた腹筋の間をツツーッと滴り落ちた汗がミーナの際どい下着に染み込む。そして、自身の胴体に勝るとも劣らない太さを誇示する太腿がゆっくりと、しかしハッキリと力強く膨張して見せる。期待以上。そんな評価をつけたくなる自身の太腿に、ミーナは嬉しそうに微笑んだのだった。

 次がトリ。元の体勢のまま両腕だけを体の外に向けて真直ぐに伸ばす。自然と弧を描いた両の腕の先で拳をゆっくりと握り締める。そして、


「んっ!!」


腕を一気に振り下ろす。隣立つ空間を文字通り押し潰す勢いで弧を描いた両手は、ブォン!と音を立てて彼女の臍の前で再びかち合う。歯を食い縛って込められたミーナの力に呼応するかのように、その上半身がググッと一回り肥大して鏡に映る。呼吸が一つ、二つと続く間、ジッと自身の姿を見詰めるミーナ。


「ふぅ……。えへっ♪」


やがて、納得がいったのか小さく満足げに頷いて、少し照れながら嬉しそうな笑みを浮かべたのだった。





 朝のトレーニングが終わり、風呂でサッと汗を洗い流したミーナは身支度を整えると家を出る。途中、昨日の鍋を忘れずに返し、一路向かった先は勤務場所である山岳保安隊の詰所だった。


「こんにちは~」


「あら、こんにちは!」


返された活気のある挨拶に思わず笑いながら、ミーナは近くで何やら書類を纏めている同僚のワーウルフに声を掛ける。


「あの、ネストさん」


「ん?どうかしたかしら?」


鉛筆を止めたワーウルフは、顔を上げてミーナの方を振り向く。


「隊長って、今居ますか?」


「ああ。今日は珍しく逃げ出してないみたいよ」


ミーナの質問にそう答えたネストと呼ばれたワーウルフは可笑しそうにクスクスと笑みを漏らす。


「そっか……ありがとうございますね、ネストさん」


「ええ」


一言礼を言って隊長室に向かうミーナの後ろで、ワーウルフの男性もひらひらと手を振ったのだった。





「失礼しますっ!」


「おう、入れっ!」


 ドアをノックしたミーナの声に、野太い男性の声が返って来る。部屋の入り口にある『隊長室』と書かれたプレートの下の名札が無くなっており、中の主が珍しく在室である事を告げている。


「なんだ、ミーナか」


「おや……」


「あ……」


最初に顔を上げた正面の男性が、ミーナが所属する山岳保安隊の隊長である。バーバリアンとミノタウロスの混血という血統以上に本人の資質が凄まじく、人間の子供の足程もありそうな角も合わせれば、身長はミーナの一.五倍にもなる。そんな彼の向かいには、山岳保安隊には似合わぬとても小さな姿。とても山々を駆けまわっているようには見えない貧弱なゴブリンだがそれも当然と言えば当然で、副隊長という肩書ではあるが彼の仕事は保安では無く、山岳保安隊の経理である。


「どうした、ミーナ?」


少々苦手な相手がいた事に一瞬気まずそうにするが、隊長に話を振られてすぐにミーナは気を取り直す。


「実は、昨日の事で少し報告がありまして」


「ん?ああ、昨日のゴブリンの。あれなら御両親が朝早くから来て礼を言ってたぞ。お前が居なくて残念がってたが」


「全く、いくら非番とは言え仮にも街の治安に携わる者として自主的に出勤しようという意志は無いのでしょうかね?」


隊長の言葉を聞いて、ゴブリンが厭味ったらしくミーナを横目で見る。その視線に、困った様にもじもじと身じろぎするミーナ。そのような事を言われても、非番の時まで出勤すれば邪魔になるだけだ。しかも、非番の際に無理をして通常業務に支障をきたしては元も子もない。いくら上司とはいえ、言いたい事はあったが逆らう訳にもいかず、ミーナは「申し訳ありません」と頭を下げた。


「ふんっ。まあいいでしょう」


鼻を鳴らしたゴブリンとミーナの様子を見ていた隊長が「それで」と首を傾げる。


「報告って言うのは昨日の事じゃないのか?なら、書類に記録をしておけばいいぞ」


「いえ、それだけじゃ無いんです」


ミーナは首を横に振った。


「何?」


「実は……」


訝しげな表情をする隊長と副隊長に、ミーナは昨日の化け物の事と見慣れぬ衣服の男の話をしたのだった。


「ばかばかしい!」


 ミーナの話を聞き終わっての副隊長の第一声はそれだった。


「貴方、まさか勤務中に寝ぼけていたんじゃないでしょうね?このロルスック共和国は、大陸唯一の魔道二流国。そんな所に好き好んで来る魔道士が居る訳が無いでしょう!」


「ふーむ……」


魔道の二流国というのは大陸の五カ国の中で唯一国魔道を持たないロルスック共和国への揶揄と蔑称となっている。魔道とは魔道士の研究の歴史であり、その下地を持たないロルスックでは魔道士は基本的に自身の修行や研究すらままならない。故に、魔道士達は皆ロルスック以外で研究をするもの。それが大陸での大原則と言ってよかった。ミーナが見た光景は本来ならば有り得ない光景。そう主張するゴブリン。だが、ミーナは確かに見たのだ。


「私は寝ぼけてなんていません!本当に見たんです!」


「そんな事は有り得ませんっ!」


思わず声を荒げるミーナに、副隊長もガラガラとした声で反駁した。が、その言葉にミーナは反応する。


「なら、確かめさせてください!」


「確かめるですって?どうやって!?」


「山岳の調査をするんです!山の中になら私が言った事が本当だという証拠は見つかる筈です!」


「我が山岳保安隊には、警備に穴を開ける様な暇や人員は無い!」


一顧だにしないゴブリンとミーナの主張が平行線をたどる。ミーナとしては、昨日の事をなんとか確かめたいのだが、ゴブリンの方は意地でも魔道士を探したくないのだった。ゴブリンがここまで意地になる理由。それは、一言でいえば隣国、ヴィニーネ王国が原因だった。

 ロルスック共和国と大陸中央に覇を唱えるヴィニーネ王国は長年緊張関係にあった。古くは数百年前、建国期のヴィニーネ王国の斥候が大量にロルスック共和国に放たれた事に端を発する。その後、幾度となく侵略戦や防衛戦、小競り合いを経験して来たロルスック共和国には、潜在的にヴィニーネ王国に対する恐怖が刷り込まれていた。そして、その根源にある物が……魔道である。ヴィニーネ王国が建国されてから凡そ三百年。その練り上げられた魔道の技術は凄まじく、たった一つの魔道が戦況をひっくり返して来た事もざらである。辛うじて急峻な山岳地帯という城壁に守られて独立を保って来たものの、ロルスック共和国は何時ヴィニーネ王国の属国になってもおかしく無かったのである。その事実が、ロルスックの者達に魔道に対する徹底的な恐怖を植え付けた。ゴブリンの副隊長の反応も、ロルスックの民としては平均から外れる事は無い。だが、それとこれとは別問題だという思いがミーナにはあった。証拠一つ見つからない事件が仮に魔道で起こされているのだとしたら、それを解決する事が出来るのは同じ魔道士だけだ。


「今、街で起きている事件だって魔道が原因と考えれば証拠が無い事も説明がつきます」


「そんな事実は有り得ません!魔道士がこの街に居るだなんて!」


「ですが、今街で起きている事件は証拠一つ上がらないじゃないですか!」


「貴方達がこんな下らない妄言にかまけないで、まじめに捜査をしていれば既に事件は解決している筈です!」


歯を剥き出しにして怒鳴り散らすゴブリンと、今にも掴みかからんばかりの体勢で叫ぶミーナ。そのミーナの表情を見て、ゴブリンは怒りを引っ込めてニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。


「貴方、まさか私が知らないとでも思っているのではないでしょうね?」


「何が……ですか?」


訝しげに、形の良い眉をひそめたミーナに、ゴブリンは勝ち誇った表情で告げる。


「貴方のお兄さんの事ですよ」


「!?」


ゴブリンのその言葉に、ミーナの表情が一変する。


「貴方が妙に魔道に執着する理由……。成程、そういった経験をすれば自然と執着するようになるでしょう。ですが、そんな個人の事情を職場に持ち込むなんてあってはいけない事。仮にも私達はこの街の治安に携わっているのですから……ん?」


気取った調子で滑らかに下を滑らせるゴブリンの言葉が、不意に途切れた。自身の顔にかかった影に首を傾げる。そして気が付く。このゴブリンは、自身が今バーバリアンの拳の間合いにすっぽりと収まってしまっている事を。


「ちょ、ちょっと」


「……」


「お、落ち着いて下さ」


「ミーナ、少し落ち着け」


「きゃっ!?」


怒りとバーバリアンの本能で爛々と輝いていた両目を、パシンと急に頭を叩かれてミーナは白黒させる。二人のやり取りに割って入ったのは先程から黙っていたミノタウロスの隊長だった。


「た、助かりました隊長。ミーナ隊員!貴方は一体何をしようとしていたのですか!?」


「副隊長、落ち着くのはお前もだ」


「は……」


ピシャリとした隊長の言葉に、ゴブリンも又呆ける。


「ミーナに事情があるのは分かるが、それを加味する事は出来ん」


「ええ!当然ですとも!」


「だが、それは副隊長も同じだ」


「は?私の事情ですか?」


訳が分からないといった様子で首を傾げるゴブリンと戸惑った様子のミーナにミノタウロスの隊長は自分の考えを聞かせる。


「まず、ミーナ」


「はい」


「現状、隊は不確かな情報に人員をさく余裕は無い」


「はい……」


しょんぼりと顔を俯けるミーナだったが、その頭に、「だが」という続きが投げられた。


「ミーナが見たという魔道士についての調査はしなければならないだろう」


「そ、それは危険です!」


ゴブリンが思わず叫ぶが、隊長は首を横に振って却下した。


「副隊長が言う様に魔道士は脅威と言っていい」


「なら……」


「だからこそ、この街の治安を預かる者として調査はしなければならないだろう」


「そ、そこまでする程の」


「それに、」


反論しようとしたゴブリンの声を再び遮るミノタウロス。


「現在街で起きている誘拐事件はやはり妙だ」


そして、考え込む様に自身の顎を撫でつける。


「普段の事件なら既に証拠や証言の一つくらいは見つかっても良い頃の筈だが、それすら無い」


「それは、隊員の捜査の態度が……」


「普段とやっている事は変わらんのにか?」


ミノタウロスの言葉に、ゴブリンは二の句を告げないでいる


「犯人が魔道と言われれば納得できる状況ではある」


「そう……ですね……」


隊長の言葉に、ゴブリンは悔しそうに同意したのだった。


「ミーナが見たのが犯人であれば逮捕。そうでないならば魔道士としての意見を聞きたいところだ」


その言葉で、大勢が決していた。


「ミーナ。明日すぐにもう一度山を捜査してくれ。もし仮に魔道士がいたなら犯人かどうかの調査もだ。いいな?」


「はいっ!」


ピシッと力強い敬礼をミーナは返したのだった。





「ミーナ、大丈夫だったかしら?」


「ネストさん……」


 隊長室から出て来たミーナを待っていたのは、ネストと呼ばれた同僚のワーウルフの男性だった。心配そうに首を傾げるネストに、ミーナは「ええ」と頷く。


「ならいいんだけど……貴方達二人の怒鳴り声こっちまで聞こえたわよ?」


「あ、あははは……」


彼の言葉に、顎元で真直ぐに切り揃えられた揉み上げを弄りながら、誤魔化す様に視線を逸らすミーナ。その様子に「しょうがない子ね」と苦笑するネストだったが、すぐに表情を引き締める。


「明日、魔道士を探しに行くのね?」


「はい」


コクリと頷いたミーナの顔を見上げながら、彼は小さく溜息を吐く。が、その表情はゴブリンの副隊長と違いミーナを気遣っているものだった。


「魔道士がどれ程怖いものなのか……貴方は分かっているわね?」


「はい」


「それが、場合によっては貴方自身の命に関わる程である事も分かっているわね?」


「はい」


「それでも、行きたいのね?」


「……はい」


気まずそうにしながらも、ハッキリと頷いたミーナを見てネストは「なら私からこれ以上言う事は無いわね」と頷いた。


「今日の仕事は報告書だけで後は待機でしょ?」


「はい、そうですけど」


「なら、もう帰っていいわ。後は私がやっておくから」


「え、でも……」


「貴方は、英気を養って明日に備える事だけを考えなさい」


そう言って去って行くネストの背中に、ミーナは「ありがとうございます!」と頭を下げた。ひらひらといくつも腕環と指輪がはめられた手を振って返したネストだったが、ふと途中で振り返った。


「死んじゃダメよ?」


真剣な表情。その一言に、ミーナは僅かに緊張した面持ちで頷いた。

 この国の魔道に対するコンプレックスや恐怖は根深い。ミーナも又複雑な思いを抱えているという意味では彼らと同じだった。だが、


「怖がってちゃ、何も出来ない……よね?お兄ちゃん……」


ミーナには、魔道と相対しなければいけない理由があった。

 詰所の入り口を、少しだけ窮屈そうに身を屈めながら潜り抜けるミーナ。銀色の彼女の髪に弾かれた光がキラキラと雫を零している様だった。






こんにちは、鶴海手長です。題名の部分を章にするか話にするかで迷っていますw

今話は起承転結の承にあたるので、特にアクションは無し。

代わりにフェチをぶち込んだ感がありますがwww

この作品のコンセプトは「筋肉娘ヒロインで王道の小説をする」です。

なので、ヒロイン以外に目新しい物は無いかな?

更新ペースは不定期だと思いますが、これからも頑張っていきたいと思います。

よろしくお願いしますm(__)m

あと、感想お願いします。話が進んでないのもあるとは思いますが、一言だけでも力になりますのでお願いします(TT)

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