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第二話

 翌日、昨日に比べて随分早く目を覚ましたミーナは、いつも通り身支度をすませて身だしなみを整えると、山岳保安隊の制服に着替えて登山の準備をする。普段はストレートにしているロングヘアーを今日は長い三つ編みにして、その先を紅いリボンで縛っている。


「……よし!」


靴紐をきつく結びあげたブーツの締まり具合を確認し、リュックサックを手に取る。場所自体はそこまで遠い訳ではない。が、魔道士という知識だけの相手に対し相対するにはやはり自分が出来る万全の準備をしておきたかった。シュッと袖を通した灰色の迷彩柄の制服は、山岳地帯で隣国カンデラブラの魔獣が紛れ込んだ際の捕物に使用される物である。通常の布の様な材質でありながらゴブリンの妙な発明のせいかやたらと防刃性に優れている物だ。

 一式の装備を整え終えたミーナは早速一昨日の山へと向かうのだった。





     ◆





 ザッザッと規則正しいリズムを刻むブーツの音。岩々の隙間に響き渡るかすれた音がミーナの耳を軽快に過ぎ去る。心地よい連続に釣られて、ミーナの足は更に繰り返しリズムを作り出す。頬にうっすらと掻いた汗と、それを弾く乳白色の健康的な肌がそろそろ高く昇りそうな日の光を反射してキラキラと輝いて見える。


「んしょ……」


小さく漏らしながら、人間の子供程の大きさの岩を一跨ぎで越える。初めはなだらかだった山の斜面はそろそろ険しくなり、岩肌も人の手が行渡っていない荒々しい素肌を見せ始める。


(そろそろ……かしら?)


内心でポツリと呟くミーナ。昨日の夜に大狼と戦い、そして、あの奇妙な姿をしたぐりぐり眼鏡の魔道士と出会った場所が……である。


「確かここよね……」


呟きながら、しゃがみ込むミーナ。昨日の夜、ゴブリンの子供を横たえた岩場がである。


「そして、私が向かった方向がこっち……」


呟きながら、確かめる様に一歩ずつ進んで行くミーナ。いくら昨晩が雨一つ降らない夜だったとはいえ、普通の人間であれば翌日に足跡が残るという事はまずない。だが、幸いにしてミーナはバーバリアンであったし、あの大狼と争った跡はそう簡単に消える様なものでは無かった筈だ。そう考えながら、昨晩の戦いの場に着いたミーナ。激しく争った跡だけでなく、地面に抉られた様な傷が付いており、あの化け物の力がどれ程凄まじいものであったかを物語っている。そして、それをいとも容易く退けて見せた昨日の青年の力も……。


「……」


一瞬、脳裏を過ぎった昨日の光景を、軽く目を瞑って振り払いながら、辺りをくまなく観察する。昨日、自分が争っている場に、彼がどうやって、やって来たのか?等と疑問は尽きない。


「これが、昨日の帰る時の足跡よね」


地面にしゃがみ込んでジッとその一点を見詰める。若干湿った砂についた、薄い二本の平行線。木で出来ていた、特徴的な履物だからこそ付く二本の爪後に、僅かながら緊張した面持ちでコクリと唾を飲むミーナ。とはいっても、その足跡の追跡自体は数秒しないうちに終わってしまう。当然と言えば当然だ。昨日の夜、彼はミーナを助けた後に足跡を残す事無く、空を浮いた上に姿を消して居なくなったのだから。


「続きは……無いか……」


呟いてミーナが、その人間の頭程もある肩を落とした。『魔道』という物は、ミーナに取って少なからず意味を成す言葉だった。出来れば、その存在を深く理解したいと思う程に。が、固有の魔道を持たないどころか、魔道を恐怖して止まず、拒絶し続けるロルスックではそれはほぼ不可能と言ってよかった。山岳保安隊の副隊長であるゴブリンのヒステリックな反応も、少々大げさとはいえこの国のスタンダードな反応から外れている訳では無かった。そんな中降って湧いた魔道を知ることが出来るかもしれない可能性。ミーナは自身が思っていた以上に、内心でこの魔道との出逢いに期待を抱いていたのだと知る。


「帰って、報告書を書かないと……」


時間にして数分、ジッと途切れた彼の足跡を眺めていたミーナはポツリと呟いてノロノロと立ち上がる。その顔は相変わらず健康なものであったが、表情は隠しきれない落胆の色が浮かんでいた。別段何か疲れる様な事をした訳ではないにも拘らず、足取り重くミーナはその場を去ろうとする。だが、



ザブンッ!



不意に、そんな音が響いて来た。


「えっ!?」


思わず振り返るミーナ。急峻な山岳地帯であるだけでなく、木々が疎らにしか生えないことからも分かる通り、この国境側の山間部はあまり水が豊富ではない。幸いにして街の水は別の山から流れる水源がある為問題無かったが、間違ってもこの方面にはこんな大きな液体の音がする様な水源は無い筈だった。


「……」


ミーナの表情が俄かに真剣なものになる。ミーナは、ロルスックでは珍しくある程度魔道の知識を持ったバーバリアンだった。それは、あくまでも個人で集められる範囲のものだったが、それでもいくつか大雑把な予備知識を備える事は出来ていた。


(昨日の青白い光もそうだけど……まさか、水を自分で造り出したのかしら?)


内心で呟きながら、ほぼ確信に近い昨日の魔道士の存在を予想して、はやる気持ちを抑えきれないと言わんばかりに走り出す。パシャリ、パシャリと時折響く水の様な音が一回ごとに大きくなるように感じられる。ミーナは山岳保安隊だ。少なくとも自分の担当地区の地図は全て頭に入っていた。走りながら、水源など無い事を再確認し、彼の存在を再び確信する。


(絶対に……見つかる!)


表情を真剣なものにしながら、ググッと速度を上げるミーナ。込められた本人の力によってかパンパンになる警備隊の制服。しかし、本人はそんな事はお構いなしに突き進んでいく。既に、地理の事は頭から消え失せていた。


それが拙かった……







「はあっ、はあっ……」


 地面に蹲り荒く息を吐くミーナ。頬を伝った球の汗が、顎の辺りで真直ぐに切り揃えられたミーナの髪のサイドをしとどに濡らしている。ポタリ、ポタリと水滴が地面に落ちる。だが、それは黒い土に染み込んですぐに見えなくなる。


「……」


その様子をじっと見ていたミーナが僅かに視線を上げる。だが、疎らに入る木漏れ日が僅かに辺りを照らすだけで、ハッキリとした光は目に映る事も無い。ミーナの周囲、そこには本来ならば決してあり得ない物達、青々と茂った木々が生えているのだった。


「はあっ……はあっ……」


その周囲の森林を悔しそうに見回すミーナ。形の良い三日月形の眉がきりりと釣り上がる。


「んっ!」


そして、やおら立ち上がるのとほぼ同時に枯葉が積み重なる地面を蹴って走り出した。

 周囲の光景がくるくると移り変わる中、銀色の髪を棚引かせるミーナは、その巨体を大きく揺らしながら疾駆する。彼女の体型には些か以上に窮屈な木々を掻き分ける様に、手で幹を掴み無理矢理避けつつ前進する。走り去った後にはその握力によって削り取られた木の肌と体重によってくっきりと浮かんだブーツのスパイクの痕が残るだけである。そして、


(また……!)


ミーナの視線の先、そこには一本の木が、しかし、その幹には他の木と違い大きく×印が彫られてあった。その印は他でも無いミーナ自身が先程刻んだものであった。


「やっぱり……」


緩々とスピードを落として、その木の前に立ったミーナは何かしらの確信を深めた様に呟いた。


「この森は……介道の幻」


次の瞬間、ミーナの周りから黒が消えた。空を覆う分厚い葉の天幕、周囲を包囲する木の幹の大軍、そして、彼女が踏みしめる枯葉の絨毯。


「え?」


思わずそんな音が漏れた。周囲を囲うのはただただ青い空。そして、見下ろした先には先程まで自身が踏み締めていた筈の大地が……。


「きゃああぁぁ!?」


大地に引かれ、ミーナの巨体は真直ぐに落下して行くのだった。





 垂直落下をしながらも、ミーナは何とか体勢を立て直そうとする。幸いな事に斜面が近く、手を伸ばせば触れる事は出来る距離にある。


「くっ!」


が、それが失敗する。ミーナ自身は自分の体を両腕で支える位訳も無いのだが、肝心の岩肌がミーナの重量に耐えきれずに脆く崩れてしまう。それでも何とか斜面にへばりつこうと二度三度と両手足を壁面にぶつける。だが、全て脆く崩れ、あるいは頑丈な岩盤を指が貫けずに停止の為の足場を作れない。幸いにして、この繰り返しのおかげで落下の減速には成功していた。


「あっ!?」


不意に視界に入った地面に思わず声を上げる。斜面に突き出た突起。岩肌に露出した鋭い岩石が目前に迫っていた。咄嗟に身を丸めるミーナ。鍛え上げられた背筋がググッとせり上がり、彼女を護る強固な盾となる。そして、


「くぅぅぅ」


激突した瞬間、ミーナが苦しそうな声を漏らす。岩の突起に弾かれたミーナは、そのまま斜面から飛ばされ放物線を描いて、何故かそこにあった溜池の様な所にピンポイントで落下したのだった。大きな水音と飛沫を立てて水柱が上がったのだった。


「ゲホッ!ゴホッ!?」


顔中に大量に入り込んで来た水に、思わず咳込んでしまう。全身水浸しに成りながら立ち上がったミーナだったが、濡れて張り付いて来た前髪を拭う途中、不意に妙な力に引かれる様に真横に吹っ飛んだ。


「きゃっ!?」


小さく悲鳴を上げるミーナ。と同時に、強い衝撃に一瞬息が詰まる。先程の水と合わせて咳込んだミーナは苦しそうに俯くが、投げ出される様な体勢で固定された両手足に、自身の胸を撫でる事も出来ないでいる。そして、四肢の圧迫感ともつかぬ違和感に視線を向けると、手首足首共にチラチラと燐光を放つ昨夜と同じ青白い光の輪があった。


「これはっ!」


すぐにハッとなるミーナ。そして、素早く首だけで辺りを見回す。


(いない……)


若干気落ちした様子で、そして、それ以上に恐怖を翡翠色の瞳に湛えている。


―ミーナ……俺は、俺はっ!―


「!!」


一瞬脳裏に浮かび上がった光景を振り払う様に、ミーナは頭を振る。そして、すぐさま両の手足に思いっきり力を込める。


「んむっ!」


両腕の筋肉がググッと盛り上がり、込められた力の強さを象徴する様にミーナの力瘤が膨れ上がる。


「ん……」


だが、強固に繋げられた光の輪は一向に取れる様子も壊れる様子も見せない。ただ、ミーナの手首と足首でチラチラと輝いて漂うだけである。


「んくぅぅぅ」


ギュッと握った両の手と光の輪に堰き止められて溜まった血管がピクピクと文字通り脈動する。


ゴリッ……


小さい音だったが、それは確かにミーナの耳に届いた。見れば、相変わらず青白い光はミーナを捕えたままだったが、固定している台に当たる岩肌の方が僅かばかりではあるが軋んでいた。


(いける……)


内心で湧き上がる安堵に似た呟きを持って、活力へと昇華する。ミーナは胸を膨らませつつ大きく息を吸い込むと、再び全身に力を込めた。


「ん……あああぁぁぁぁぁ!!!!!」


一瞬ごとにビキリ、ビキリ、と音が鳴る。ぶるぶると自らが込めた力で震える腕を支える身体は一回り程膨張して見える。ギシギシと鳴る岩肌がミーナの腕と言わず膨張した背筋の圧や豊かな胸元を支える強靭な大胸筋に引かれてズズッ……ズズッ……と少しずつ動き始める。パラパラと零れ落ちる岩の漆喰たる砂が地面に吸い込まれて見えなくなる。そして、



ボゴンッ!!



「あっ!?」


思わずつんのめったミーナだったが、しっかりと両腕を突き出して、地面にその可愛らしい鼻頭を打ちつけてしまう前に身体を支える。


「と、取れた……」


安堵の溜息と共に、笑顔を浮かべるミーナ。まだ、青白い光の拘束具は付いたままである上に、人間の大人の頭程の岩石の重りまで付いてきてしまっているが、この程度の重量ならば、普段ミーナが筋トレに使かっている重りの方が遥かに重かった。


「今度は、こっち!」


地面に両手を突いて、片足を引き抜きにかかるミーナ。脹脛が隆起し、ビクビクと血液の流動が窺える。


「ん……」


再び全身の筋肉に力を込めたが、その行為は半ばで強制的に止められる事になる。


「え?」


ゴポリという、妙な音がやけにミーナの耳に響いた。思わず光の拘束を抜け出そうとする力を緩めて視線を上げる。するとそこには、明らかに異常な隆起、否、隆起と言うよりは噴出の一コマと言った方が正しいだろうか?本来ならば有り得ない上空に向って湧き上がるだけでなく、そのままの形で固定されている水があった。それは、先程ミーナが落ちてしまった溜池から噴き出していたが、明らかにその体積が不自然だった。どう見ても小さな溜池に見合わない量に膨れ上がった水は、太陽の光を受けてゆらゆらと光を屈折、あるいは反射して氷の様に輝いている。その、本来の現象として有り得ない光景に、胸の内で甲高く鳴る継承に従い、ミーナは急いで両足を青白い光の拘束から引き抜こうとする。


「きゃあっ!?」


が、それは一足遅く、ザバンッ!という音と共に押し寄せた大量の水の塊によって、先程と同じように岩盤へと思いっ切り叩きつけられる。


「んあっ」


しかし、ミーナはミーナで先程との既視感から咄嗟に身体を丸めて受け身を取っていた。それが功を奏し、すぐさま立ち上がる事に成功する。そして、それと同時にミーナの響く、ピシッ……ピシッ……という耳慣れない小さな音。正面の水の塊から目を逸らす事が出来ない状態での違和感に内心焦るが、不安を煽る疑問の種はすぐに割れた。


「!?」


不意に訪れた全身の感覚。そう、いくら水浸しとはいえ、この天気でならば本来有り得ない感覚。そう、『冷たい』という感覚だった。ハッとなりミーナが目をやると、かじかんで白くなった掌と、それを薄く覆う透明な氷があった。


パキリ……バキリ!


「!?」


再び響いた水が固まる音。しかし、先程よりも遥かに大きな音が、その危険度に比例する様に周囲に響き渡る。正面に向き直ったミーナを、まるで抱擁するかの様に至近距離で覆うざらついた氷の壁。咄嗟に拳を固めて振るうが、ビシリと罅割れたものの、崩壊する様子どころか貫ける気配も無かった。


「堅い……」


小さく呟くミーナ。同じバーバリアンの男性には大きく劣るとはいえ、振るえばレンガの壁一枚くらいは楽に貫く事が出来る自身の一撃に、氷の壁が耐えた事に内心で僅かながらも衝撃を受ける。だが、だからと言って思考停止していれば状況は悪くなるばかりだ。一つ、大きく深呼吸をして、ミーナは再び地面に蹲って全身に力を込める。じわじわとミーナを圧殺しようとする氷塊を前に、無言で歯を食い縛るミーナ。そして、


「抜けた!」


まず片足が。そうなれば後はしめたもので、すぐさまもう片方の足も壁面から無理矢理引き抜く。既に身動きが取れるかどうかのぎりぎりまで氷は迫って来ている。迷っている暇も無い。ミーナはすぐさま、その場で胸を張る様にして体を仰け反らせ、両腕を肘から引き絞って拳を固める。そして、大きく息を吸い込んで歯を食いしばる。


「ん……えええぇぇぇぇぇいっ!!!」


日々の登山とハードトレーニングで鍛えられた強靭な両足が軸となり大地を踏みしめる。距離は少なくも、鋭い出足と共にギュンと収縮した腹筋、大胸筋が鞭の様にミーナの胴をしならせる。そして、その先端に位置する頭がその動きに引かれて振り下ろされる。と、同時に射出された両の拳。生物の急所たる頭部を保護する様に氷壁と頭部の間に滑り込んだそれごと、分厚い筋肉の鎧に覆われた肉体が持つ大質量が突貫する。



破砕



落石ともつかぬ音と共に、目の前の障害が崩れ落ちる。一つ一つの塊が、人間の成人が一抱えする様な大きさであり、それが氷壁の強固さを物語っていた。


「はあっ、はあっ……」


押し迫った生命の危機と一瞬ではあったが吐き出された全身全霊の力に、流石のミーナもへたり込んで二度三度と息を吐く。


「……?」


と、不意に、その頭に影が下りる。周囲は依然明るく、太陽に雲が掛った訳でもないにも拘らず。僅かに瞠目しながら、ノロノロと視線を上げるミーナ。そして、


「ん?確か昨日の」


視線の先で呟いた、昨日聞いた男性の声。そう、昨晩ミーナを助けた魔道士が腕を組んでミーナを見下ろしていたのだった。



股間の前の部分がエプロンの様にひらひらとした下着一枚で



「……」


「……」


「取り敢えず状況を説明してもらってもいいか?」


少しの間ミーナを見下ろしていた昨日の青年だったが、彼女が中々話し出そうとしないのを見て、そう切り出す。


「あ……はい……」


対するミーナは、顔を真っ赤にして小さく頷いたのだった。





     ◆





「中はちょっと見られたくないもんが多いから、そっちに座っててくれ」


 そう言って、青年が指差すと、用意された二枚のクッションがフワフワと空中で浮遊する。


「えっと……どうも」


チラチラと青年と浮遊するクッションを見比べたミーナだったが、小さく頷いておっかなびっくりに宙に浮かぶそれに腰掛ける。一瞬、ミーナの体重を受けて沈んだ様に見えたクッションだったが、すぐに沈下は停止してその巨体を受け止める。


「……」


魔道の片鱗、と言うには些か日常的過ぎる気もするが、ある意味魔道に直接触れてじっくりと観察する機会とも言える。小屋に引っ込んだ青年の後姿を見ながら、そう考えて居たミーナだったが、ほっそりとした色白の後ろ姿を見詰めるうちに、気恥かしくなって若干頬を染めてしまう。そして、誤魔化す様に軽く咳払いをしてから青年の家であるこの空間の観察を始めた。

 青年の家。それは、先程ミーナが転げ落ち、そして、襲撃を受ける事となった溜池の中にあった。上空を見上げれば水面を介してユラユラと差し込む日の光が柔らかくこの空間を照らしている。周囲は岩の壁で覆われているが、外界との違いはそれ位しか無く、あまり目にした事の無い草が疎らに生えているものの、少なくとも水草の類では無い事は見て取れた。そして、青年が家と言った建物は御世辞にもミーナの感覚で家と言うには狭すぎる、内装には一部屋しか無いであろう小屋の様な建物だった。開け放たれたドアの奥には、奇妙な形の器具や、見た事も無い文字の本が所狭しと並べてあるのが分かる。正直、あれでは、日常生活もままならないのではないかという感想を抱くが、こればっかりは本人にしか分からない事だろう。


「お待たせ」


そう言って振り返った青年は手に取っ手の無いカップと皿を持って出てくる。


「どうぞ」


そう言って差し出されたカップの中の緑色の液体。ミーナには馴染みの無い色の液体に若干躊躇するが、正面で青年の方があっさりとそれを飲み干しているのを見て少しずつ口を付ける。


「~~!、……!?」


そして、その温度にすぐさま口を離す。煎れたばかりな為か分からなかったが、舌が焼けそうな程に熱かったそれに、涙目になるミーナ。慌てて口元を押さえていたが、突如その緑色の液体が冷却されて口内で氷となる。顔を上げると、何も無い空間で頬杖を付いていた青年が涼しい表情で「大丈夫かい?」と、ミーナに声を掛けてきた。


「あ、はい……。ありがとうございます」


「そうかい」


頷いた青年が、頬杖を解いて姿勢を正す。


「それじゃあ、改めて話を進めてもらっても良いか?」


その言葉に、ミーナは若干ではあるが緊張した表情で頷いたのだった。

 目の前の青年の言葉を受けてカップを宙に置き、その場で静かに立ち上がるミーナ。バーバリアンである彼女の巨体が立ち上がると、それだけで人間であると思われる青年の座った高さとは大きな差が出る。


「ほ……」


その様子を見て、小さく声を漏らす青年。自然と付き出る事になった分厚い胸と絞り込まれた腰との落差等を、銀色に光る眼鏡の奥から好奇にも似た目で見ている。


「私の名前はミーナ・ヴァリュソーといいます。ロルスック共和国山岳警備隊に所属するバーバリアンです」


「ん。そうだな、俺はザド。ザド・シェヴェット。種族は人間だな。ジャージャー諸島の魔道士ギルドに所属してたが……。もう随分と前の話になるか」


ミーナの名乗りに、青年、ザドは特に気負いも無く名乗り返す。一方、相手が名乗り返してくれた事に幾分表情を綻ばせるミーナだったが、すぐに引き締め直すと腰から低く頭を下げた。サラリと零れる銀色の雫を妙に興味深げにザドは観察している。


「昨日は、危ない所を救っていただき、本当にありがとうございました」


「ああ、アレか」


真剣な声で礼を言うミーナに対し、ザドは事も無げにひらひらと手を振る。


「あれぐらい気にすんな。大したことした訳じゃねーし、ただ単に散歩の途中に見掛けたからやっただけだしな」


そして、「で?」と先を促すザド。あまりにもあっけない終わりに、若干困った表情を浮かべるミーナだったが、すぐに気を取り直して頭を上げる。


「此処からは、山岳警備隊としての話なのですが」


「ん……。取り敢えず、座ったら?」


頷きながらカップに口を付けるザド。視線だけで先を促され、しばし黙考したミーナだったが、一旦座って二度三度と頷いて話し始める。


「実は今、私の住む街で連続誘拐事件が起きているんです」


「……」


「犯人は分かって……、いえ、捜査は一向に進んでいないのが現状です」


「……」


現状を伝えるミーナに対し、ザドの方は腕を組んで欠伸をしている。


「えっと……」


「ん~、その犯人が俺じゃないかってか?」


「いえ!そんなこと思っていません!」


皮肉気にニヤニヤと笑ったザドに、ミーナが思わず声を荒げる。その様子を、今度は珍しい物を見る目で見つめるザドの視線を受けて、顔を赤くして再びクッションに座るミーナ。


「あ゛~何か話が面倒臭くなってきたな」


「えっと、すみません?」


思わず謝ってしまうミーナの前で、ザドが何故か手をかざしてみせる。


「?」


首を傾げるミーナ。しかし、その前でザドの手が青白く発光し始めた。


「!?」


それを見て、思わず立ち上がって身構えるミーナだったが、彼女のその反応をよそに、ザドの手はすぐに発光を止めて縁の無いカップの元に戻る。


「あ、あの……」


状況が掴めず、おっかなびっくりに声を掛けるミーナをチラッと見て、一旦喉を潤してから、ザドは徐に口を開く。


「連続誘拐事件だったか?」


「あ、はい」


コクリと頷くミーナに、ザドは少し考える様にして問いかける。


「事件の状況は分かった。犯人が魔道士だっていうお前さんの予想も、まあ、妥当だろう」


「……」


「だけどな、仮に犯人を見つけられたとして、そいつが魔道士だという証明は出来るのか?」


「え?」


考えもしなかった問いに、一瞬キョトンとするミーナ。


「魔道士だっていう証明をする為には魔道を使わせればいい。だけどな、そいつが自らの意志でスキルを行使しない限り、魔道士である証明は出来ないんだぜ?」


「それは……」


言葉に詰まるミーナに、ザドは更に言葉を続ける。


「これがジャージャー諸島なら話は簡単さ。解析魔道を使えば犯人は一目瞭然。周囲も魔道士ばっかりだから全員が納得できる。だが、この国の奴らは魔道が分からないんだろ?」


ハッとなるミーナ。確かにザドの言葉の通りだった。魔道を使っての証明はそもそもこの国では不可能。何故なら、可視的な魔道は理解できても、不可視的な魔道の類は誰も認識できないのだから。


「で、でも、状況証拠を集めれば」


「犯人が魔道士だっていうあたりは付ける事が出来るが、それがどの『道』の使い手なのかは、判定できない。四魔道の、聖道、生道、邪道、介道……。導く、誘う、支配する、操る……。違いはあるが、相手の意志を無視する手段は少なからずどれもこれもが持っているスキルだ。仮に犯人の魔道士を見つけたとして、『その犯人が自分の意志で魔道を行使した証明』は出来ない」


そう言って、ミーナの言葉を否定する。


「……」


ザドの否定に、ギュッと唇を噛んで俯くミーナ。その瞳には悔しさで薄らと涙が浮かんでいた。


(予想は、たぶん当たりなんだろうがなぁ)


その様子をぼんやりと眺めながら、正面に座るザドは考える。


(こいつの記憶を見た限りでは、犯人は魔道士っつうのは正解。目的は分からねえが……)


考えながら、若干温くなった故郷の飲み物で喉を再度潤す。


(昨日の狼を見た限りじゃあ、犯人は生道の魔道士か?)


ふと思いついて、ザドが止まる。傍目からはただ停止している様にしか見えないが、本人だけが分かる程にうっすらと楽しげに笑っていた。


(生道か……ばらしてみたいな)


内心で沸々と湧き立つ好奇心に、ザドは新たな実験材料を見つけた時に感じる独特の愉悦を覚えていた。


(生道と邪道は直に触れた事もサンプルを取った事も無かったしな)


一度動き出した思考は一切のブレーキを無く欲望に任せて突き進む。


「くは……」


小さく漏らした笑い声は、正面の大柄な少女には届かなかったらしい。仮に届いてもザドは特に気にはしなかっただろうが。


「あの、ザドさん?」


「興味が湧いた。その誘拐事件の犯人に会ってみる」


 不意に立ち上がったザドに、ミーナは顔上げて首を傾げる。そのミーナを見下ろして、ザドは一方的に言葉を告げる。


「え?」


何を言われたのか分からずポカンとするミーナの前で、空になったカップと手を付けられていない皿を持って小屋の中に引っ込むザド。そして、出て来た時には昨晩着ていた服とは同じデザインの紅い服を、胸元を肌蹴た状態で纏っていた。


「あ、あの、ザドさん?」


「『さん』はいい。と言うか、俺には似合わねえ。俺もお前の事はミーナって呼ぶからな」


「あ、はい」


未だに混乱しながら、なんとかそれだけを出すミーナに、意味の無い返答をして軽く伸びをする。


「さて……行くか」


「ちょ、ちょちょちょっと待って下さい!」


思わず立ち上がってザドの肩に手を乗せる。対するザドはと言えばミーナを見上げて、ただ首を傾げていた。


「あん?どうかしたか?」


「どうかしたか?って……」


良く分からないと言わんばかりのザドに、言葉を失う。


「ザドはどこに行こうとしているんですか?」


「お前の街」


返答は端的だった。


「何で急に」


「その誘拐事件の犯人とやらを観てみたくなったからだな」


「……街の場所は分かるんですか?」


「お前の記憶を読んだからな」


「……」


半ば予想はしていた事だったが、明言された思考の解読に、ぞわぞわとした不快感を感じざるを得ないミーナ。だが、それを押し殺して、再度問いを掛ける。


「でも、犯人が分かっても証明は出来ないんでしょう?」


「別に証明をしようなんて考えちゃいねぇさ。ただ俺が会いたいだけだからな」


「ただ単に俺が犯人を突き止めるだけなら、魔力解析の魔道で一発だし」と続けて口元を歪める魔道士の姿に、ミーナは先程の不快感が更に増幅した様に思った。


「さてと、お前さんはどうする?」


ニヤニヤとした笑みを口元に浮かべて、ザドがそう問いかけて来た。


「……」


一瞬、言葉に詰まるミーナ。だが、彼女の心は既に決まっていた。


「私も、付いて行きます」


「そうかい」


決然とした面持ちのミーナに対し、肩をすくめるザド。立ち上がった彼女の前からカップを取って、それを無造作に小屋の中に放り投げる。ガシャンという音が聞こえたが、お構いなしにザドは振り返り、パンと軽く手を叩く。すると、周囲の風景が一変し、ミーナの見慣れたロルスックの山岳地になる。


「さ、行くか」


「ええ」


ふわっと浮かび上がるザドと、肩を並べて歩き出すミーナ。対照的とも言える後ろ姿が、並び立って揺れつつ下山を始めるのだった。


「あの、ザド」


「あん?」


無言だったミーナが不意に声を掛ける。


「どうかしたか?」


「ええ……」


何故か妙に言い難そうにするミーナ。先程の様に単純にザドに対して言い難いという訳ではない様子で、妙に顔を赤くしている。


「?」


「えっと……」


「早くしてくれ」


「その、着こなしを何とかしてもらえないですか?」


見上げるザドから視線を逸らしつつ、困った様に頼む。


「物凄く目のやり場に困るんですが……」


胸元が肌蹴、足がチラチラと窺えてしまうザドの衣服は、元が箱入りで男性との個人的な付き合いが無かったミーナには目の毒だった。


「断る」


ザドの返答はにべも無かった。


「暑い」


そして、それ以上に単純極まりない理由だった。


「……」


「……」


再び無言になる二人。その間に流れる空気に、ミーナは先程から感じていた気まずさが無くなったのを何となく理解する。だが、


(何か、この先妙に苦労しそう……)


確信にも似た不安を、ミーナは抱かずにはいられないのだった。







どうもこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?鶴海手長です。

えっと、投稿遅れてすみません。チマチマと書いてはいたのですが、学校の都合で若干遅くなりました。

あと、先にお詫びすることになるのですが、これから作者はテスト期間に入るので、次の投稿はさらに遅れると思います。すみません。


あと、毎日二人三人の方が見に来て下さっているようで、本当にありがとうございます。励みになります。


さて、今回の話は、この作品のもう一人の主人公?とミーナの再会です。

なんか、明らかに嫌な奴オーラバリバリですが、ミーナがどちらかと言えばいい子なので、対比的な意味でこのキャラ付けにしました。

ネタ的には承なのですが、転も山はかなり低そう。魔道士のスキルが強力なせいですかね。まあ、バランスを取る為苦手な分野も想定していますが。


次回はいよいよ解決編。でもまあ、ABOで血液型を判定しているようなところにDNA鑑定を持ちこむような話なので割とあっさり気味です。その分妙にバトルが多くなりますが。まあ、この作品自体が推理物では無いので大目に見てください^^;


これからもじわじわと頑張っていきますので、よろしくお願いしますm(__)m

P.S.感想もお待ちしてます。うん、割とマジで。批判等も含めてぜひお願いします。

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