第八話:こんにちは。異世界。
一通りの説明を受け、当面の不安が少し和らいだ数日後、僕はシェリルに促されて神殿の回廊を歩いていた。
本日、イツモアは不在だ。
おおよそ三日に一日くらいは巫女長としてのお役目があるらしい。
最初の頃、情熱的な夜を過ごし、朝日が感じられる中、すでに目覚めたイツモアが、僕の体のどこかしらを撫でながら、
「カイ様。本日はお役目がありますので、お傍を離れる事をお許しください。必要があれば巫女衆をお呼びください」
と退室する。
そんな事が数度あった。
しかし、最近のイツモアは様子が違う。その一連の流れを覚えてしまった僕が、
「あれ? イツモアさん、今日はお役目かシェリルさんとの研究の日では?」
そう問いかけると、
あからさまに誤魔化すように口づけをしてきたり、
「本日は次席の者が行いますので、お役目はございません」
や、
「シェリル様もお忙しいのです」
と返答したりと、そのバリエーションは様々。
しかし、最終的にはいつまでたっても祭祀場に来ないイツモアを、巫女衆が連れに来るのだ。
その際、
「行きたくありません! カイ様のお傍を離れません!!」
と駄々をこねるイツモアに対して、
「どうされたのですか? イツモア巫女長! そのように駄々をこねられて! 貴女様らしくもない! ささ! 参りますよ!」
と、保育園に行きたくないとぐずる子供のように引きずられて行く。
ここまでがテンプレである。
今朝も、そんなやり取りが展開された。
「初めて来るけど……すごいね、ここ」
この世界に来てから外を見ていないので時間感覚は曖昧だが体感で3週間ほどの間、ほぼ特定の場所しか移動しなかった。
だが本日、シェリルに連れられ、神殿の外周部に向かっている。
そして、この建物は恐ろしく広い。
一つのフロアだけでも、小さい街一つ分はあろうといった広さだ。
見上げるほど高い天井、継ぎ目のない白銀の壁。
足元には時折、青白い光のラインが走り、脈動するように何事かを伝えている。
「当然よ。ここは女神の加護が最も強く働く聖域なんだから」
シェリルはそう言って、回廊の突き当たりにある巨大な展望窓を指差した。
「さあ、カイ。私達の世界よ」
「……!!!!!!!」
僕は呼吸を忘れるほど絶句した。
知ってるぞ!
これが「息を呑む」ってヤツだ!
この世界に転生してから、外を初めて見たので知らなかったが、今、僕が生活しているフロアは恐ろしく高所にあった。
ビル等で例えると地上70階相当だろう。
そして眼下に広がっていたのは、神殿内部の超高度テクノロジーとは真逆の光景だった。
突き抜けるような青が上空に覆い被さり、僕の知っている動物を数種類、適当に混ぜ合わせたような生物が上空を舞い、
緑というより黒に近い広大な森に覆われた大地。
視界の果てまで捉えられないほど延々と蛇行し、複数に分岐した澄んだ川。
そして足元に点在するのは、石造りの家々や、レンガ造りの煙突から煙を上げる、いかにも「中世ヨーロッパ風」の街並み。
遠くの街道を、馬車のような乗り物がゆっくりと進んでいるのが見える。
そして、街と森の向こう、遠くに巨大な湖が見える。
「……嘘だろ? 外は……普通にファンタジー世界だ」
てっきり外の景色もサイバーパンクな世界が広がっていると思っていた。
しかしこの白銀の神殿だけが、未開の大地に突然、突き刺さった異物のように、圧倒的な異彩を放っていた。
なるほど。
そういう事か……!
僕は1人で納得した。
この世界は、高度な文明を持った『古代人』が滅び、その遺産であるこの神殿を、今のエイリスたちが聖域として守りながら、外では中世レベルの生活を送っている……。
これこそファンタジーの王道設定だ!
自分なりの完璧な解釈に満足し、僕は大きく息を吐いた。
神殿の中枢だけがハイテクなのも、これで説明がつく。
「どう? 感想は?」
「うん、びっくりしたよ。でも、なんだか安心した」
僕は苦笑混じりに答え、ふと、ここ数日感じていた素朴な疑問を口にした。
「……ところでさ、シェリルさん。ずっと思ってたんだけど」
「なぁに?」
彼女は小首をかしげて言葉を返す。
「僕、目が覚めてから、君たちと普通に喋ってるけど……。これ、日本語だよね?」
素朴な質問だ。
そして今更だ。
僕は英語も話せるバイリンガルのようだが、日本語の方がしっくりくる。
恐らく母国は日本なのだろう。
「言葉が通じるという事は、共通言語が話せるって事よね。カイが言う日本語かどうかは分からないけど、私達はエイリス語と呼んでいるわ」
エイリス語。
そう言えば、ヴィンセントもイツモアも「私達エイリスが」という表現をしていたな……。
僕達の言うところの「エルフ」は「エイリス人」という事か。
まあ異世界転生モノで転生した後、言語が通じなかったら話にならないしな。主人公補正かと思っていたが。
「でも、不思議だね。異世界から来た僕がこっちのエイリスさん達と共通の言葉が使えるなんて」
何気なく言ったのだが、シェリルはこちらをジッと見つめて、静かに言った。
「異世界から……そうね、異世界ね。でもそれは、女神のあなたに対する深い愛なのよ。決して偶然ではない……」
「……」
意味深な言葉に続きの言葉が出てこない。
すると、シェリルは急に顔を上げ、僕を見上げて人差し指をぴん! とこちらに向け言った。
「カイはイツにも『さん』付けで呼んでるの? きっと悲しんでるよ? 私もそろそろシェリルって呼んでよ」
僕が納得できる答えではなかったが、なるほどそうか。
確かにイツモアはそうかもしれない。
今度会った時にでも聞いてみよう。
「君はその方がいいの?」
「ええ、その方が嬉しいわ」
「……じゃあ……シェリル」
親しげに名前を呼ぶ。
ただ、それだけの事。
だが、劇的な化学反応が起きた。
慈愛に満ちた弾けそうな笑顔が返ってきたのだ。
人はこれほど優しい顔ができるものなのか。
見た目は年下の女の子なのに母性が爆発している!
危ない危ない……赤ちゃん言葉が出そうでちゅ。
「それはそうと言語の件なんだけど」
赤ちゃんプレイが始まりそうだったので、無理やり話題を手繰り寄せた。
「……それは、私達が『選ばれた種族』で、貴方は女神の愛を一身に受けた存在だからよ、カイ」
彼女は僕の歩調に合わせて足を緩めた。からかうような笑みが静かなものに変わり、声も少し柔らかくなる。
「この言葉は、女神が定めた『聖なる共通言語』。……女神が貴方の事を案じ、そう定めたのよ」




