第六十六話:土産の包みと、帰る日の相談
宿へ戻るなり、テトライルは僕の椅子を引いた。
「お掛けください」
会議場でも最後に同じ事を言われた気がする。僕は座った。彼女は水を注ぎ、僕が飲むまで立っていた。
怒っている。
さすがに今回は分かる。
「……先に話さなくて、ごめん」
彼女は杯を見た。それから僕の顔を見た。
「先に伺っていれば、お止めしておりました」
でしょうね。
作戦会議の段階で全会一致の否決を頂く案件だった。賛成票を持っているはずの僕まで説得されて終わりそうだ。
「でも、勝手に一人で突っ込むって話じゃないよ」
「分かっております。ですが……どこまで前へ出るおつもりなのか、伺えておりませんでした」
顔を上げると、真剣な眼差しがこちらを見ていた。
僕が言った事を、彼女はもう実際に戦う場所へ置き換えて考えている。
「一番前に立つ事と、敵の足元へ一人で入る事は違います。先程は、その区別を先に確かめたかった」
僕は頷いた。
あの場では、逃げないと言いたかった。けれど聞いた人が勝手に都合よく解釈してくれるとは限らない。
僕の『先頭』が、彼女には『迎えに戻る場所がまた増える』に聞こえたのかもしれない。
「一緒に決めよう。どこに立つかも、いつ下がるかも」
彼女はようやく小さく一礼し、僕の向かいへ座った。
上着の袖に小さな皺がある。会議で僕の肩へ掛けてくれた時のものだ。
それを指で伸ばしながら、返事を待った。
「はい。ただし、今日はお身体を休めてください」
承認条件が付きました。
まず休む。強い人に教わる内容が一貫している。
鞄を開くと、買った塩の包みが脇から出てきた。
僕はそれを卓へ置いた。
「これは、先頭に立つ時には持っていかなくていいかな」
テトライルが包みを見る。
それから口元が少しだけ緩んだ。
「食事をする場所までは、お持ちしてよろしいかと」
「じゃあ帰ったら使おう。肉に」
「はい」
すぐ返ってきた。
会議の条件より決裁が早い。
テトライルは僕の顔を見て、少し恥ずかしそうに笑った。
イツモアへ買った器の覆いも取り出した。紐を引くと布の縁がすぼまり、器の口へ沿う。
何もかぶせていない状態では、たいへん小さな帽子に見えた。
僕が自分の頭へ近づけると、テトライルは静かに首を振った。
まだ何もしていないのに止められた。
僕の考えている事はマナの流れより読みやすいらしい。
不思議だな。
「贈り物でございますので」
「試着じゃなくて、寸法の確認です」
言い訳の質が悪かった。
僕は素直に下ろした。
シェリルには細い紐。苗の札を束ねる為の物だ。
買った時は気にしなかったが、他にもっと立派な物もあった。光を当てると色の変わる飾りとか、薄い金属を曲げた花とか。
「紐だけって、地味過ぎるかな」
彼女は少し考えた。
「カイ様が、研究主任のなさっている事を見て選ばれた物です。それはお伝えしてよいのでは?」
なるほど。
値札では勝負出来ないが、用途は説明出来る。
『必要な札が増えたら使ってください』
小さな紙へ書いてみた。
何だか職場の備品を発注して渡す人になった。
『苗が元気なら嬉しいです』
書き足すと、ようやく土産らしくなった。
血刃様の取扱説明書に比べて、文章が平和で助かる。
包みの端が少し破れていた。子供の様に嬉しがって僕が何度も取り出したせいだろう。
新しい紙で包み直そうとすると、テトライルが元の紙も残しておくよう勧めた。
店で書いてもらった使い方がある。
僕は紙を裏返した。確かに細い字が並んでいた。
ただ持って帰ればよいと思っていたのに、使う時に要る言葉を捨てるところだった。
「買った時には見ていたのに」
「荷を整える時は、中身だけへ目が向く事もございます」
彼女の言い方にほっとした。失敗を性格の欠陥みたいに扱わず、次に何を見ればよいか教えてくれる。
僕は新しい紙の外へ、元の説明を見えるように留めた。
夕方、トーニが写しを届けに来た。
会議で話した内容を、それぞれの陣営が読み直す為の物だという。
今朝の彼は廊下で椅子を交換していた。
今日は紙を持つ指へ細い布を巻いている。擦れて痛むのだそうだ。
僕が自分の布を勧めかけると、テトライルが先に新しい布を出した。
僕の布は傷口用である。差し上げる前に在庫管理の許可が要る。
トーニは恐縮しながら受け取った。
「すみません。書き終わってから痛くなりまして」
「会議中は気づかなかった?」
「はい。字が読めればいいと思っていました」
少し分かる気がした。
怖い時や必死な時には、後でまとめて身体から請求書が来る。僕の膝も、今さら立つたびに抗議している。
彼は卓の上の覆いを見て、イーガでは焼いた物を冷ます時にも使うと教えてくれた。
僕は帰って伝える紙へ、それも書き足した。
「その塩は、少しでよく香ります。入れ過ぎると肉よりそちらが勝ちます」
テトライルが包みを引き寄せる。
ひとつまみの試練、再びである。
「帰って料理を教わるんだ」
僕が言うと、トーニは嬉しそうに自分の鞄を開いた。
折り畳まれた紙が何枚も出てくる。物資の一覧かと思ったら、乾かした食べ物を戻す方法だった。
「これなら荷を増やさずに、お伝え出来ます」
渡された紙は端に何度も書き足してあった。水の量だけが違う箇所もある。
一度で出来た料理ではないのだろう。
「大事な原本じゃない?」
「写します。こちらは僕が持って帰りますので」
彼が新しい紙を出そうとすると、テトライルが今夜でなくてもよいと言った。
トーニの指が止まる。
「明日でも、よろしいですか」
「はい。帰りの準備までには」
誰かに待っていいと言われるのを、待っていたような顔だった。
僕は水差しを持ち上げた。今朝の失敗を思い出し、口の形を確かめてから注ぐ。こぼれなかった。
この旅、給仕技能だけ妙に伸びている。
ただし二つの杯へ注いだ量は揃わなかった。実技試験にはまだ出ないでおこう。
トーニが帰った後、僕達は会議の写しを読んだ。
先頭に立つという言葉の横に、テトライルが線を引く。
「ここは帰ってから、必ずご説明を」
頷いた。
僕が引き受けた事は、僕だけで終わらない。
ヴィンセントが部隊の数を数える。イツモアが治療の準備をする。シェリルが記録を調べる。
彼女は実際に剣を持って僕の隣へ立つ。
だから『帰ったら話します』を、後回しの言い訳にしてはいけない。
連絡用の板へ短い報告を送った。
合意の写しも添える。詳しくは音声で説明する予定にした。向こうでは救護の引き継ぎ中らしく、すぐ返事は来なかった。
待つ間に土産を包んだ。
贈る相手の名を書き、それぞれ別の紐で結ぶ。
「テトライルのも、名前を書こうか」
「私が持っておりますので」
「持ってる人の土産じゃない、っていう事故を防げる」
彼女は真剣に考えた後、自分で名を書いた。
剣を握る時とは違う指の動きだった。線は細く、思ったより丸い。
僕はその下へ『帰ってから使う』と書き足した。
しばらくして返事が届いた。
ヴィンセントから、記録を受領したという短い文。続いてシェリルの、今夜は休むようにという言葉。
最後にイツモアからだった。
『お帰りになってから、お話を伺います』
怒っているかどうかは文章だけでは分からない。
けれど、会議が終わったから安心させられると思っていた僕の方が甘かった。
僕は『必ず話します』と返した。
今度は既読を待たずに板を伏せる。
目の前のテトライルも、待っているイツモアも、きっと同じ事を言うだろう。
勝手に離れないでください、と。
「帰る日も、決めないとね」
彼女は頷いた。
明日、道の確認と現地の連絡先を確かめる。その次の朝を出発の目安にする。
僕は予定を書き、土産の包みを鞄へ戻した。
来る時は会議の席へ着く事ばかり考えていた。
今は説明しなければならない相手の顔が、いくつも浮かぶ。
鞄は少し膨らんだ。
重くなったのは塩や布だけではなさそうだった。




