第六十話:橋の向こうと、合図を待つ手
橋の手前で人が集まっていた。
川幅は広くない。
石を積んだ橋の中央に荷車が止まり、こちら側には袋を抱えた人たちが並んでいる。
車軸が折れたらしい。荷を下ろして退けるまで通れないという。
テトライルは降りる前に周囲を見た。
対岸の道と川の上下。御車を戻せる幅。
それから僕へ、こちら側にいるよう告げた。
「荷物、こっちへ運ぶくらいなら?」
彼女は集まった人と川岸を見比べ、頷いた。
運ぶ先を指で示す。低い石壁の内側だ。
僕は小さな袋から引き受けた。
重いものへ張り切って手を出さない程度には学習している。
腰を傷めた代表者が会場へ運び込まれるのは、外交の出だしとして弱い。
袋の持ち主は長い耳を布でまとめたレプス族の女性だった。
乾いた豆が入っていると教えてくれる。
別の袋は種にする分なので濡らしたくないという。
僕は置き場所を少し高くした。
全部同じ荷物ではない。
食べる分と、次に育てる分がある。
対岸で鳥が一斉に飛んだ。
テトライルが顔を上げた。
僕も見た。
木々の間を、横に長い影が動く。
一つではない。
橋の奥だけでなく、川の浅いところへ向かう影もあった。
「橋から離れてください!」
彼女の声が道へ響いた。
荷車のそばにいた男が顔を上げる。その後ろで獣の脚が石を踏んだ。
十頭ほど。
数える間に最初の一頭が岸を蹴った。
テトライルは橋へ上がり、剣を横へ走らせた。
前脚が二本とも折れる。鉄骸の胸が橋へ落ち、石の縁が欠けた。
彼女は巨体の横を抜けて後ろ脚の付け根へ剣を入れた。
音が川へ落ちる。
砕けた核の破片が水面を跳ねた。
「石壁の奥へ! 荷物は後で!」
僕も叫んだ。
声が裏返ったが、近くの人が動いてくれた。
豆の袋を抱え直そうとした女性へ手を伸ばす。
「置いてください。まず、こっちへ」
彼女の足がもつれた。
僕は支えようとして一緒に傾く。
踏ん張る。足を広げる。やっと止まった。
その瞬間、対岸から青い筋が走った。
川の上に細い線が何本も現れ、橋のこちら側のたもとまで逃げてきた男の足が止まる。
転んだのではない。動こうとしても膝が前へ出ていなかった。
僕の腕にも青い光が触れた。
冷たい風のような感覚がしただけで、手は動いた。
だが目の前で石が砕けた。
飛んできた破片に肩を殴られ、僕は女性と一緒にしゃがんだ。
光は平気。石は駄目。
試験範囲が実に明確だ。問題は試験官が殺す気である事だ。
僕は石壁へ女性を押し込むように送り、動けなくなった男を見た。
助けに行きたい。
でも勝手に走るなと約束した。
テトライルを見る。
彼女は橋の上で二頭を止め、僕へ一瞬だけ目を向けた。
「今は待って!」
歯を食いしばった。
男のすぐ後ろに獣がいる。
待つ方が怖い事もあるのか。
剣が橋の縁を打った。
衝撃が石を伝い、迫った獣の片脚を弾く。
その巨体が横へ傾いた瞬間、彼女の声が来た。
「カイ様、今です。手を引いて、こちらへ!」
僕は走った。
男の手首を掴む。青い筋が触れた場所で乱れ、肩が動いた。
「足、出せますか!」
男が片足を引いた。
僕も後ろへ下がる。
光の筋全体が消えた訳ではない。握る手がずれると、男の動きがまた鈍くなる。
僕は手首を握り直し、足を一歩ずつ運んだ。
テトライルの剣が頭上を通った。
獣の顎が僕達の届かない位置で弾かれる。
僕は見上げなかった。
今は石壁まで。
その先は窪んだ道へ。
男が壁を越えたところで、僕も膝をついた。
肩が痛い。息が喉へ引っ掛かる。
右手は何も持っていないのに震えていた。
血刃様、出番ではありません。
今は握る仕事です。余計な機能を起動しないでください。
浅瀬から三頭が上がろうとしていた。
テトライルは橋を渡り切らず、こちら側へ戻った。
獣が岸へ前脚を掛けるたび、その付け根へ剣を当てる。
青い線が関節で途切れ、巨体が水へ落ちた。
一頭が沈んだ獣を踏み台にした。
彼女は半歩下がった。
剣を握る手の位置が変わる。
飛び込んだ胸へ、刃が真正面から入った。
水が盛り上がった。
足元の泥が剥がれ、獣は後ろへ押し戻された。
僕は耳を押さえた。
大きな音より先に、胸が叩かれたようだった。
テトライルの後ろには逃げた人たちがいる。彼女は剣を振る向きまで選んでいた。
最後の二頭は橋を避けて上流へ走った。
彼女は追う前に川を見渡し、僕達の前へ残った獣の核を砕く。
「石壁から出ないでください。すぐ戻ります」
御車の周囲と浅瀬をもう一度確かめてから、彼女はすぐ上流の斜面を駆け上がった。
赤い髪が木々へ消えた。
見えなくなった途端に心細くなる。
数える。人の数だ。僕にもできる仕事を探した。
戻ってきた彼女が剣を下げた時、刀身に新しい傷が一本見えた。
昨夜、手入れを見ていた時にはなかったものだ。
腕にも浅い裂け目がある。
僕が指すと、まず住民の怪我を確かめましょうと言った。
僕は頷いたが、忘れなかった。
無傷で当然の人ではない。
水の中で、止まったはずの胴が一度だけ震えた。
テトライルが剣を持ち直す。僕も足を止めた。
川の流れで動いたのか、まだ生きているのか。
遠くからでは分からない。
彼女は皆を近づけず、岸の上から内側を確かめた。
残っていた核へ刃を届かせると、胴の下にあった青い光が消えた。
荷物を取りに戻りかけていた男が、その場で座り込んだ。
僕も同じ事をしたかもしれない。
敵が倒れたら、次は忘れ物を探す。
普段の順番へ戻りたくなる気持ちは分かった。
テトライルは責める声を出さなかった。
動かなくても確認が済むまでは離れていてほしいと伝え、通っていい場所を剣先ではなく手で示した。
それから僕へ水を頼んだ。
僕は鞄を取りに戻り、器と一緒に持っていく。
彼女の腕についた泥を洗う水だった。
浅い傷だと言われた。
でも水が当たった時、指が僅かに曲がった。
「痛いんだね」
言ってから馬鹿な質問だと思った。
彼女は驚いたように僕を見て、ええ、と答えた。
強いと痛くない。
そんな仕様を、僕はどこかで勝手に期待していたらしい。
石壁の内側で傷を洗った。
肩の打撲はまだ痛い。袖の下を見たテトライルが、腕を上げられるか尋ねる。
上がる。ただ途中で顔が歪んだ。
「間に合って、よかった」
僕が言うと彼女は手を止めた。
「合図を待ってくださったので、間に合わせられました」
胸の奥が熱くなった。
派手な攻撃ではない。誰かの腕を引いただけだ。
それでも今回は、自分が何をしたのか言えた。
荷車の男たちが豆の袋を運び直していた。
女性が一袋を抱え、濡れなかったと僕へ見せる。
種にする分だ。
僕は笑おうとして、少し変な顔になった。
橋は当分使えない。
別の男性が、どうして僕だけ動けたのか尋ねた。
僕はうまく説明できず、術が効きにくいらしいと答えた。
テトライルはそれ以上の話を広げなかった。
助かった男の足を確かめ、歩ける距離だけ一緒に移る。
僕が何者なのかより、今はそちらが先だった。
その判断にほっとした。
神様だから平気だった、と言われたら困る。
実際、石に当たった肩はしっかり痛い。
豆の女性が布を持ってきてくれた。
綺麗なものだと見せてから、僕の手へ載せる。
僕は礼を言った。
守る側に回れた気がしたのは、ほんの少しの間だけだった。
すぐまた誰かに助けてもらっている。
それでも先ほど引いた手の重さは、僕の掌に残っていた。
地元の者が迂回路を知らせ、テトライルが警戒部隊へ伝える。
僕達も今日は先へ進まない事になった。
予定より遅れる。
けれど種の袋は残ったし、あの人も自分の足で歩いている。
地図の線を短くするより大事な事が、今日は目の前にあった。
帰り際、助けた男が自分の腕を見せた。
僕の握った場所に薄い赤みがある。強く引き過ぎたかと謝ると、首を振られた。
「離さないでいてくれて、助かった」
僕は返事に困った。
上手く引けた訳ではない。足も震えていた。
でも、離さなかったのは確かだった。
その一つだけは、自分の記録にも残しておこうと思った。
お読みいただきありがとうございます。
今回は血刃ではなく、誰かを掴んだ手が働きました。
カイの次の一歩も、ブックマークして見届けていただけると嬉しいです。




