第五十五話:留守番の味と、出発前の約束
出発前日の厨房には、イツモアの包みが並んでいた。
丸いもの。平たいもの。細長いもの。
茶色い袋ばかりに見えていたナギの土産とは違い、今日は中身が見える。
干した肉、焼いた穀物、乾燥させた果実。
僕は入口で一度足を止めた。
「これ、何日分?」
イツモアは少し考えた。
その間が不安だった。
「予定の日数に、足止めされた場合の分を加えております」
軍の遠征に持っていく量ではなかろうか。
僕は話し合いに行くつもりだが、食料だけ見ると領土を広げに行きそうだった。
卓の端にテトライルがいた。
何種類かの包みを開き、重さと大きさを見比べている。
ちゃんと食べられる量かどうかを確かめているらしい。
「こちらは私の方へ。カイ様の鞄には、すぐ口にできる物を」
イツモアが頷き、小さな包みを僕の側へ寄せた。
二人が話し合うと、僕の持ち物がどんどん合理的になる。
本人はまだ朝食の事を考えているのに。
味見を頼まれ、焼いた物を一つ取った。
硬い。
歯を当てた瞬間に、これは飲み物と一緒に扱う食品だと分かった。
「どうですか?」
真剣な顔で聞かれて返答に詰まる。
不味くはない。香りもいい。
ただ今は口の中の水分を、もの凄い勢いで持っていかれている。
シェリルが横から杯を差し出した。
助かった。
料理の評価より先に僕の救助が必要だった。
飲み込んでから感想を伝えると、イツモアは焼いた時間を記録した紙へ線を引いた。
柔らかい方は早めに食べる。長く持たせる分は汁物に入れる。
用途を分ける事になった。
万能の保存食は、そう簡単にはできないらしい。
僕の血刃と同じだ。できる事を確認してから使う場所を決める。
ただし保存食は使っても僕から血が出ない。
今のところ能力部門は、生活用品に負け越している。
テトライルは干した肉を噛んでいた。
表情がほとんど変わらないので感想を待つ。
やがて包みをもう一度見た。
「こちらは、とてもよろしいですね」
声が少し明るかった。
イツモアが香草の種類を説明し、彼女は熱心に聞く。
ああ、好きなんだな。
戦闘や護衛の話をしている時より分かりやすい。
僕が見ている事に気づくと、テトライルは居住まいを正した。
「もちろん、道中の食事として扱いやすいという意味でもございます」
誰も責めていません。
好きなものを好きと言うだけで補足説明が増える騎士団長、ちょっと面白い。
昼過ぎまで皆で包みを分けた。
食べる順番を書き、紐の色を変える。
僕は札を結ぶ係だった。
今度は布を指に巻いた。
血刃様は休暇である。
覚えた能力を使わない方が仕事が早い事も、僕はちゃんと学んでいた。
イツモアが結び目を確かめる。
「きちんと揃っていますわね」
村で覚えた仕事です。
褒められて少し嬉しかったので、その事は言わずに次の札を取った。
大人の男が紐結びを褒められて喜んでいる場面を、これ以上強調しなくていい。
テトライルは午後から騎士団へ戻った。
留守中の指示を伝え、戻ってくる部隊の報告を受けるらしい。
シェリルも検査室へ呼ばれた。
厨房が静かになる。
僕とイツモアは残った皿を片づけた。
窓の外では、神殿の中庭へ光が落ちている。
枝の影が床をゆっくり横切った。
こんなに穏やかな場所から明日また出ていくのだと思うと、荷物を詰めた鞄の事が急に気になった。
イツモアは僕の前へ、小さな包みを一つ置いた。
「こちらは最初の休憩の時に」
乾かした果実だった。
ナギで分けてもらったものが入っている。
「最初から全部食べないようにするよ」
冗談のつもりで言ったが、彼女は笑わなかった。
包みの端を撫でている。
僕は手を止めた。
「……やっぱり、一緒に行きたい?」
尋ねる必要のない質問だったかもしれない。
それでもイツモアは、ゆっくり頷いた。
「はい。できる事なら」
それだけ言ってから、彼女は顔を上げた。
留守中の救護について、巫女たちと既に話を進めているという。
避難者の連絡先を残す方法も決めた。
そちらも必要な仕事だと、彼女は分かっている。
分かった上で、僕のそばへいたいと思ってくれている。
僕は隣の椅子へ座った。
何を言えばいいか、しばらく考えた。
安全です、とか、心配しないで、とか。
どれも旅先で怪我をした僕が言うと、説得力が薄い。
「向こうの食べ物も覚えてくるよ」
イツモアが僕を見る。
僕は果実の包みを指した。
「名前だけじゃなくて、どんな味だったか。作り方までは聞けないかもしれないけど、帰ったら一緒に考えられるだろ?」
彼女の口元が少し緩んだ。
何かを約束するなら、これくらいなら僕にもできると思った。
「では、美味しかったものだけではなく、苦手だったものも」
「僕、あまり食べ物で困らないからなあ」
そう答えると、イツモアが先ほどの硬い焼き物へ目を向けた。
それは苦手というより、飲み物の配備が間に合わなかっただけです。
食料輸送の問題です。
ようやく彼女が笑った。
僕もつられて笑い、果実を一つ口へ入れた。
甘い。後から少し酸っぱい。
この味なら、遠くへ行っても思い出せそうだった。
片づけの最後に、僕は小さな紙を一枚もらった。
帰ってから忘れずに話す事を書いておく。
料理の名前。香り。食べた場所。
イツモアが覗き込み、一番下を指した。
「誰と召し上がったかも、覚えておいてくださいませ」
僕は顔を上げた。
彼女は真面目だったが、少しだけ頬が膨らんでいた。
料理の記録に同行者の申告欄が増えた。
もちろん書きます。隠し味より隠し事の方が問題になりそうなので。
僕が『テトライル』と先に書くと、彼女はようやく満足そうに頷いた。
夕方にシェリルの確認を受けた。
傷は閉じている。動いた時の痛みもない。
ただし、それだけで何をしてもいい訳ではないと念を押される。
「疲れ方が違ったら、その日のうちにテトライルへ伝えてね」
僕は頷いた。
後からまとめて報告すればいいとは思わない。
あの時の苦しさを、もう一度誰かに見せたいとも思わなかった。
夜、イツモアが部屋へ来た。
持ってきたのは新しい布でも薬でもなかった。
僕の会議服だった。
襟を整え、椅子へ掛ける。
いつもより丁寧に布を撫でているので、僕はその手へ自分の手を重ねた。
「準備、もう終わりにしない?」
彼女は少し驚いた顔をした。
それから、まだ入れておいた方がよい物があるかもしれないと言った。
気持ちは分かる。
何かを詰めれば、その分だけ安心できる気がするのだろう。
僕も筆を三本持っていこうとしていた。
「あと一つ入れるとしたら、イツ本人になりそうだよ」
彼女は真面目な顔で僕の鞄を見た。
いや、入れるかどうか確かめないでいただきたい。たとえ話ですから。
「できる事ならお前を連れていきたい。離れたくないぜ」という口説き文句ですから。
入れたとしても人数の問題が残っています。
僕が笑うと、ようやくイツモアも笑った。
そのまま指を絡めてくる。
「では、出発まではお時間をいただいても?」
僕は隣へ座るよう促した。
彼女はすぐには座らず、僕の肩へ腕を回した。
頬へ柔らかな髪が触れる。
少し前まで、留守番の準備を取り仕切っていた巫女長だった。
今は僕の返事を待っている。
「うん。今日はもう、どこにも行かない」
そう伝えると、彼女の額が僕の額へ触れた。
灯りを落とす前に、僕は机の紙を裏返した。
記録に残す必要のない時間もある。
その夜は少し変わった夢を見た。
白い袖が見える。どうやら僕は白衣を着ているらしい。
隣で眼鏡の男性が何かを言い、向かいの女性が笑った。
男性の雰囲気が少しヴィンセントに似ている。女性はシェリルを大人っぽくしたようにも見えた。
けれど顔を確かめようとすると、輪郭がぼやける。
大きなモニター。その前にいる三人。
何を話しているのかは聞き取れないのに、僕も笑っていた。
……何だろう。
知らないはずなのに、ここにいたいと思った。
目が覚める頃には話の中身も顔も曖昧になっていた。
楽しかったという感覚だけが残っていた。
翌朝、目を開けるとイツモアが椅子の上の服を見ていた。
こちらへ振り向いた顔が嬉しそうだったので、少し安心する。
「僕、何か忘れてる?」
寝起きの声で尋ねると、彼女は僕の髪へ手を伸ばした。
跳ねていたところを直してくれる。
「いいえ。充分ですわ」
その言い方に別の意味まで含まれている気がした。
僕は起き上がり、顔を洗いに行く。
出発前から赤い顔で朝食へ行ったら、シェリルに何を言われるか分からない。
だが冷たい水で顔を洗っても、口元までは上手く戻らなかった。
お読みいただきありがとうございます。
留守番をするイツモアの気持ちが、旅の包みへ少しずつ増えていく一話でした。
二人の旅の続きを見届けていただけましたら、ブックマークしてお待ちいただけると嬉しいです。




