第五十四話:騎士団長の鞄と、僕の持ち物欄
テトライルの旅支度は早かった。
テトライルが僕の部屋へ来た時には、旅の荷物は既に一つの鞄へ収まっていた。
その横には手入れの済んだ剣。赤いマントも畳まれている。
僕はまだ机の上で、筆を二本持っていくか三本にするか悩んでいた。
騎士団長と新人冒険者。
準備の段階で能力差を見せつけてくる。
「予備はございます。足りなければ私の物をお使いください」
彼女は僕の筆を見て言った。
大変ありがたい申し出だ。
では一本でいいかと思って持ち上げると、イツモアが二本目を袋へ戻した。
「別々に持っていれば、片方を失くしても使えますわ」
どちらも正しい。
両方の意見を取り入れると、僕の荷物だけが増える仕組みだった。
なるほど。お客様のご要望を全部取り入れると、こうして追加注文が増えていくのか。
出発は明後日の朝になった。
セキラハから届いた案内には、会議場と宿泊場所、それぞれの陣営が使う入口が記されている。
ヴィンセントは警護の取り決めを何度も確かめ、最後に書面を僕達へ渡した。
護衛部隊は会議場へ入らない。
ネオ・エデン側の街道警戒は続けるが、僕達の移動は二人で行う。
向こうも代表と同伴者以外を席へつけない。
読んでいるだけで肩が凝る。
歓迎会の案内状とは随分違うものだった。
テトライルは道順を卓へ広げた。
泊まる予定の場所には印がつき、通れなかった場合の道も引いてある。
「ここで道の様子を確認いたします。その先に異常があれば、こちらへ戻ります」
彼女の指が一つ前の宿へ戻った。
遠回りして突き進む線はなかった。
「行けるところまで行ってみる、ではないんだね」
僕が言うと、彼女は少し考えてから頷いた。
「進んだ先で戻れなくなる方が困りますので。日程よりお身体を優先いたします」
攻略中のダンジョンなら、もう一部屋だけ覗きたくなる。
だが今回はセーブできない。
自分の身体でそれを思い知ったばかりだった。
シェリルが僕の筆記用の紙を分けた。
能力の記録と、会議で使う物。
他種族へ渡す報告には、カイの身体についての細かな記述を入れないという。
「見せる相手が違うからね。混ざらないようにしておきましょう」
僕は慌てて紙を見直した。
『血刃様、本日は勤務時間が短い』という走り書きがある。
これを軍事報告に混ぜたら、敵より先に僕の頭を心配される。
自分用の記録は鞄の内側へ。
会議の資料は留め具のついた別の袋へ収めた。
その上に新しい上着を重ねようとすると、テトライルが手を止めた。
「道中に使う物は、先に取り出せる場所へ」
布と水。
小さな袋。
着替え。
一つずつ並べ替えると、鞄の中が僕にも分かるようになった。
今までの収納は、入れば成功という思想で運営されていた。
彼女の鞄を見せてもらう。
紐が巻いてある。布の束。小さな道具。
意外と普通の物が多かった。
もっと光る球とか、投げると敵が消える札とかを想像していたのだが。
「刃物は、こちらにも一つ入れておきます」
テトライルが鞘に収まった小刀を置いた。
僕は右手を見た。
申し訳ありません、血刃様。
現場の判断で外部の専門家を雇う事になりました。
性能で競争していただく必要はありません。僕の血が減るので。
イツモアが小刀の留め方を確かめ、僕の指が刃に触れないよう鞘の向きを変えた。
「使う時には、明るいところでお願いいたします」
僕は頷いた。
刃物を持っただけで二人の監督がつく。
信頼されていないと言いたいが、先日まで自分の指から出た刃で机を傷つけていた身だ。
午後、テトライルと御車を見に行った。
銀色の狼型の移動装置は、点検用の台に並んでいる。
側面の覆いが開き、中の部品が見えた。
僕はつい歩みを止めた。
金属の軸。折り重なる薄い板。小さな光が順に流れていく。
「動くところも見られる?」
整備担当がテトライルを見た。
彼女は安全な位置を確かめ、僕が立つ場所を示す。
部品の一つが回った。
その回転が隣へ伝わり、外の脚に似た部分がゆっくり畳まれる。
おお。
そうなっていたのか。
僕がしゃがみ込むと、テトライルも隣へ膝をついた。
その顔へ金属の反射が当たる。
「こういう動き、お好きなのですか」
イツモアにも同じ事を聞かれた気がする。
僕は頷いた。
「中で何が起きているか見えると楽しいんだよ」
説明の語彙は相変わらず弱い。
だがテトライルは部品へ目を向け、これがどちら側を支えるのかと整備担当へ尋ねた。
返事を聞いて彼女はもう一度僕を見る。
「では、そちらから見ると分かりやすいかもしれません」
彼女も詳しそうだ。趣味が合いそうですな。
立つ場所を少し変えてもらうと、連動する軸がよく見えた。
僕は時間を忘れかけた。
旅に出る前から寄り道をしている。
同行者としての僕の評判が、早くも怪しくなってきた。
戻る途中、テトライルは訓練用の広場へ寄った。
今日は速く動く練習ではない。
鞄を背負って歩き、下ろしてから向きを変える。
「重さが変わると、身体の動き方も変わります」
そう言われて早足になると、背中が遅れてついてきた。
肩の紐が食い込む。振り向いた拍子に鞄の端が腰を叩いた。
荷物まで敵に回した覚えはないのだが。
彼女は紐を短くし、腰の位置で留め直してくれた。
もう一度歩くと随分違った。
背中へ板を貼りつけられたような感じはあるが、勝手に揺れない。
「持ち方だけでこんなに変わるんだ」
テトライルは僕の肩の高さを見てから、自分の鞄を背負った。
何も持っていない時とほとんど変わらない。
慣れもあるのだろう。
だが僕と同じ物差しで測ってはいけない人だという事は、もう知っている。
今度は合図で鞄を下ろした。
紐に片腕が引っ掛かる。
僕がもがくと、彼女は急がず腕を戻すよう言った。
「慌てて引くと、締まります。順番を覚えましょう」
僕は深呼吸した。
右。次に左。
無事に鞄が床へ下りる。
勝った。
本日の対戦相手は鞄だった。血刃様の出番はない。
休憩中、僕は彼女へ聞いた。
道中で何か見つけた時、どう知らせればいいのか。
大声を出すべきか、そばへ寄るべきか。
テトライルは短く答えた。
気づいた場所を指し、見えたものを伝える。
正体が分からなくてもよい。分かったふりをして名前をつけない。
「私を待つ間に、ご自分で近づかないでください」
最後だけ目が合った。
僕は深く頷く。
さすがに、ここで冗談を挟む気にはなれなかった。
広場での練習を終えると、点検の済んだ御車へ戻った。
最後に乗り降りの仕方も確かめる。
扉が開いたからといって、すぐ飛び下りない。
地面を見る。足を置く。身体を移す。
僕が頷くとテトライルは一度だけ実際にやってみせた。
剣も鞄も持っているのに、どこにも引っ掛からない。
同じ動作を真似した僕は、鞄の端を扉の枠へぶつけた。
「横へ向き過ぎです。少し戻して」
言われた通りにすると外へ出られた。
そのまま立って、思わず御車を振り返る。
乗り降りにも上手い下手がある。
今まで扉の広さに助けられていたとは知らなかった。
テトライルは笑わず、次は鞄なしでもう一度と促した。
今度は引っ掛からずに降りられた。鞄を背負い直して試すと、そちらも通れた。
おお。扉との交渉が成立した。
難しいところを一つ減らしてから練習するのか。
全部まとめて出来る気になっていた僕には、それも発見だった。
部屋へ戻るとイツモアが荷物の続きをまとめていた。
空いた場所へ包みを入れようとして、僕の鞄を見る。
「随分、すっきりしましたね」
そうでしょう。
収納にも訓練が必要だと知った男です。
彼女は褒めてくれた後、保存食の包みを二つ足した。
僕の鞄は少しだけ元の丸さへ戻った。
テトライルが自分の鞄を開き、片方を引き受ける。
イツモアはその手元へ、もう一つ別の包みを渡した。
まだあったのか。
二人分の旅支度に、三人目の気持ちが次々と詰め込まれていく。
僕は鞄の留め具を閉じた。
今度は何がどこに入っているか分かる。
それだけで、出発が少し怖くなくなった。
お読みいただきありがとうございます。
二人分の荷物に、三人目の気持ちも詰め込んで。
出発に向けて、カイも少しずつ準備を整えています。




