第五十二話:会議服と、繕われた袖
使者が発って二日後、僕は鏡の前で両腕を広げていた。
白い服の上から布を当てられる。
肩。腰。腕の長さ。
金髪の仕立て係が細い帯を引くたびに、イツモアが横から何か注文を加えていた。
「こちらは少し余裕を。腕を上げた時に引っ張られませんように」
僕は言われるまま腕を下ろした。
次は上げる。身体をひねる。
これ、服を作っているのか僕の可動域を測っているのか。
始まりは上着だった。
旅から帰った僕が繕われた上着を着ようとすると、イツモアが別の服を持ってきたのだ。
「人前へお出になる時の物も、一着整えておきましょう」
その一言で今日が決まった。
外交へ出る予定などまだないが、使者の返事によっては来客を迎える事もあるだろう。
毎回旅の上着で出ていくのはどうなのか、という話らしい。
僕としては清潔なら合格だと思っていた。
だが国の人たちが神様と呼ぶ相手に、その採点基準は少し緩いそうだ。
神様の服装規定。知らないところで就業規則が増えていく。
身だしなみ規定だ。
採寸の後、暗い緑の上着を試着した。白い襟の上から、肩へ垂れる飾り布を重ねられる。
縁には細い金色の模様。胸元を留める飾りも大きい。
鏡の中で、僕の顔だけが採用面接を受けに来た人だった。
「これ、服に負けてません?」
ゴージャスすぎる。今もあるのかわからないが、母国にあった年の瀬の歌謡番組のトリの女性歌手の様だ。
イツモアは首を傾げた。
本気でそう思っていない顔だ。
ありがたい評価だが、自己採点に加えてはいけない点数でもある。
イツモアの中で、僕の評価には常に二メートルくらいの下駄が履かされている。
そこへシェリルが入ってきた。
鉢を一つ窓辺へ置き、僕を見て足を止める。
「あら。随分立派になったわね」
その声が既に笑っている。いけしゃあしゃあと、まあ……。
僕は肩の布を持ち上げた。動くたびに腕へかかる。
「座った時、これを自分で踏みそうなんだけど」
試しに椅子へ座ると、背中の布が座面に挟まった。
立ち上がろうとして肩が引かれる。
ほら見ろ。
敵と会う前に衣装へ拘束された。
シェリルが近づき、布を外してくれた。
仕立て係へ何かを伝えると、大きな飾りも順に取り外される。
最後に残ったのは暗い緑の上着と白い襟だった。
胸元に細い留め具。袖は指にかからない。
ようやく僕が着ている服になった気がした。
イツモアが少し残念そうに金色の飾りを見た。
「こちらはお似合いだと思いましたのに」
「付けるなら一つだけにしよう。僕を飾り棚にしないで」
仕立て係が俯いた。
肩が小さく震えている。
笑っていいんですよ。僕も自分を見て笑いそうだったので。
袖の調整をしている間、シェリルは窓辺で鉢の向きを変えた。
ナギから持ち帰った苗だ。
下に置いた紙には光を当てた時間が書いてある。
「神殿なら、育てやすいんじゃないの?」
僕が尋ねると、彼女は葉の端に触れた。
「水も光も調節できるわ。でも、この子が何を好むかは見ないと分からないでしょう?」
なるほど。
高級ホテルへ入れたから全員が快適、という話でもないらしい。
僕もさっき最高級の飾り布に負けたところだ。
鉢の脇には、リネアの筆跡が残った札があった。
神殿の白い窓枠に村の小さな木札。
少し不釣り合いなのに、そこだけ妙に親しみがある。
僕は鞄から旅の上着を出した。
袖と脇腹には修繕の跡が残っている。それを仕立て係へ見せた。
「これも、まだ着られるようにできますか?」
彼女は布を広げ、袖から脇腹へ縫い目を確かめた。
同じ色の糸がなかった為、繕ったところだけ少し明るい。
イツモアの声が止まった。
シェリルも鉢から手を離す。
「痛んだ部分を取り替える事はできます。ですがプロト・ワンのお召し物。新調された方が……」
仕立て係の説明を聞きながら、僕は縫い目を撫でた。
戦いの後、針を動かしてくれた手を覚えている。
僕は座っているだけだった。痛がり、震え、何を聞かれても上手く答えられなかった。
その間にも服は直っていった。
「全部、消さなくてもいいです。引っ掛からなければ」
自分で言ってから理由を探した。
記念品というのは違う。誇らしい傷でもない。
ただ捨ててしまうのが嫌だった。
イツモアは袖口を指で挟んだ。
「こちらの糸は残して、裏から補強できますか」
彼女の注文に仕立て係が頷いた。
僕の方は見なかったが、何を残したいのか分かってくれた気がした。
採寸が終わると、今度は靴が出てきた。
見た目は普通の革靴に近い。
履いて歩くと踵が浮いたので伝える。別のものへ替えると足に馴染んだ。
その頃、テトライルが戸口へ顔を出した。
僕の相談用に時間を空けてくれたという。
礼を言って歩き出したところで、彼女の目が足元へ落ちた。
「その靴で、少し向きを変えていただけますか」
右へ。
戻って左へ。
僕が振り向くと彼女は膝をつき、靴底を確かめた。
「この床ではよろしいですが、濡れた石では滑りそうです。旅には別の物を」
一瞬で会議服の審査に戦場の視点が入った。
さすが軍事責任者。
ドレスコードに生存率が含まれている。
午後は短い廊下を借りて、足の置き方を見てもらった。
訓練用の武器はない。
床へ置いた布を避けて歩き、合図で止まるだけだ。
これでよかったのだろうか。
僕が思い描いていた修練には、滝と木剣くらいは登場していた。
だが早足で止まろうとすると、上半身だけ前へ出る。
テトライルが腕を伸ばし、肩へ軽く触れた。
それだけで倒れずに済んだ。
「目を伏せ過ぎておられます。足元だけを見ると、その先が見えません」
顔を上げると今度は布を踏んだ。
難しいな、歩行。
二十年以上の実務経験があるつもりだったのだが。
彼女は呆れなかった。
布の間隔を広げ、僕が足を置ける場所を指してくれる。
一回目より二回目の方が止まりやすかった。
三回目は少し急いで、また肩を支えられた。
成長と調子に乗る速度が釣り合っている。
後者だけ遅くなってくれればありがたいのに。
休憩の椅子へ座ると、テトライルが僕の手を見た。
「血の刃は、本日は使われないのですか」
僕は指を開いた。
期待しているようにも見える。未知の武器への関心なのかもしれない。
「足が動くようになってからかな。二つ一緒は難しそうだし」
その答えに彼女の口元が少し緩んだ。
「はい。その方がよろしいかと」
聞きましたか、血刃様。
あなたの出番までに履修する科目が多いそうです。
まず歩く。次に止まる。大変初歩的な学校へ入学したものだ。
廊下を離れる前に、僕は床の布を拾った。
テトライルが片づけようとしたが、自分で置いたものくらいは戻したかった。
最後の一枚へ手を伸ばすと、彼女が少し待つよう言う。
前へ屈み過ぎていたらしい。足を一歩近づけてから拾うと腰が楽だった。
日常生活にも改善点が多い。
僕の身体、説明書なしで二十年以上使ってきた中古品みたいだ。
それでも彼女は、最後には最初より安定していたと言ってくれた。
僕はその言葉だけを紙の端へ書いた。
失敗の記録ばかりでは、読み返す自分が気の毒なので。
夕方、仕立て係が仮縫いの上着を持ってきた。
腕を動かしても肩は引かれない。椅子へ座り、立っても大丈夫だった。
イツモアが襟を直してくれる。
今日は飾りを増やさなかった。
「これでしたら、カイ様らしくお話しできそうですわね」
僕らしい話し方。
それがどんなものか、自分ではよく分からなかった。
だが鏡の中の僕は、朝よりずっと楽そうな顔をしている。
テトライルが隣に立った。
鎧姿の彼女と並ぶと、ますます僕が普通の人に見える。
「もし他の種族の方と話す事になっても、僕はこのままでいいのかな」
シェリルは木札を鉢へ戻してから振り返った。
「知らない事まで知っている顔をする必要はないわ。でも、何を聞きたいのかは決めておきましょう」
僕は頷いた。
堂々と見せる方法より、そちらの方が考えやすかった。
部屋へ戻る途中、壁の表示に使者の到着報告が出た。
一つ目の返事が届くのは、もう少し先らしい。
僕は新しい上着を腕へ掛け直した。
その下に重ねた古い袖の縫い目が、指先へ小さく当たった。
お読みいただきありがとうございます。
会議服を整え、歩き方から練習するカイ。
血刃様の出番までには、まだ履修する科目が多いようです。
新しい上着と、残しておきたい古い縫い目。
今回はそんな帰還後の一日でした。




