第四十九話:行けなかった街と、帰る場所
カウガ行きは中止になった。
シェリルから聞いた時、僕は驚かなかった。
六体もの鉄骸が街道へ現れた。その報告を直接持ち帰る必要があるのだという。
「分かった。帰ろう」
シェリルは僕の返事を聞いてから、帰る道を示した。
来た道をそのまま辿れる部分と、騎士団が先に確認している部分がある。残骸の周辺を通る人には、しばらく別の道を使ってもらうそうだ。
報告だけなら、昨日も連絡は取れていた。
それでも帰るのは、六体の記録と僕達が見た事を直接照らし合わせる為でもあるらしい。
僕の身体の状態も詳しく確かめる。
その言葉には頷くしかなかった。
自分でも何が起こっているのか分かっていないからな。
傷が塞がっただけで、全部分かった訳ではない。
もう一度同じ事をして確かめよう、などとは思えなかった。
そう考えてから、鞄の紙束へ目が行った。
施設の名前。
図書館の場所。
僕が丸をつけた、復元された機械を見る予定。
楽しみにしていたんだな。
紙を見て、改めて思った。
イツモアは香草の包みを整理していた。
帰りの分にと分けたものが、そのまま残っている。
予定通りにいかなかった旅なのに、荷物だけは帰り支度になっていた。
「また行こうね」
僕が言うと二人が顔を上げた。
「カウガ。今回は行けなかったけど。今度は四人で行きたいな」
今度はテトライルも。
ヴィンセント? あのメガネは留守番が似合う。
シェリルが微笑んだ。
いつもの優しく柔らかい笑みだった。
「ええ。見たい場所は、消さずに残しておきましょう」
イツモアも頷き、包みを鞄へ戻した。
僕も紙を捨てず、記録の間へ挟んだ。
避難者たちは騎士団の護衛を受け、近くの安全な場所へ移動する事になった。
壊れた荷車の運び手は、借りた車体の固定具を確かめている。
商人が僕を見つけて手を振った。
銀髪の青年も布の箱を一つ抱えている。全部は残らなかったらしい。それでも届けられる物はあった。
「お気をつけて」
僕が言うと、運び手は昨日と同じように片手を上げた。
「あんたもな。次は落ち着いて荷物を運ぶところで会おう」
僕は笑って頷いた。
次がある話をしてもらえるのが嬉しかった。
御車へ乗り込む。
座席は柔らかく、走り出しても全く揺れない。それはそうか。浮かんでいるのだから。
昨日まで当たり前だった静かさが、今日はありがたかった。
僕は紙を一枚出した。
テトライルへ聞きたい事を書く。
逃げる時の足の運び。逃げる方向とその判断基準。
周囲を見る方法。立ち回り。
書いていくうちに、項目が増えた。
剣の振り方より先に、立つ場所の質問が並んでいる。
冒険者として地味だ。
生存者としては大事だろう。
イツモアが横から覗き込んだ。
「荷物を持っている時の動きも、伺ってはいかがでしょう」
僕は書き足した。
シェリルからは、実際に転んだ場所の様子も伝えるとよいと助言が来た。
二人とも、もう止めるだけではない。
僕が次に帰ってくる為の話をしている。
右手を開いた。
傷はなかった。
「お前も聞いとけよ、けっちゃん。僕だけ鍛えられて、お前は紙切りのままでは困るからな」
イツモアが小さく笑った。
その顔を見て、自分が久しぶりにそんな事を言ったと気づく。
窓の外を木々が流れていく。
途中の休憩では、銀色の狼たちの足元を覗いた。
外装に細かな擦り傷がある。御車の下にも跳ね上がった泥が乾いて残っていた。
イツモアが隣へ来て、もう点検は済んでいると教えてくれた。
僕は礼を言って立ち上がる。
何でも自分で確かめないと不安なのかもしれない。
どうやらそういう性格の様だ。何となく自分の事が分かってきた。
旅の成果の一つだ。
それでも全部を確かめる能力はない。二人や騎士たちが見てくれた結果を、信じる事も必要だった。
車内へ戻ると、シェリルが苗の箱を閉じるところだった。
布を湿らせ、傾いていた一株を直したという。
「大丈夫そう?」
尋ねると、彼女は箱をそっと置いた。
「ええ。帰ったら少し休ませてあげましょう」
植物の話だ。
でも僕にも同じ事を言われているようで、反論する気にはなれなかった。
僕は紙を押さえ、もう一つ書き足した。
『無事に帰る方法』
質問としては大き過ぎる。
でも、たぶん一番聞きたい事だった。
白い神殿が見えた時、僕は窓へ近づいた。
遠くからでも高い。
雲の下へ伸びる白い輪郭。その周りに外壁が巡り、門へ続く道を人が行き交っている。
初めて見た時は、異世界の建造物だった。
どうやって立っているのか、何階まであるのか、そんな事ばかり考えた。
今は違う。
あそこに知っている人がいる。
それが先に浮かんだ。
門を抜けると、街の音が御車へ届いた。
荷を下ろす声。店先で誰かを呼ぶ声。石畳を歩く足音。
何も起きていない街だった。
昨日の場所でも、その前までは何も起きていなかったのだと思った。
御車が止まる。
外には騎士たちが待っていた。
その先から赤い髪が近づいてくる。
テトライルだった。
「カイ様!」
僕が降りると、彼女の視線が顔から足元へ動いた。
自分で立っているのを見て、少し肩の力が抜ける。
だが、繕われた上着へ目が止まった。
「……お怪我は」
「今はもう塞がってる。二人が助けてくれたから」
そう答えると、テトライルはシェリルとイツモアを見た。
二人の表情から何かを受け取ったらしく、口元を引き締めた。
ヴィンセントも待っていた。
いつものように背筋が伸びている。
眼鏡はない。それでも何となくメガネと言いたくなる顔だった。
今日は言わなかった。
「まず状態の確認を。その後、報告をお願いいたします」
嫌味がなかった。
それだけで事の大きさが分かるのも、普段の行いというものだろう。
シェリルが頷く。
イツモアは僕の隣へ立ち、荷物を別の者へ渡した。
テトライルが少しだけ身を屈める。
「ご無事で何よりです」
その声を聞いた途端、肩に残っていた力が抜けた。
僕は頷き、鞄の中の紙を思い出す。
「テトライル。後で、聞いてほしい事があるんだ」
彼女の目が僕へ戻る。
「私に……ですか?」
僕は深く頷いて彼女の目を見て言った。
「どう動いたらいいのかが分からなかった。だから……教えてほしい。生きて帰ってくる方法を」
上手な頼み方ではなかった。
帰りの御車ではもっと整理できていたのに、本人を前にすると言葉が崩れた。
テトライルは笑わなかった。
「承知いたしました。お身体の状態が落ち着きましたら、お話を伺います」
その返事に僕はもう一度頷いた。
神殿へ向かう途中、街が見えた。
布を干す人がいる。店の前へ木箱を運ぶ人がいる。
子供らしい小さな姿が、大人の後ろを追いかけていた。
ナギでも見た。
オーツでも見た。
場所が違っても、みんな何かを運び、食べ、明日の準備をしている。
昨日の巨体がここへ来たら。
考えかけて、足が少し遅れた。
シェリルが振り返る。
僕は大丈夫と首を振り、歩調を戻した。
どうすれば守れるのかは分からない。
小さな血の刃が出せるようになっただけだ。
怖がりなのも、転ぶのも治っていない。
それでも、あの食卓がなくなるのは嫌だった。
知っている声が聞こえなくなるのも嫌だ。
前方でヴィンセントが評議委員の招集を指示していた。
騎士が足早に通り過ぎる。
足音が白い床へ響いた後、吸い込まれる。
神殿の中は涼しく、外の埃の匂いが少しずつ薄れていく。
いつもなら目を奪われる壁の青い線も、今日は眩しく感じた。
僕は前を歩く人の背中へ視線を戻した。
ヴィンセントは途中で評議委員らしき人物へ短く指示を伝えた。
街道の封鎖、周辺の確認、到着する記録の保管。
僕には全部は分からなかったが、彼が話すたびに人が動いた。
やはりこの男、かなり有能だ。
守る為に動く方法は、敵へ刃を向ける事だけではない。
その当たり前の事を、今は少し具体的に見られる気がした。
テトライルが僕の歩調へ合わせてくれた。
急かさず、肩を支える事もせず、必要なら手を出せる距離にいる。
僕は歩いた。
自分の足でここまで帰ってきた事を、もう少しだけ確かめていたかった。
楽しかった旅の報告では済まない。
その事は僕にも分かった。
帰ってきた。帰る場所がある。
そう思えた場所を、なくしたくない。
その気持ちだけは、何も分からない僕にもはっきりしていた。




