第四十八話:眠れない夜と、残された名前
夜になっても眠れなかった。
横になると脚の落ちてくる音がする。
もちろん実際には聞こえない。
目を開ければ石の壁があり、入口の向こうに小さな火が見えるだけだった。
寝返りを打つ。
脇腹へ手が行く。
傷はない。
治りが早いとは思ったが、あれほどの傷まで短い間に塞がるとは思っていなかった。
だから余計に、さっきの事が嘘のように感じる。
何かの能力なのだろうか。
そう思った途端、地面へついた手の感触が戻ってきた。
「カイ様」
イツモアが静かに呼んだ。
僕は眠れないと答える代わりに、少しだけ場所を空けた。
彼女が隣へ座る。
手が触れた。
「……怖かった」
声にすると、思ったより簡単な言葉だった。
でも言うまでに時間がかかった。
「治ってるのは分かったんだ。でも、痛いし。次に当たったらどうなるのか分からなくて」
途中で言葉が止まる。
イツモアは待っていた。
「僕、もう少し落ち着いて動けると思ってた」
彼女の指が僕の手を包む。
「私も恐ろしかったです」
顔を向けると、イツモアはこちらを見ていた。
「貴方様が見えなくなった時、絶望してしまいました……」
そこで彼女も言葉を切った。
僕は握られていた手を握り返した。
彼女の指は温かかった。
昼間、僕を支えた時より少し力が入っている。僕が動くと、それに合わせて握り方が変わった。
「痛くないですか?」
そう尋ねられて首を振った。
痛みはもうない。ただ自分の体が一体どうなっているか、確かめずにいられないだけだ。
うまく説明できない。イツモアは察して頷いた。
僕の手をほどいて診ようとはせず、そのまま持っていてくれた。
さっきまで何度も脳裏に浮かんだ巨体より、今は彼女の睫毛や頬の方が近くに見えた。
ようやく目が、ここにあるものを見るようになった。
何か気の利いた事を言いたかったが、出てこない。
ジェントルマン失格だ。
少ししてシェリルが温かい飲み物を持ってきてくれた。
僕達の顔を見て、何も尋ねずそばへ座る。
三人で黙って器を持った。
夜の風が入口を通り過ぎる。今度はその音で振り返らずに済んだ。
「テトライルに、聞いてみたい」
僕が言うと二人が顔を向けた。
「戦い方もだけど。逃げ方とか、転ばない方法とか。僕がどこにいたら邪魔にならないのかも」
世界最強になりたい、ではなかった。
少なくとも今は違う。
「次はもう少し、まともに動けるようになりたい。何かあっても自分の足で帰ってこられるくらいには」
シェリルが頷いた。
「ええ。本人に話してみましょう」
イツモアは手を離さなかった。
僕もそのままにした。
しばらくして瞼が重くなった。
今度は閉じても、すぐには脚が落ちてこなかった。
翌朝、まだ夜の明けきらないうちに騎士団の部隊が到着した。
金属の触れ合う音に身体が強張ったが、聞こえてきたのは人の声だった。
騎士たちは避難者の状態を確かめ、街道の安全を調べる者と残る者に分かれた。
シェリルは簡潔に状況を伝えた。
イツモアも人数と怪我の状態を報告する。
二人の声を聞いていると、少しずつ昨日の出来事が形になる。
僕の頭の中では音と影と地面ばかりだったのに。
部隊長らしき人物が挨拶に来た。礼拝かと思うほど深く頭を下げられ、僕もつられて頭を下げる。
教えを乞う前に今の様子を知っておきたくて、テトライルの事を聞いてみた。
彼が言うには、テトライルは一報を聞くや否や愛馬……いや、愛狼か? それにまたがり訓練場を飛び出しそうになったので、居合わせた騎士たちが総出で止めたらしい。
外敵と戦っている時より表情が険しかったそうだ。
お転婆だなぁ……。
そこまで心配させてしまったと思うと、笑ってばかりもいられなかった。
しかし、そうか。聖都の四大戦力のうち二人がここにいる。
防衛の要である彼女まで、持ち場を空ける訳にはいかなかったのだろう。
そうこうしているうちに残骸の周囲の安全確認が済んだらしい。
僕も二人と部隊長に同行し、安全が確かめられた場所まで行く事になった。
近づくと、残っている外装は昨日より大きく見えた。
欠けた縁から細かな粒がほどけている。小さな破片はもう見当たらない。
「消え切る前に確かめます。記録を先に」
騎士の声に皆が動いた。シェリルは昨日の戦闘直後にイツモアと六体を調べた記録を渡していた。
辺りはドラマで見た事件現場のようになっていた。
道には目印が置かれていた。
それより先へは入らないよう言われ、僕は手前で足を止める。倒れた外装の下は空洞になっている場所もあり、見た目だけでは足場の強さが分からないという。
一人の騎士が長い器具を隙間へ差し入れた。
別の者が少し離れた場所で表示を見ている。大きな物を動かす前に、必ず声を掛け合っていた。
昨日の僕は、どこへ足を置いたのだろう。
今見ると、触れたくない場所ばかりだった。
道の脇へ寄せられた荷車の一部が見えた。
車輪は丸い形を失い、軸が途中から曲がっていた。
昨夜、同じ食卓にいた人の仕事道具だった。
僕は残骸から目を逸らし、もう一度向け直した。
見ないまま分かった事にしたくはなかった。
動いている時には逃げる方向しか見ていなかったからだ。
止まった巨体には、見える場所が多過ぎる。
外装の下に筋の束。
ちぎれた管。
折れた脚の中にも金属のような硬い部分と柔らかな組織が詰まっている。
生き物を鎧で包んだだけではない。
機械へ肉を詰めただけでもなさそうだ。
「ここを壊すと、止まるの?」
僕は離れた場所から、砕けた硬い殻を指した。
シェリルが頷く。
「核の一つね。あちらの個体には複数あったわ」
一つ。
という事は、一個壊して終わりではない。
昨日、止まったはずの脚が動いた光景を思い出した。
「あの時、最初に壊した場所だけじゃ足りなかったんだ」
シェリルは頷き、騎士が示した図へ指を置いた。
同じような外形でも、中の配置が少しずつ違うらしい。砕けた殻の位置を重ねると、そのずれが僕にも見えた。
一つの攻略法を覚えれば全部同じ。
そういう相手ではなかった。
僕は六体のどれを見ていたのかも途中から分からなくなっていた。
二人はその間に、別々の個体の違いを見ていたのだ。
戦いながらそんな事ができるのか。
問いかけようとして、紙の端を切るだけで息を止めていた自分を思い出した。
聞きたい事は増える一方だった。
今の僕には、何ができないのかを知る事も勉強になるはずだ。
イツモアが別の残骸を示す。
外からでは隠れていた場所に、似た殻があった。
「外装を壊しただけでは止まらない場合がございます。動きがなくても、近づく前に確かめなければなりません」
僕は足を止めたまま頷いた。
討伐完了の表示が出ない世界である。
倒れたから倒した、では済まないらしい。
騎士の一人がシェリルへ板状の魔法具を渡した。
複数の記録が並んでいる。
彼女は順に目を通した。
一つだけではない。他の騎士から届いた記録も重ね、同じ部分を表示させる。
「六体とも?」
「確認できた記録では一致しております」
僕は少し離れて待っていた。
その画面へ一つの単語が表示された。
ゼノン。
シェリルが声に出して読み上げる。
「ゼノン……」
僕も繰り返した。
何だろう。
知っている気がする。
人の名前か。
どこかの場所か。
漫画かゲームの中に、そんな名前があっただろうか。
思い出そうとすると、逆に遠ざかる。
「カイ?」
シェリルが僕を見ていた。
「どこかで聞いたような気がして」
答えながら、もう一度文字を見る。
「……でも、分からない。勘違いかもしれない」
シェリルは少し間を置いて頷いた。
その後で騎士へ顔を戻し、文字列のあった場所も含めて記録を残すよう伝える。
記録の全てが読めた訳ではないらしい。
壊れた部分もあり、同じ位置から取り出せた情報ばかりではなかった。騎士たちは拾えた断片と、まだ意味の分からない表示を分けていた。
その中に、この短い単語が繰り返しあったという。
「誰かが、これを操ってる?」
僕が尋ねると、シェリルは記録から顔を上げた。
「その可能性は調べる必要があるわね。ただ、この名前だけでは決められないわ」
もっともだった。
箱に書かれた文字列が、持ち主なのか作った人なのか分からない事だってある。
でも、その程度の例えで片づけるには、目の前の物が大き過ぎた。
誰の名前なのか、名前ですらないのか。
まだ分からないという話だった。
僕は崩れた巨体を見た。
こんなものに共通の言葉がある。
それは、どこかにつながっているという事なのだろうか。
帰り際、僕は昨日隠れた岩の方を見た。
欠けた縁が白くなっている。あそこにいたのだと思うと足が止まりかけた。
イツモアが僕の視線を追い、そっと隣へ並ぶ。
僕は深く息を吐いてから、彼女と同じ方向へ歩き出した。
昨日より分かった事が増えた。
同じくらい、分からない事も増えていた。




