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第三十八話:浮かぶ紙と、休む為の約束

食堂へ下りると温かい汁物の匂いがした。

窓際の席にはパンと三つの椀が並んでいる。宿の女性が僕の顔を見るなり、鍋の蓋を持ち上げた。


「冷めてしまったかと心配したよ。お代わりはあるからね」


礼を言って腰を下ろす。

さっきまで血で紙を切っていた人間にも朝食は来る。世界は意外と律儀である。

僕はパンを割ろうとして手を止めた。


指は曲がる。傷もない。

ただ奥に鈍い疲れが残っていた。

本日の右手、始業前から休暇申請。理由は自分で自分を酷使した為。

上司が僕なら許可する。というかしろ。


隣のイツモアがこちらを見る。手が伸びかけたところで、僕はパンを左手へ持ち替えた。


「できるところは自分でやるよ。難しかったら頼む」


彼女の手は籠へ向かった。小さめのパンを一つ選んで皿の端へ置いてくれる。


「ではこちらもどうぞ。こちらの方が柔らかいですわ」


全部取り上げられるより気が楽だった。

僕は左手でパンをちぎり、汁物へ浸した。香草の匂いが湯気と一緒に上がってくる。

朝から随分と大きな出来事があった気がするがまだ一食目だ。


「それで。紙が下がった話も聞かせてくれる?」


シェリルが尋ねた。

僕は木箱で切った時から順に説明した。浮いている紙へ触れた事、その角だけ下がった事。濡れたせいかもしれないと思った事も。


彼女は食事の手を止めずに聞いていた。

イツモアも時々、紙のどの部分へ触れたのかなどを尋ねてくる。

二人とも僕の説明を途中で結論にしてしまわない。

それでようやく、自分でも曖昧だったところに気づいた。


「……押したせいじゃない、とまでは言えないんだよね」


シェリルは頷いた。


「なら、そこを確かめましょう。刃を作らなくても調べられるわ」


僕は椀を持ち直した。

血を出さなくていい研究。大変ありがたい。僕の体にもその方針を周知徹底したい。


食後、部屋の机へ薄い紙を置いた。

シェリルが指を動かすと紙がふわりと持ち上がる。板のように固まるのではなく、端が風を受けて揺れていた。


僕は思わず下を覗き込んだ。

糸はない。知っている。だが覗くくらいは許してほしい。

目の前で魔法が起きているのに僕の脳内の手品鑑定士がなかなか退勤しない。


「まず私が触れますわね」


イツモアが紙の隅へ指を添えた。

少し押すと紙全体が傾く。離せば元へ戻った。

僕も左手を出す。


「押さずに。触れるだけでいいわ」


シェリルの言葉に頷き、紙の角へ指先を置いた。

その部分がふっと下がった。


ほかの端は浮いている。

指を離しても角はすぐには持ち上がらず、シェリルが手元の板へ触れると元へ戻った。


僕は紙と自分の指を見比べた。

爪で引っ掛けた訳でもない。今は指も洗って乾かしてある。


「もう一度同じところでいい?」


彼女が頷く。イツモアが椅子を寄せて紙と僕の手の間を横から見た。

僕は今度こそ押さないように触れた。


角だけが下がる。


イツモアが指を添えた時の動きとは違った。

シェリルは紙を机へ戻してから記録をつけた。


「支える力は途中で変えていないわ。少なくともあなたが触れた場所で加護の働きが乱れているみたいね」


僕は指を引っ込めた。

魔法が使えないどころか邪魔をしているのか。


パーティーに一人いると便利そうな能力。

ただし味方の便利機能にも干渉します。

説明欄に注意事項がまた増えた。


回復役の隣に配置してはいけない前衛だったらどうしよう。

編成画面で頭を抱えるやつだ。僕のせいで。


「何にでも起きるのかな。全部の魔法とか」


思いついて尋ねるとシェリルは紙を揃えた。


「そこまでは分からないわ。今日はこの紙を支える働きで起きた。それを最初の結果にしましょう」


全部分かったつもりになりかけていた。

僕は頷く。イツモアも紙の角へ小さな印をつけ、どこに触れたかを書き込んだ。


見ていた事を三人で並べると、思い込みだけで埋めたところが減っていく。

一人で机へ向かっていた時より少し楽しかった。


「刃を出すのは今日はなし。それから何を試したかは私達にも教えてね」


シェリルの声に僕は右手を開いた。

できると分かると続きを試したくなる。その癖はどうやら彼女にも見抜かれている。


「分かった。次は何をするか相談する」


イツモアが僕の手を見た。それから記録の横へ筆を置く。


「私も一緒に考えたいのです。何もかも止めたい訳ではございません」


その言い方に、僕は顔を上げた。

守ってくれる人ではある。でも、見ているだけの人になりたい訳ではないのだ。


「うん。いつもありがとうね」


彼女は何か言いかけたが、耳まで赤く染めて目を伏せた。

返事の代わりに散らばった紙を丁寧に揃えてくれる。

その横でシェリルが僕の顔を見て微笑んだ。


「相談する相手が増えたでしょう?」


僕は頷いた。

研究室なんてないし机も借り物だ。

それでも今朝より、できそうな事が増えた気がした。

お読みいただきありがとうございます。


今回は血の刃をお休みして、三人で浮かぶ紙を調べるお話でした。

カイの「できる事」と「まだ分からない事」が、少しずつ形になってきています。


作者X:https://x.com/karasunoaoi

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