第三十五話:小さな成果と、布一枚の実力
食後はリネアのところで鉢を移す手伝いをした。
昨日まで同じ棚に並べていた苗を今日は日当たりの違う場所へ置くそうだ。
僕は鉢の番号を読み上げて指定されたところへ運んだ。
土の匂いがする。葉の上にはまだ丸い水滴が残り、鉢を置くたび小さく揺れた。
イツモアは村の人と香草の使い方を話している。シェリルはリネアの記録を見ていた。
僕達三人が別の事をしていても呼べば声が届く。
新鮮だ。そんな距離が今は心地よかった。
「カイさん。こちらもお願いしていいですか?」
リネアが差し出したのは細い紐と木の札だった。
鉢のそばへ立てた杭に札を結ぶらしい。苗の名前だけでなく植えた日も書いてある。
「鉢の場所を変えると分からなくなってしまうので。風で飛ばないように結んでいただければ」
彼女は苗の葉へ触れないように札を持った。僕も一本受け取り、杭へ紐を回す。
結び目を締めようと両端を引くと指へ細い紐が食い込んだ。
痛い。
切れる程ではないが同じところへ何度も掛けたくはない。
先日は木箱のささくれ。今日は紐。
村の作業、地味に指への当たりが強い。僕の指をピンポイントで攻撃してくる。
別名「指狙い村」だな。横溝正史先生原作の小説のタイトルのようだ。
リネアが隣の鉢へ向き直った時、僕は自分の指を見た。
今朝作った厚み。
あれを紐の当たるところへ作れたら?
指の腹へ意識を向けると皮膚の内側がわずかに寄った。
そのまま紐を持ち直す。
……つまみにくい。
指先を厚くし過ぎたせいで紐の端が滑った。結び目まで緩んでしまう。
防護力を上げたら作業効率が下がった。
スキルの説明欄に書いておいてほしい欠点だ。
僕は紐を置いて手を開いた。
厚みを戻す。今度は指先ではなく、紐を引く時に当たっていたところだけ。
関節は避ける。つまむ部分も変えない。
変化はほんの少しだった。
反対の指で触れなければ見落としそうな小さな厚み。
紐を掛け直してゆっくり引く。
痛みが薄い。
それより驚いたのは指を曲げても厚みが残っている事だった。
今朝は動かそうとすると意識が散って形が崩れた。
今は紐の当たる場所がはっきりしているからか、そこを見失わずにいられた。
僕は結び目を締めた。
札を軽く引いても抜けない。
できた。
指を厚くしただけではない。
その状態で別の事ができた。
新機能ついに実用化。特許出願中。
用途は『紐を結ぶ時の指当て』。学会で発表するには少し地味だ。
何の学会なのかはわからない。
「これくらいで大丈夫ですか?」
リネアが札を確かめる。指先で結び目を動かしてから頷いた。
「はい。ありがとうございます。これなら風が吹いても安心ですね」
彼女は隣の苗にも目を向けた。
小さな成果に満足そうな表情。この積み重ねが人生を豊かにする。
大切な事だ。
しかし、葉の形はよく似ている。僕には札を外した途端に見分けがつかなくなる自信があった。
「育ち方を比べる時に混ざってしまうと、何を試したのか分からなくなるんです」
なるほど。
僕の手元の記録と同じだ。
何を変えてどう育ったのか忘れたら、何がよかったのかも分からなくなる。
僕はもう一枚の札を受け取った。
同じ場所へ小さな厚みを作り、紐を引いて結ぶ。今度は最初より少し早くできた。
だが紐を離しても指の形はすぐには戻らなかった。
手を開いて息を吐く。小さな盛り上がりが引くまで待っていると腕まで重く感じる。
二枚でこの疲れ方か。
本日の特殊技能、連続使用回数が少な過ぎる。
「指が痛みますか?」
リネアの声に僕は顔を上げた。
彼女は僕の手と細い紐を見比べ、小さな布を差し出してくれる。
「これを当てると楽ですよ。私もたくさん結ぶ時には使います」
僕は礼を言って受け取った。
指へ布を巻いて紐を引く。
楽だった。
非常に楽だった。
僕が朝から考えていた防護の問題を布一枚が解決している。
文明の利器、強い。しかも疲れない。
未知の能力を苦労して覚えた僕に布が無言で勝っている。
しかもたぶん量産品だ。
それでもさっきの二枚が無駄になった訳ではない。
できなかった事ができた。それは僕だけが知っている小さな成果だった。
残りは布を使って結んだ。
シェリルが記録から顔を上げ、並び終えた鉢を眺める。イツモアも香草の話を終えてこちらへ来た。
「カイ様。リネアと少し距離が近いのではありませんか?」
なっ! 人を浮気者扱いするのはよして欲しい!
無実ですよ、イツモアさん!
「リネア。お手伝いでしたら私にもお声を掛けてくださいませ」
リネア女史は「は、はい」と背筋を伸ばし、少し後ろに下がってしまった。
いや、彼女は札を結ぶ仕事を僕に頼んだだけですよ?
僕がそう説明するとイツモアは一度目を伏せ、リネアへ小さく微笑んだ。
「失礼いたしました。お邪魔をするつもりではなかったのです」
頬はまだ少し膨らんでいる。
この職場、作業距離の規定が独特過ぎる。
とは言っても今までなら髪が逆立って金色に変わりそうなくらいの圧を出すところだが今は片頬を少し膨らませる程度のやきもちだ。
イツモアも少し変わったと思う。
シェリルは分からないが僕もイツモアもこの旅で成長できている気がする。
……これもシェリルの思惑か?
もしそうならやはりシェリルは只者ではない。
が、それは考えすぎのような気がする。
「ですが……綺麗に揃いましたね。私も何かお手伝いいたしましょうか?」
しかし僕が空になった札の籠を見せると、イツモアは少し残念そうに笑った。
彼女には水を運んでもらい、僕はリネアと一緒に足元の紐の切れ端を拾った。
苗床の前はすっかり片づいた。
誰かの役に立つというのは、もっと大きな事だと思っていた。
けれどリネアが札を見て安心した顔をした時、僕もちょっと嬉しかった。
午後、部屋へ戻ってから記録を開いた。
『紐が当たるところだけ厚くする。関節と指先は変えない』
『形を保ったまま結べた。二回目の後は疲れた。戻すまで時間がかかった』
書いてから指を曲げてみる。
いつもの形だ。痛みも残っていない。
しばらく休んで腕の重さが引いてから、紙の端を細く折った。
今度は指の一部を薄く硬くして折り目へ当てる。刃のように引けば紙を切れるのではないか。
結果は紙に擦れた跡がついただけだった。
角度を変えようとすると硬くした部分が崩れた。
紐を引く時は当たる場所が決まっていた。
紙を切るには細い形を保ち、それを動かす必要がある。薄くするだけでは足りないらしい。
僕は紙を机へ置いた。
『切る。まだできない。細い形は動かすと崩れる』
成功したから何でもできる気がした。
危ない危ない。初級技能を覚えた直後に最終装備を作ろうとするな。
今はまだギラやイオを覚えようとするな。
スライムにすら出会っていないのだから。
手を休めながら窓の外を見る。
リネアが札のついた鉢へ水をやっていた。風が葉を揺らす。木の札も揺れたが結び目はほどけない。
あれは僕が結んだものだ。
もしあの研究が大きな成果を残せば、きっと僕の名前がクレジットされるだろう。
『スペシャルサンクス、カイ』だ。
それはさておきその事が妙に誇らしかった。
ただし成果を大げさに発表すると「紐を二枚結びました」になる。
記者会見を開くには早い。
しかし次に練習する内容も少し見えてきた。
大きく変えるより同じ場所へ同じ形を作る。
手を動かしても保てるようにする。そして使い終えたら戻す。
『作る。保つ。戻す。別々に確かめる』
書き終えた紙には分からない事がまだ多かった。
それでも今日は記録の横に成果が一つある。
紐を引く間だけ指を守れた。誰かの作業も少し進んだ。
皮膚。細胞。血液。体液。
僕の中にあるものなのに僕はほとんど知らない。
もう少し確かめてから二人へ話したいと思った。
どこまでできて、どこからできないのか。怖がらせる為でも隠し通す為でもなく、同じものを見てもらえるように。
廊下でイツモアが誰かへ礼を言っていた。
その声を聞き僕は昨日の紙と今日の紙を重ねた。
あと二日、この村にいる。
急いで答えを作らずもう少し自分の手を見てみよう。




