第三十三話:今日したい事と、三日分の寄り道
「こちらでは見つかりましたか?」
イツモアの問いにリネアは鉢へ目を落とした。
さっきまで僕達の顔を見て言葉を選んでいた目が、小さな葉の上で落ち着く。
「まだです。ただ今日は何をしたいか、少し分かるようになりました」
昨日植え替えた苗。今朝は水を控えたい鉢。次に試してみたい香草。
指差しながら話すうち彼女の声に少しずつ張りが戻る。
「失敗すると枯れます。隣の方に教わって、また試して。育ったものを使ってもらえると、嬉しくて」
シェリルが一つの鉢を指した。葉の端が少し巻いている。
「これは日が強かったの?」
「そうかもしれません。水が足りないと思って増やしたら、もっと元気がなくなってしまって」
二人は鉢の置き場所を見た。正午にどの辺りへ影が落ちるかリネアが説明する。
シェリルもすぐには決めず、少し場所を変えて比べようと話した。
布屋根の外へ出ると足元の土が少し乾いていた。僕が見ているのは全部同じ苗床なのに、リネアは鉢ごとに違う状態を覚えている。
答えを教えるだけではなく、育てている人と一緒に考えている。
僕は朝自分の指へ向かって唸った事を思い出した。
「失敗した分も覚えておくんですね」
僕が言うとリネアは作業台の下から薄い板を出した。
日付と鉢へ付けた番号が並び、何度も消して書き直した跡がある。
「同じ失敗をしてしまうので。書いたつもりで書いていなかったりもしますけれど」
少し笑った顔からさっきの緊張が消えていた。
僕の上着にも今朝の失敗を書いた紙がある。何だか妙に親近感が湧いた。
ただし向こうは植物の記録。僕は指の膨らませ方だ。
並べて提出したら僕の方だけ再面談になりそうだ。
イツモアは料理に使える香草について尋ねた。リネアが葉を一枚摘み、香りを確かめてもよいかと差し出す。
受け取ったイツモアは目元を柔らかくした。
「昨日の汁物に入っていたものですね」
「はい。宿へ少し分けています」
僕は苗床を見直した。
昨夜食べたものがここにつながっている。
「美味しかったです。僕もいただきました」
リネアが僕を見て、嬉しそうに笑った。
立派な理由や大きな目的ではなくても、自分のした事で誰かが喜ぶ。彼女にはそれが続けたい理由の一つなのだろう。
イツモアは摘んだ葉を返さず、料理に使ってもいいかと尋ねた。
リネアは小さな籠へ何枚か足して渡す。二人は葉の量や入れる順番について話し始めた。
僕とシェリルはその間に苗床の端へ寄った。
「シェリルもこういうところを見ていると楽しい?」
彼女は鉢を眺めたまま頷いた。
「ええ。昨日と同じように見えても、少しずつ変わるものね。気づけた時は嬉しいわ」
日差しを受けた葉へ目を細める横顔が、神殿の研究室にいる時とは少し違う。
連れてきてもらった旅のつもりだったけれど二人にも見たいものがある。
それが分かるとここへ寄りたいと言ってよかったと思えた。
別れ際リネアはシェリルとイツモアへ改めて頭を下げた。
今度は膝を折らない。
「戻らなければならないのかと思ってしまいました」
イツモアは彼女の手元にある籠を見た。
「ここでの暮らしもお聞かせいただけてよかったです。何かお困りの時はご相談ください」
シェリルもまた通る時には寄りたいと言った。
リネアは頷き、次はもう少し沢山の苗を見せられるように、と答えた。
僕達は宿へ戻る道を歩いた。
苗床の方から誰かを呼ぶリネアの声がする。僕達へ話していた時より大きくて気楽な声だった。
「自分探しって、大きな答えを見つける事ばかりじゃないのかもね」
口にするとシェリルは少し考えた。
「今日は何をしたいか分かる。それも大切な答えでしょうね」
イツモアは振り返り、布屋根の苗床を見た。それから僕へ顔を戻す。
「カイ様は今日何をなさりたいですか」
僕は上着の内側へ手をやった。登録証ではなく折った紙のある方だ。
「昨日できた事を今日もできるようにしたいかな。それとこの村をもう少し見たい」
彼女は頷いた。僕自身も言ってから自分の考えが少しはっきりした。
宿の前で足を止める。
昼の支度をする匂いが漂い、納屋では荷車の持ち主が縄を締め直していた。
今日出発すればこの景色は次に来るまで見られない。
何でも明日へ回せばいい訳ではないが、今はもう少しここにいたかった。
「予定を変えてもいいかな。あと三日ここに泊まりたい」
二人が僕を見た。
シェリルの目が驚いたように少し開き、すぐに穏やかな表情へ戻る。
「カウガへ急ぐ用事はないわ。あなたは何を見ておきたい?」
僕は畑と納屋を見た。
自分の指の事だけではなかった。リネアの苗を育てる場所も、夕食を作る厨房も、朝に水を運ぶ人たちも気になる。
「村の仕事をもう少し手伝いたい。できる事を探してるだけで、通り過ぎるのも嫌だなって」
シェリルは頷いた。僕が話し終えるまで待ち、手元の板を開く。
「私は苗床をもう一度見たいわ。イツは?」
イツモアは籠の中の香草を見た。さっきから大切に葉を潰さないように持っている。
「厨房で試してみたい料理がございます。宿の方のお許しがあれば、ですが」
僕は思わず笑った。
三人とも延長の理由を持っていた。
僕だけが寄り道したがっていると思ったら満場一致だった。
この旅、議長のメガネが不在だと決議が早い。メガネはかけてないけど。
イツモアが宿の部屋と周囲の様子を改めて確かめ、シェリルは旅程を整理した。ネオ・エデンへも予定の変更を連絡するという。
僕は宿の人へ三日分の部屋を頼んだ。
「空いてるよ。夕食も三人分でいいかい?」
「お願いします」
返事をしてから何となく胸が弾んだ。
行き先だけでなくここにいる時間も自分で選べた。
午後は頼まれた籠を納屋へ運んで道具を返した。
大きな仕事ではない。それでも昨日より少し迷わず動けた。
部屋へ戻ってから手を机へ置く。
今度は指の腹ではなく縁に近い狭い場所を意識した。
少し厚くする。曲げる。戻す。
厚くし過ぎると動かしにくい。場所を狭くすると形を保てない。
二度失敗し、三度目に小さな盛り上がりが残った。
机の角へそっと指を当てるといつもの皮膚より硬い感触がある。
押し返すほどの力はないが、角が直接食い込む感じは少し弱い。
守れるかもしれない。
ただしここだけだ。
敵が親切に指のこの一点を狙ってくれるなら、かなり有効な防具である。
そんな礼儀正しい敵はたぶんいない。
「弱点ではなく、こちらの硬いところをお願いします」
戦闘前のお願いとしては図々し過ぎる。
僕は笑いかけ、すぐに手を開いた。指先が重くなってきた。
元へ戻してから成功した場所と失敗した形を書き足す。
『狭くすると難しい。厚いと動かしにくい。戻すところまで、一回』
リネアが苗の番号を書いていた手を思い出した。
僕も昨日とは少し違う事が分かった。
窓の外では苗床へ薄い影がかかっている。
あと三日この村の朝と夜を見られる。
僕は紙の端に今日の日付を添えた。




