第二十九話:露店のご馳走と、見えない三人目
ギルドを出ると、通りの明るさに目が細くなった。
建物の中では気にならなかった風が、額と首筋を撫でていく。通りの向こうでは、張り出した布の日除けがゆっくり膨らんでいた。軒下の陰は涼しそうなのに、日の当たる石畳からは、靴越しにも熱が伝わる気がする。
荷車の車輪が石畳を鳴らし、店先から声が飛ぶ。
焼いた生地の匂いがして、僕の足は勝手にそちらへ向かいかけた。
「まず、どこを見る?」
シェリルに尋ねられ、僕は少し考えた。
武器屋。
防具屋。
怪しげな魔道具の店。
心の中では、その辺りが大変元気である。
けれど、実際に指差したのは、通りの向こうの露店だった。
「……あれ、何を焼いてるんだろう」
「聞いてみましょうか。さっきから、そちらばかり見ているもの」
僕が目を逸らすと、彼女は笑って露店へ歩き出した。
店先では、兎の耳を持つ店主が、薄く延ばした生地を鉄板から剥がしていた。
中に刻んだ野菜と何かの肉を挟み、折り畳んでいる。
鉄板の上で脂が小さく跳ねた。店主の耳が通りの声に合わせて動く一方、手は止まらない。焼き色のついた生地を返し、具を載せ、次の一枚を広げる。その手際を見ているだけで、腹が減ってきた。
僕が尋ねると、店主は具を指しながら説明してくれた。
知らない名前が二つほど混じったが、温かいうちに食べるものだという事は分かった。
「三つ、ください。二つはそのままで、一つは包んでもらえますか」
店主は僕とシェリルを見て、それから鉄板へ目を戻した。
「三つ?」
具を載せる手が、一瞬だけ止まる。
「お兄さん、一人で二つは多いだろ?」
訝しげだった顔が、からかうような笑みに変わった。店主は出来上がったものを持ち上げ、大きさを見せるように軽く振る。
確かに、一つでも十分に腹が膨れそうだ。
「いや、もう一つは――」
言いかけて、隣の何もない場所を見そうになった。
危ない。
「持って帰る分です」
「そうかい。気に入ったら、また来てくれよ」
店主は笑って、三つ目を包み始めた。
僕の横では、シェリルが口元を押さえている。
「……笑わなくても」
「ごめんなさい。イツの事、忘れずにいてくれたのが嬉しくて」
絶対、それだけではない。
僕は受け取った二つのうち、一つを彼女へ差し出した。
「はい。シェリルの分」
「あら。私の分も頼んでくれたの?」
「一緒に歩いてるんだから、一緒に食べようよ」
シェリルは少し目を丸くした。それから、差し出したものを両手で受け取る。
「ありがとう。嬉しいわ」
さっきまでの笑いを含んだ声が、ふっと柔らかくなった。
何となく照れくさくなって、僕は先に自分の分の端をかじった。
熱い。
そして、うまい。
表面は薄くぱりっとしていて、中は柔らかかった。噛むと肉の汁と、少し酸味のある野菜の味が混じる。知らない食べ物なのに、もう一口食べたくなる感じは、よく知っていた。
口の中を冷ます為に息を吸うと、店主が小さく笑った。僕も、熱かったです、と笑い返す。
シェリルも、少しずつ端をかじっていた。
僕と目が合うと、まだ口に入っているのか、言葉の代わりに小さく頷く。
「美味しい?」
飲み込んでから、彼女は笑った。
「ええ。こうして一緒に食べると、なおさらね」
風が彼女の髪を揺らした。片手で髪を耳へ掛け直してから、もう一口。いつもお茶を飲む姿より、少し気軽で、どこか楽しそうに見えた。
「あなたは、どう?」
「冒険者になってよかった」
「それ、登録していなくても買えるわよ」
そうだった。
シェリルは笑いをこらえるように口元へ手を添えた。それから僕の手元を見て、少し首を傾げる。
「熱いでしょう。急がなくていいのよ。誰も取らないから」
「そんなにがっついてた?」
「とても美味しそうに食べていたわ」
それが嬉しい、とでも言うような顔をされて、妙に返す言葉がなくなった。
僕は黙って、もう一口かじった。
隣の何もない場所から、小さな笑い声がした気がする。
「イツも食べる?」
返事の代わりに、シェリルが僕の袖を軽く引いた。
通りの真ん中だった。
……危ない。
何もない空間に食べ物を勧める人になるところだった。
「宿に戻ってからにしましょうね。あなたが一人でお喋りする人だと思われたら、私も説明に困ってしまうもの」
彼女はそう囁いて、僕の袖をぽん、と軽く叩いた。
「はい」
今日だけで何度、この返事をしただろう。
その後は、店を覗きながらゆっくり歩いた。
通りが細くなると、人とすれ違うたびに肩を引く。シェリルは僕の半歩先を進み、荷車が来ると振り返って壁際へ寄せてくれた。曲がり角では足を緩め、僕が店先を見終わるのを待つ。
おかげで僕は、何度も看板を見上げ、何度も立ち止まる事ができた。
武器屋の軒先では、短い剣が何本も並んでいた。
僕が足を止めると、店の人が一本を持ち上げる。
刃に通りの光が細く映った。握りの革は黒く、鞘の口には小さな金具がついている。飾りの少ない剣だったが、それが逆に、本当に使う道具なのだと思わせた。
かっこいい。
一度くらい腰に提げてみたい。
その一方で、刃の先がこちらへ向いた瞬間、腹の辺りが小さく縮んだ。
「使ってみるか?」
「見るだけで大丈夫です」
シェリルに止められる前に、自分で言えた。
今の僕には、良い剣と高い剣の区別すらつかない。
せめて持ち方くらい教わってからにしよう。




