第二十六話:猫のお茶と、昔の杖
「それでは、こちらが登録証になります」
クニュセ女史が差し出したのは、薄い金属の板だった。
表には僕の名前と、見慣れない文字。そして端の方に、小さく『α』と刻まれている。
ついに来た。
冒険者カイ、爆誕。
……ただし、魔力測定は無反応。測定不能ではない。無視だ。
伝説の剣も授かっていないし、隠された能力が判明した訳でもない。
上司の顔で登録してもらった感が、ものすごい。
(これ、コネ入社では?)
いや、考えるのはやめよう。
社会に出れば、人との繋がりも立派な能力だ。たぶん。
「登録証を紛失された場合は、再発行のお手続きが必要になります。依頼を受ける際には必ずご提示ください」
「はい。大切にします」
僕は両手で受け取り、もう一度頭を下げた。こういう時日本人なんだなぁ、としみじみ感じる。
そんな気分に浸っている僕の周囲では、まだ小さな声が飛び交っている。
無反応だった水晶を見て笑っていた連中も、ギルドマスター自ら登録に口を挟んだせいか、こちらをどう扱えばいいのか決めかねているらしい。
僕だって決めかねている。
最弱新人として笑われるのか、上司の威光で敬遠されるのか。
どちらにしても、爽やかな同期との友情イベントからは遠そうだ。
「クニュセ。依頼の説明は、後ほどお願いできますかな」
シャトーリが穏やかに告げた。
「承知しました」
それから彼は、シェリルに向き直った。
「お時間が許すのでしたら、少しお茶でもいかがでしょう。昔の話など、させていただければ」
「ええ。そうね、いただこうかしら。カイ、かまわない?」
シェリルが頷くと、シャトーリは僕にも微笑みかけた。
「カイ殿も、どうぞ」
「僕もいいんですか?」
「もちろんでございます。立ち話ばかりでは、落ち着きませんからな」
ギルドマスターの部屋。
それはつまり、一般冒険者が簡単には入れない場所。
(初日から上位イベントに入ってしまった)
順番をすっ飛ばしていないか、この異世界。
まだ薬草を一本も採っていないぞ。
*
階段を上るシャトーリの足取りは、見た目よりしっかりしていた。
僕はその後ろを歩きながら、何となく左側を気にする。
イツモアの姿は見えない。
ただ、踊り場で僕が壁に寄ろうとすると、その辺りの空気がほんの少し揺れた。
(いるな。ちゃんといる)
姿が見えない同行者に慣れてきた自分が怖い。
これでは、そのうち何もない空間に向かって自然に話しかける人になってしまう。
「こちらでございます」
シャトーリが扉を開いた。
部屋は、想像していたよりずっと普通だった。
大きな机。書類の積まれた棚。窓際の鉢植え。
壁には古い地図と、使い込まれた短い杖が飾られている。
もっとこう、巨大な魔獣の頭とか、呪われた剣とか。
触ると封印が解けてしまう何かを期待していたのだが。
「どうぞ、お掛けください」
僕とシェリルが腰を下ろすと、シャトーリは戸口で待っていた職員にお茶を頼んだ。
「もう一客、お願いいたします」
二人の客に、主人が一人。
もう一客。
僕は何もない隣を見た。
流石である。
見えない護衛の分まで数に入っている。
運ばれてきた四つのカップのうち、一つは空席の前に置かれた。
シャトーリはそこへも軽く会釈をして、何事もなかったように自分の椅子に座る。
イツモアは姿を現さない。
お茶にも、まだ手をつけていないようだった。
護衛中は飲まない、とかいう決まりがあるのだろうか。
それとも、カップだけ浮かぶ光景を僕に見せない為の配慮かもしれない。
「……あの杖、現役の頃のものですか?」
気になっていた壁の杖を指差すと、シャトーリは目を細めた。
「ええ。初めて、自分の報酬で買ったものでございます」
「ランクΣの冒険者が使っていた杖……!」
「ふぉふぉ。これは、まだ駆け出しの頃のものですぞ。何度も折れかけ、修繕して使っておりました」
伝説の装備、ではなかった。
だが、そう言われると逆に気になる。
継ぎ目には細い金具が巻かれていて、握る部分だけ色が違っていた。
「随分、物持ちがいいのね」
シェリルが言った。
「捨てられませんでな。これを買った時、ようやく一人前になれたような気がしたものです」
するとシェリルは何かを思い出し、クスクスと笑い出した。
「その翌日に、道に迷って帰って来られなくなったのは誰だったかしら」
「……そこまで覚えておいででしたか」
僕は思わずシャトーリを見た。
さっきまで威厳のあった猫のおじいさんが、ちょっとだけ小さくなっている。
「帰って来られなかったんですか?」
「街道を選び間違えましてな」
シャトーリの目がほとんど見えない程の長い眉毛のせいで、表情は読み取れないが、その声には何か気恥ずかしさの様な物を感じる。
「それはそうよ、近道をすると言い張って、私の話を聞かないんだもの」
そう言うとシェリルはテーブルに頬杖をつき、懐かしさが含まれた微笑みを送った。
「若い頃の失敗でございます」
「三日も探したのだから」
シェリルの口調は軽かった。
けれど、シャトーリはカップに目を落として、小さく笑った。
「……その節は、本当に」
「いいのよ。帰って来たのだから」
僕は、二人の間にある時間を少しだけ想像した。
今のシャトーリからは、道に迷って泣きそうになっている子供の姿なんて浮かばない。
でも、シェリルには見えているのかもしれない。
何十年も前の子供と、目の前のおじいさん。
同じ人として、当たり前に。
エイリスの長生きって、そういう事でもあるのか。
「……今は、あなたが若い子を探しに行く方でしょう?」
少し温かく和やかな沈黙の後、シェリルが尋ねた。
「まったくでございます。人の話を聞かぬ者ほど、昔の自分によく似ておりますな」
そこで二人が笑った。
(あ、これ、親に昔の失敗を暴露されるやつだ)
異世界でも、そこは変わらないらしい。
第二十七話:女の過去と、最初の仕事 2026.10.13に公開します。




