第十三話:癒やしの時間と、愛称(イツ)の甘い罠
円盤が居住区へと滑り込んでいく。隣に乗るシェリルは、僕の疲れ切った顔を見て、いたずらっぽく微笑んだ。そして、
「ね? 安全だったでしょ」事も無げに彼女は言った。
「安全じゃないよ! きっとテトライルさんが寸止めとかしてくれたから無事だった訳で!!」
そう言った僕の擬音はきっと『プンスカ』だ。
「違うわ。だって私が遠隔で、貴方に着せた服と帯を動かして、安全に回避させていたんだもの」
え? そうなの? じゃあなに? それがなければ全て被弾していたの? 死ぬよ? 普通死ぬよ? で? クスクス笑いながら楽しそうに僕を操作して遊んでいたの?
「もちろん、当たる前に止められるようにもしていたわ。怖い思いをさせてしまったのね。ごめんなさい、カイ」
彼女は僕の袖をそっと撫でた。からかう時とは違う、柔らかな声だった。
……服ごと動かされていたのか。チート主人公だと思ったら、上司の操り人形でした。ジョブ変更が忙しいな、この世界。
僕が眉間にしわを集めて無言でジッとシェリル(狂科学者)に視線を送ると、
「そんな事より」と右斜め上の発言が彼女の艶やかな唇から飛び出した。
そんな事より!!? そ! そんな事よりと仰いました? と驚いていると、悪戯っぽい笑みを浮かべて続ける。ドSかな?
「ねえ、カイ。さっきも言ったけど……貴方、まだ彼女を『イツモアさん』って呼ぶつもり? きっと悲しんでるわよ」
人差し指を立てて、前かがみの姿勢で僕を見上げ、お姉さんスタイルのまま
「私の事も『シェリル』って呼ぶって約束したんだから、彼女の事も呼び捨てにしてあげなさいよ?」
「……わかってるよ。でも、いきなりは緊張するっていうか……」
円盤を降り、歩きながら話していると、部屋の前にいつの間にか到着していた。そして目の前のドアが無音で上下に開いた。
そこには僕が目覚めた時に最初に出会った、あの銀髪の巫女が待っていた。
「……おかえりなさいませ。カイ様」
イツモアが、完璧な角度で一礼する。その姿は、僕の脳内の隅にへばりついている記憶にある「理想のメイド」そのものだった。
「ただいま。ええと……イツ」
僕が思い切って呼び捨てにすると、イツモアの動きが一瞬止まった。伏せられた睫毛が微かに震え、無表情だった彼女の頬が、見る間に朱に染まっていく。
「……っ。はい、カイ様。お帰りなさいませ!」
隣でシェリルが「ほらね」と言わんばかりに肩をすくめ、ドS研究者は満足げに自分の部屋へと消えていった。
「イツ、なんだか、すごく疲れたよ……」
「存じております。さあ、まずは汚れを落とし、滋養をつけましょう」
イツモアは着替えと湯の用意を整え、僕がローブを脱ぐ間は背を向けて待っていてくれた。
案内されたのは、神殿特有の白銀のタイルが敷きつめられたプライベートバスだった。
「カイ様、お背中をお流しします」
「えっ、いいよ! いつも迷惑かけているし、たまには自分でするから!」
「では、タオルをこちらに。……お疲れでしたら、お背中だけでもお手伝いできますが」
イツモアの手が、僕の返事を待って止まった。
「嫌なわけじゃないんだ。ただ、イツを都合のいい人として使いたくなくて」
「私は、お世話をしたいのです。けれど、それでカイ様がお困りになるのなら……」
最後の言葉が少しだけ小さくなる。
僕は肩を回してみた。演習場で力が入っていたのか、思った以上に重い。
「じゃあ、背中をお願いしてもいいかな」
「……はい。喜んで」
頬をわずかに赤らめた、その笑顔。
凄い! この笑顔は一体何ワットあるのだろうか?
暗く長いトンネルを抜け、一気に明るい道に出た時と同じ眩しさがそこにはあった。えーっと明順応……だったか?
僕は少し照れながら、背中を向けた。
イツモアの滑らかな指先が、温かいお湯と共に僕の肌を滑る。
「カイ様、この部分に微かな筋緊張が見られます。……テトライル様、少々やりすぎですね。後でヴィンセント様とテトライル様にクレームを入れなくては」
……クレームいれるの? あのヴィンセントに? テトライルに? やめておいた方が……ひょっとしてあの2人よりイツモアの方が怖いのでは?
「ねえ、イツ。さっきシェリルに言われたんだけど……やっぱり、『さん』付けで呼ばれるのは、嫌だった?」
僕が背中越しに尋ねると、背中を流していたイツモアの手が、ぴたりと止まった。
「……『嫌』という言葉では、語弊がございます」
イツモアの声が、静かに滑らかに耳の中に吸い込まれる。
「私は巫女イツモア。皆様から敬称を付けて呼ばれる事には慣れております。ですが……カイ様にそう呼ばれるのは何故か少し寂しく感じてしまいました」
肩に置かれたイツの手が、そっと温かいタオルを当てた。
「『イツ』と呼んでいただけた瞬間、私はようやく……貴方様の為の私になれた気がいたしました。ですから、他人行儀な壁を作らないでくださいませ」
……そっか。僕が思っていた以上に、その呼び方が嬉しかったのか。
「じゃあ、これからもイツって呼ぶよ。よろしくね、イツ」
「……はい。約束ですよ、カイ様」
イツの手つきが、いっそう優しくなった。
少し前まで、名前はただ相手を呼ぶ為のものだと思っていた。
今は、その二文字だけで彼女の表情が変わる事が、僕にも嬉しかった。




