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最強の眷属たちに囲まれて、まったりダンジョン運営してます~裏山ダンジョン、ときどき攻略者~  作者: Jasmin


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第9話 掌の感触

side:ユキ


ご主人様が眠りについた。

寝息が規則正しく聞こえ始めたのを確認してから、私は静かに居住スペースを離れた。ダンジョンの通路を歩く。壁面から漏れる淡い光が、無人の空間をぼんやりと照らしている。

この光は、ダンジョンコアから供給される魔力の残滓だ。微かだが、安定している。まるで、この場所が呼吸をしているように。


足を止めた。ダンジョンの最深部――コアが鎮座する小さな空間。ここが、このダンジョンの心臓であり、ご主人様の命そのものだ。

私はコアの傍らに腰を下ろし、背を壁に預けた。別に、理由があるわけではない。ただ、ここが一番落ち着く。守るべきものの隣にいるという事実が、私を安心させるのかもしれない。


目を閉じると、封印の記憶が浮かぶ。

記憶、と呼んでいいのかは分からない。あの中には時間の感覚がなかった。最初のうちは怒りがあった。裏切った者たちへの憎悪。守ってきた森への未練。だが、それもやがて薄れた。

暗闇の中で感情というものが、少しずつ擦り減っていく。怒りが消え、悲しみが消え、最後には恐怖すら消えた。残ったのは、ただ「存在している」という事実だけ。考えることをやめれば楽になるのかもしれないと、何度思ったか分からない。


だから、あの瞬間のことは、よく覚えている。

闇の中に、唐突に声が割り込んできた。


――嘘だろ。


それが、私がこの世界で最初に聞いた言葉だった。

目はなかった。右腕も、左足もなかった。身体がどういう状態なのか、感覚だけで把握できてしまう程度には、私は戦いに慣れていた。だから分かった。自分がひどい有様であることも、目の前に――目はないが――誰かがいることも。

その誰かは、ひどく焦っていた。声が震えている。何かを必死に考えている気配。そして、私の身体に何かが注がれた。


一度ではなかった。何度も、何度も。

その合間に、手が触れた。私の状態を確かめるように、おそるおそる、でも確かに。


……なぜ。

封印の闇の中で、その疑問だけが浮かんだ。こんな有様の、見ず知らずの存在に、なぜこの者はここまでするのか。

答えは返ってこない。ただ、手が触れ続けていた。声が聞こえ続けていた。


やがて、身体の修復が始まった。魔力が流れ込む感覚。失われた四肢が再生し、ダメージを受けた組織が癒されていく。それは私自身の自己修復能力が、注がれた回復薬と周囲の魔力を起点にようやく起動したのだと、後になって理解した。


光が戻った。

文字通りの意味で。失われていた両目が再生し、まぶたの裏にはじめて光を感じた瞬間、身体が自然と宙に浮き上がった。体内で魔力が循環を再開し、エルダーエルフとしての本来の力がわずかに目を覚ましたのだと思う。

浮遊する視界の中で、ゆっくりとまぶたを開く。


下に、一人の青年がいた。

こちらを見上げている。口が半開きで、間の抜けた顔をしていた。疲労の色が濃く、目の下には隈。おそらく、長い時間私の傍についていたのだろう。

その顔を見て、私は何を感じたのだったか。


……正直に言えば、よく分からなかった。

感情が長く封じられていたせいで、自分が今何を感じているのか、判別する機能がうまく動かない。安堵なのか、困惑なのか、それとも他の何かなのか。ただ、「この者が私を助けた」という事実だけが、静かに胸の中に落ちてきた。


それから数日が経ち、私はこの世界のことを少しずつ知った。

ご主人様――鷹峰遥という名の青年は、ダンジョンマスターになったばかりの、ごく普通の人間だった。戦闘経験もなく、魔力の扱いにも不慣れ。それなのに、瀕死の眷属を前に迷わず行動し、多量の財産を注ぎ込んだ。

合理的とは言い難い。だが、その不合理さに、私は救われた。


今日、ご主人様はこのダンジョンの運営方針を語った。

攻略者を殺さない。侵入者を排除するのではなく、滞在してもらう。この世界のダンジョンマスターの「普通」とは正反対の選択。


「俺さ、会社辞めてここに来たの、ぶっちゃけ生活に嫌気が差したからなんだよな」


あの言葉を聞いた時、胸の奥が少しだけ動いた。

かつて私も、守るために戦い続けた。そして最後には、守った者たちに裏切られた。ご主人様の事情と私の過去は、まるで違う。規模も、重さも、何もかも。それでも、「もう嫌になった」と正直に言えるこの人の言葉が、不思議と真っ直ぐに響いた。

殺さない、という選択は甘いのかもしれない。合理的でないのかもしれない。でも、私はあの言葉を聞いた時、反論する気にはならなかった。それどころか、それでいいと思った。この小さなダンジョンが、血の匂いのしない場所であってほしいと。

……それは私の意志なのか、ご主人様の意志に引きずられているだけなのか。判別がつかない。


来週、ご主人様は一人でダンジョン攻略に出る。

私はお供できない。このダンジョンを空にすることはできないから。

「お気をつけください」と言った時、自分の声がわずかに揺れた。なぜ揺れたのか、分からない。ご主人様が危険な場所に行くことへの懸念は、眷属として当然の反応だ。それ以上の何かがあるのかと問われれば、答えに窮する。


ただ。


ご主人様が「本当に、ちゃんと帰ってくるから」と言って、私の頭に手を置いた。

あの感触を、私はまだ反芻している。

召喚された時、暗闘の中で私に触れた手。あの時は何も見えず、ただ感触だけがすべてだった。目が戻った今、あの手が誰のものだったか知っている。その同じ手が、今日、私の頭に触れた。

戦場で受けたどんな傷よりも、封印の中の暗闇よりも、あの手の感触の方がずっと鮮明に残っている。おかしな話だ。エルダーエルフの記憶力をもってしても、何百年分の戦闘記録より、たった一度の感触の方が強い。


この胸の中にある小さな熱を、何と呼べばいいのか、私にはまだ分からない。

恩義とも違う。安堵とも違う。きっと従者としての忠誠だろう。きっとそうだ。


ただ、ご主人様が無事に帰ってくることを。

それだけを、強く願っている自分がいる。


コアの光が、穏やかに明滅していた。

まるで、このダンジョンもご主人様と一緒に眠っているかのように。

私はもうしばらく、ここにいることにした。


――――

貯金残高:430,000円 / ダンジョン蓄積魔力:20

スキル:なし

眷属:ユキ(エルダーエルフ)

――――


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