第61話 正座
俺は絶賛正座中だった。
居住エリアの共用リビング。カーペットの上で膝を揃えて、背筋を伸ばして、左手は太腿の上に乗せている。
目の前には大型ソファ。4人掛けの革張りで、真ん中にユキが座っている。ユキの右隣にハヤテ、左隣にシノ。ソファの端に大型椅子がもう一脚置かれていて、そこにリンドヴルムが足を組んで座っている。
4人分の視線が、正座している俺に突き刺さっている。
「ご主人様。」
ユキが口を開いた。無表情だ。いつものユキだと言えばいつものユキだ。ただ、蒼い瞳の奥に炎が燃えているようだった。
「昨夜のご自身の行動について、どうお考えですか?」
「……はい。」
「はい、とは?」
「……反省してます。」
「何を、でしょうか?」
冷や汗が背中を伝った。
「……無茶、しすぎた件について。」
「具体的には?」
「身の丈に合わん相手に、制御を捨てた魔法を撃ったこと。」
「もう一つあります。」
「もう一つ。」
「ご自身のお身体に対する配慮の欠如。」
「……はい。」
ユキは目を伏せて、一度深く息を吐いた。
ユキの右でハヤテが、鼻をすすった。
「自分、びっくりしたっす。ご主人死んじゃうんじゃないかって。」
「えっと、ハヤテ。」
ハヤテの金色の瞳にみるみる涙が溜まっていく。これで3回目だ。今朝起きてからこの正座が始まるまでの間に、ハヤテは2回、声を上げて泣いた。
ソファの左ではシノが足を組んで、尾を膝の上に載せている。片手で尾の先をなでながら、もう片方の手でスマートフォンをいじっていた。
「あ、ほら、また背筋が曲がってきてるよ。」
彼女は俺がすでに治療を受けたことで、状況を楽しむようにニヤニヤしている。
「……すまん。」
リンドヴルムは、さっきから一言も発していなかった。紫の瞳が俺を見ている。腕を組み、指をゆっくりと叩いている。長い指先がアームレストをこつ、こつ、と鳴らしている。
「……わらわはの。」
ようやく口が開いた。
「お主が帰ってきたとき、すぐにおかしいと思ったのじゃ。魔力が随分しぼんておったからの。」
「シノさんもすぐ気づいてたっすよね?」
「ええ、明らかに疲労とケガと、焦げたような匂いがしていたわね。」
俺は膝の上で左手を握った。昨夜の記憶が蘇ってくる。
――
公園でひかりと別れた後、俺は再度タクシーでダンジョン近くまで戻ってきた。途中の記憶はあんまりない。頭がずっとぼうっとしていた。右腕の断面が、歩くたびにずきずき痛んだのだけは何となく記憶がある。
タクシーの後部座席で、左手でスマートフォンを操作した。ユキにDMを一通。
『今から祖父母宅に戻る。転移陣頼む。』
すぐに了解の返事が来ていた。
タクシーを降りて、祖父母宅の玄関ドアを左手で開けた。靴を脱ぐのに、壁にもたれかかった。廊下を歩いて奥の和室へ。襖を開ける。
畳の中央、蒼い魔法陣の上に、ユキが立っていた。
「ご主人様、おかえ――。」
ユキが、固まった。
蒼い瞳が俺の全身を舐めるように走って、袖が肘の下で空になっているのを捉えた。
時間が、一瞬止まった気がした。
ユキの喉から、言葉にならない音が漏れた。いつも凪いでいる蒼い瞳が、大きく揺れている。
「ご主人様、右腕が……っ。」
「……あー、すまん、ちょっとやらかした。」
「どうして、そのような――」
ユキが魔法陣から踏み出した。足運びが乱れて、畳の縁に躓きかけて、俺の残った左腕を両手で掴んだ。細い指が、はっきりと震えていた。
「血は、止まっていますか、痛みは、ポーション――いえ、まずダンジョンへ、早く、早く戻らなければ……!」
早口だった。ユキの早口は、初めて聞いた。
「ユキ、落ち着け、大丈夫だ。」
「……大丈夫では、ありません。」
即答だった。蒼い瞳に涙の膜が張って、それを振り払うように一つ瞬きをする。
「――居住エリアへ戻ります。お支えします。」
「……頼む。」
ユキが俺の左脇に回り込んで、半分抱えるように魔法陣の中心へ戻った。細い腕が、離すまいと強く俺にしがみついていた。
「発動します。」
蒼い光が足元から上がってきた。視界がぶれる。畳の匂いが、一瞬のうちに石造りの冷たい空気に変わった。
――ああ、帰ってきた。
そう思った瞬間、張り詰めていた何かが、ぶつりと切れた。
そこから先は、記憶がない。
足が勝手に折れた。「ご主人様!」という叫び声がやたら遠くから聞こえた。カーペットに頬が触れて、ひんやりした。ユキの腕が俺を受け止める感触。そして暗転。
意識が戻ったのは、たぶん翌朝だった。
自分の部屋のベッドの上。天井が見える。右腕の断面に清潔な包帯がきっちり巻かれていた。
枕元でユキが俺の顔を覗き込んでいた。その横にハヤテもいる。2人とも目が赤い。
「……ご主人!」
ハヤテが最初に崩れた。顔がくしゃっとなって、俺の布団に突っ伏した。翼がぴるぴると震えていた。
「うわああああん、ご主人……!生きてたっす!」
「ハヤテ……。」
「自分、ご主人が帰ってきて倒れた時、マジで死んだかと思ったっすよ! どさって大きい音がして、ユキ先輩が叫んでて……!」
ハヤテの泣き声が部屋中に響く。翼が震えて、カバーの上をばさっばさっと叩いている。
「ハヤテ、落ち着け、ほら、生きてるから。」
「うぅぅ……。」
ハヤテの額が俺の腹にぐりぐり押し当てられた。頭をぽんぽんと撫でておく。
視線を上げると、ユキがそっと俺の身体に触れた。
「ご主人様。」
「……おう。」
「……お帰りなさいませ。」
「ただいま、心配かけたな。」
「夜通し、眠っておいででした。」
「……そうか。」
「それから、全身の魔力経路に、損傷がありました。ポーションでは治せない種類のものです。私の魔法で修復を試みましたが、完全には戻っておりません。2〜3日は安静にしてください。」
「……了解。」
「右腕については――。」
ユキが言い淀んだ。蒼い瞳が、切断面の包帯に落ちる。
「私の治癒魔法では、失われた部分を元に戻すことはできません。私自身の体なら話は別ですが、欠損そのものの再生は、私の力の外です。」
「そうか。」
薄々分かっていた。ユキの魔法は万能ではない。欠損のような大きな損傷は、本来なら最上位の回復アイテムに頼るしかない。それが世間の常識だ。
「……ごめんな。」
「なぜ、ご主人様が謝るのですか。」
「いや、ユキに治してもらうことは、当然のことなんかじゃないのに、俺は――。」
「当然です。」
ユキがすぐに言った。
「私はご主人様のために在ります。それは永遠に変わりません。ただ、今回ばかりは、私の力が及ばないこと、そしてご主人様の無茶を止められなかった状況が、歯痒いだけです。」
「……うん。」
「ですので。」
ユキが顎を引いた。
「ご主人様。朝食の後、リビングに来てください。きちんとお話があります。」
そうして俺は、朝飯を食べた後、正座しているというわけだ。
――
「……と、いうわけです。」
ユキが話の締めに、こちらをじっと見た。
「私が怒っている理由、お分かりになりましたか?」
「……分かってる。」
「どうぞ、言語化してください。」
「あー……みんなに心配と迷惑をかけて、それから、身体を失うような戦い方をしてしまった。すまない。」
「80点です。」
「……足りないか?」
「残りは、『また同じことをしないと約束する』部分です。」
「……約束する。」
「ご主人様。」
ユキが、わずかに目を伏せた。
「昨夜、ご主人様のお顔を、夜通し見ておりました。」
「……」
「呼吸が浅くなるたびに、心臓が縮んでおりました。ご主人様があのまま戻らなかったらと、何度も思いました。もう、あんな時間は、過ごしたくありません。」
「……悪かった。」
「はい。」
リンドヴルムが、長い足を組み替えた。
「わらわは、別に怒ってはおらん。」
「……え?」
「ユキ、そう睨むな。これはわらわの話じゃ。」
ユキが横目で一瞥したが、何も言わなかった。
紫の瞳が、ふっと細まった。愉快げな笑みが深くなる。
「まぁ、よいではないか。喧嘩してケガするくらい馬鹿な雄の方が、わらわは好みじゃ。」
「……お、おう?」
「利口ぶって安全な間合いから殴るだけの奴よりは、腕の一本くらい賭けて踏み込む奴の方が、見ていて気持ちがよい。」
「……えらい物騒な好みっすね……。」
ハヤテが鼻をすすりながら、小さく口を挟んだ。リンドヴルムが紫の瞳で一瞬ハヤテを見て、片方の口角だけ上げる。
「竜の好みじゃ。」
「――ただし、の。死ぬな。死なれてはつまらん。」
「……了解。」
「よし。」
ユキが俺に視線を戻して、ぽつりと言った。
「ご主人様。竜の基準で生きないでくださいね。ご主人様は人間ですよ。エルフのように自然を愛して生きるのなら歓迎しますが。」
シノが声をあげた。
「で、君が倒した魔術師みたいなやつの魔石、拾えたの?」
「多分、ポーチに押し込んだ記憶があるな。」
「見せて。」
ポーチのファスナーを開けて、中身をそのまま取り出した。拳大の紫の塊。内側に青い光が脈打っている。手のひらに乗せたそれは、居住エリアの照明の下でも、内側から光を放っていた。
シノの琥珀色の瞳が、細くなった。3本の尾が、そろってぴんと立った。
「……君、これ、結構なものだよ。」
「そうなのか?」
「うん、かなりの魔力を秘めてる。君が通ってたの、そんなに上級者向けのダンジョンだったかな?」
「鬼哭砦はCランク推奨って聞いたな。ただ、10層にいた奴は明らかに場違いだった気がする。」
「そうだろうね。」
「君、今日これ、協会に持っていくでしょ?」
「そのつもりだ。」
「ちょっとした騒ぎになるかもしれないね。」
「マジか。まぁもうユキとリンドヴルムが十分目立ってるし、今さらだろ。」
「では、そろそろ正座は終わりにしましょう。」
「……お、許してくれたか?」
「反省していただくのが目的ですから。厳しく言って申し訳ありませんでした。ご主人様、立てますか?」
「正直、痺れて立てる気がしない。」
ハヤテが翼をぱたぱたさせながら飛んできて、俺の左脇を持ち上げた。ハヤテは華奢な見た目に反して力が強い。俺の体重を易々と支えた。
「ご主人、ゆっくりっすよ~。」
「ご主人様、本日の予定は午前中に協会へ魔石の換金だけですよね?しばらく無理は禁物です。」
「そうだな。あー、そうだ、シノ。昨日の公園でひかりに正体を話した。受け入れてくれたよ。弟さんの治療をダンジョンでやることになると思う。」
「話せたのね。」
尾が、ふわりと揺れた。
「――よかった。」
ユキが立ち上がって俺の正面に来た。左手を取って、自分の両手で包んだ。
「協会には、私もお供します。」
「いや、一人でだいじょ――。」
「私もお供します。」
「……分かった。」
「はい。ご主人様と一緒に外出するのは久しぶりですね。」
こんなに強引なユキは初めてだ。改めて相当心配をかけたことを反省する。
支度はそう多くない。ポーチに魔石をしまい直し、上着を羽織る。
「行きましょう。」
ユキの細い指が、俺の左手を取った。
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貯金残高:11,200,000円 / ダンジョン蓄積魔力:1,200
スキル:【剣術】Lv.5 / 【身体強化】Lv.5 / 【戦闘機動】Lv.3 / 【危機感知】Lv.3 / 【状態異常耐性】Lv.2 / 【魔力操作】Lv.2 / 【マナバースト】Lv.3
眷属:ユキ(エルダーエルフ)/ ハヤテ(鷹獣人)/ リンドヴルム(祖竜)/ シノ(九尾)/ 猫又(下位妖獣)/ コムギ(土精)
【ダンジョン構成】
入口 → 物資補給エリア → 宿泊エリア(1泊5,000円/管理:シノの式神「コンシェルさん」&猫又)→ 食堂エリア(管理:コムギ)→ 森エリア(初級者向け/管理:ユキ&ハヤテ)→ 火山・大空洞エリア(中・上級者向け/管理:リンドヴルム)→ 居住エリア → コアの小部屋
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