第58話 覚醒
朝、支度を済ませてからスマートフォンを開いた。ダンジョンボードのDMを立ち上げて、ひかりにメッセージを打つ。
『エリクサーの準備、順調に進んでる。もう少しだけ待っててくれ。』
送信してから、もう一文追加した。
『ひかりも無理するなよ。』
既読がついて、少し間があった。
『はい。……ありがとうございます。弟も小康状態らしくて、安定してます。遥さんも、無理しないでくださいね。』
スマートフォンをポケットにしまって、玄関を出た。猶予は1ヶ月。まだ余裕はある。焦るな。やることをやれ。
魔法の練習を始めて4日目になった。
腹の底にある魔力の位置は、もう完全に把握している。目を閉じれば、身体強化の回路とは別の、もっと深い場所に沈んでいるそれが、はっきりと分かる。
ただ、掴めない。
あと指先1本分。そこから手を伸ばした瞬間に、するんと逃げる。4日連続で同じところで止まっている。
支度を済ませて、祖父母宅に出た。ユキは蒼霧樹海、リンドヴルムは魔獣峡。各自がそれぞれの稼ぎに散る、ここ数日のルーティンだ。
最寄り駅から丘を登って、鬼哭砦の前に立った。蔦に覆われた石の門をくぐると、冷えた空気が頬を撫でた。壁面の紋様が淡い光を放つ石造りの回廊。もう見慣れた景色だ。
1層の入口で、ゴーストアーマーが3体並んで待ち構えていた。錆びた剣を振りかぶった1体目の懐に踏み込んで、関節を一太刀。崩れる音を背中に聞きながら2体目に切りかかる。3体目が横から槍を突いてくるのを半身でかわして、首元を薙いだ。
2層の盾持ちが通路を封鎖してきても、盾ごと叩き割れば済む話だ。4層までは作業みたいなものだった。
問題は5層。ここ数日ずっと、5層で足踏みしている。
螺旋階段を降りて足を踏み入れた。4層までの閉じた回廊と違い、天井が一段高く、壁面に等間隔で格子窓が切られている。通路の両脇に崩れた柱が並び、その上に――いる。弓を構えたゴーストアーマーが、柱の天辺から射線を通していた。
最初の矢が飛んできた。身を捻って避ける。矢が背後の壁に刺さって砕けた。危機感知が反応する。左からもう1本。前方の格子窓からは、術師型が杖を構えている。紫色の魔法弾が格子の隙間を縫って飛んできた。横に跳ぶ。魔法弾が床を抉った。
「あー、クソ、届かないところからチクチク打ちやがって……。」
弓持ちは柱の上。壁を蹴って跳び上がり、柱の天辺に着地して斬り伏せた。降りた瞬間に格子の向こうから魔法弾。近接型が3体、通路を塞ぎにくる。後ろから弓。
近接を斬り崩しながら弓を避ける。問題は格子の向こうだ。
術師が2体、杖に紫色の光が溜まっている。剣が届かない位置から、悠々と杖を構えている。
魔法弾が飛んできた。
身を翻して回廊に戻り、迂回路を探す。T字路を左、螺旋階段を半周降りて、別の通路に出た。
このフロア、構造そのものが遠距離有利にできているのだ。
恐ろしく時間がかかる。剣で切り拓ける範囲と、格子の向こうから一方的に削られる範囲が、交互に続く設計。ここ数日、毎回同じことを繰り返している。剣だけでは、効率が悪すぎる。
「……。」
もはや言葉もない。
俺のストレスは限界に達しようとしていた。
石段を上がって、3つ目の広間に出た。他の部屋より一回り広い。天井にひび割れた紋様が青白く光っている。
四方に格子窓。柱の上に弓持ちが4体。通路の入口に混成隊――弓2、杖2、近接2。今日一番の大部屋だ。
近接2体が足音を立てて突っ込んできた。迎え撃つ。1体目の錆びた剣を弾いて胴を薙ぎ、2体目の槍を半身でかわして首を落とした。だがその間に柱上から矢が降り注ぎ、格子の向こうから魔法弾が3方向から飛んでくる。
戦闘機動で避ける。避けながら斬る。斬りながら走る。弓持ちの柱に取りついて1体落としたところで、背中を魔法弾が掠めた。革鎧の上から熱が走る。
着地して振り返る。格子窓の向こうで、術師が杖を構え直していた。紫色の光が膨れ上がる。
剣は届かない。迂回すれば5分。その間にリポップした近接が戻ってくる。
「……だああああ、めんどくせえ!」
声が広間に響いた。
格子の向こうの術師を睨む。あいつに、今、魔法をぶち込めたら。
「マジ許さねぇ……!」
腹の底が、熱くなった。
4日間、毎朝同じ場所で止まっていたあれ。手を伸ばすと逃げるあれ。
――掴みに行くんじゃない。
指先で追いかけるのをやめた。代わりに、呼んだ。腹の底にあるそれに、ここに来いと。俺のところに来い。
カチリ、と。
何かが嵌まった。
掴んだんじゃない。向こうから来た。イメージの元に、魔力が集まってくる。腹の底から腕に向かって、熱い流れが駆け上がった。身体強化とは全く違う。もっと荒い。もっと自由。制御の回路を通らない、生の力がそのまま腕を駆け抜けていく。
右腕が熱い。手のひらに何かが溜まっている。形を持たない、ただの奔流。
格子窓の向こうの術師に、右手を突き出した。
透明な何かが飛ぶ。
空気が歪んで、ぶん、と低い音が広間を揺らした。
次の瞬間、格子窓が壁ごと砕けた。
衝撃で足元の瓦礫が跳ねた。石材が粉砕されて、向こう側にいた術師が壁の破片と一緒に吹き飛ぶ。崩れた壁の穴から砂埃が舞い上がって、広間が白く煙った。石の破片がぱらぱらと降り注いで、床で弾ける音がしばらく続いた。
静寂。
「…………嘘だろ。」
格子窓があった場所に、人が通れるくらいの大穴が空いていた。術師は跡形もない。
ちょっとぶっ飛ばしたいな、くらいのつもりだったんだが。何だこれは。
笑いが込み上げてきた。
「魔法。すげぇ……!」
腹の底の魔力はまだたっぷりある。一発撃った程度じゃ、底が見えない。
残りの弓持ちが矢を番え直した。柱の上から射線を通してくる。今度はそっちに右手を向けた。腹の底に意識を向けて、呼ぶ。来い。
来た。さっきより早い。腕を駆け上がる熱い流れに、もう驚かない。手のひらから放つ。
ぶん、と空気が歪んで、柱の上半分が砕けた。弓持ちが瓦礫と一緒に落ちていく。
「ははっ……!」
声が出た。興奮が止まらない。剣で初めて魔物と対峙したときも興奮したが、魔法の感動は別格だった。
大穴を通り抜けて、格子の裏側に出た。術師が1体、杖を構えて待ち構えている。魔法を打ちたくなるが、こいつは斬ったほうが早いな。
通路の奥から近接型が3体走ってくる。まとめて薙ぎ払うように右腕を振った。透明な衝撃が通路を駆け抜けて、3体が壁に叩きつけられた。
さすがに腕が重くなってきた。頭の奥がじんわり痺れる。魔力はまだ残っているが、蛇口を全開にして出しっぱなしにしているような喪失感を感じる。
だが、今日はもう十分すぎるほど稼げた。昨日までの苦戦が嘘のようだ。
5層の出口まで走って、砦の入口に戻った。蔦に覆われた門を抜けると、外の日差しが眩しかった。湿った空気が肺に染みる。
帰りの電車で手のひらを開いたり閉じたりして、感覚を反芻する。
窓の外を夕暮れの景色が流れていく。田んぼの水面がオレンジ色に光っている。目を閉じた。
祖父母宅に戻ったところでユキと合流した。ちょうど同じタイミングで、蒼霧樹海から帰っていたらしい。
「おかえりなさいませ、ご主人様。」
一緒に居住エリアに飛び、荷物をおろした。
「ユキ、聞いてくれ。魔法が出たんだ。」
ユキの長い耳がぴくりと反応した。
「毎日励んでおられましたから。おめでとうございます。」
「鬼哭砦で術師にムカついてさ、腹の底の魔力を呼ぶ感じで発動させたら、壁ごとぶっ飛んだ。」
「ご主人様の魔力量だと、当然です。自覚されているより、すさまじいポテンシャルがありますよ。」
「ユキたちのステータスを貰ってるんだもんな。でもさ、数発撃ったら結構疲れた感じがあったんだよな……。」
「なるほど。それは、魔法というよりは、生の魔力をそのまま放出したようなものではないでしょうか。」
「そうなのか……?」
「はい。制御や、属性について練習しましょう。長く戦えるようになりますよ。」
「それは是非お願いしたいな。それに、いま楽しくてしょうがない。」
「新しい玩具を貰った子供のようですよ、ご主人様。」
そんなことを話していると、リビングの扉が開く音がした。リンドヴルムだ。肩にバッグを提げて入ってくる。
「話は聞こえた。魔法を覚えたか。」
「いや、覚えたっていうか、制御が全然なくて――」
「ならばちょうどよい。」
リンドヴルムが腕を組んだ。にやにやとした紫の瞳がこちらを見つめている。
「そろそろ、わらわと手合わせでもするかの?」
「あー…………考えとく。」
ボコられる気しかしないが、鍛えるには良いんだろうな。落ち着いたら、やってみる価値はあるかもしれない。
「なんじゃ、よい機会と思ったんじゃがのう。」
リンドヴルムが鼻で笑って、バッグを置きに自室へ消えた。
その日は風呂に入って、布団に潜った。
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貯金残高:6,500,000円 / ダンジョン蓄積魔力:720
スキル:【剣術】Lv.5 / 【身体強化】Lv.5 / 【戦闘機動】Lv.3 / 【危機感知】Lv.3 / 【状態異常耐性】Lv.2 / 【魔力操作】Lv.1 ★New!
眷属:ユキ(エルダーエルフ)/ ハヤテ(鷹獣人)/ リンドヴルム(祖竜)/ シノ(九尾)/ 猫又(下位妖獣)/ コムギ(土精)
【ダンジョン構成】
入口 → 物資補給エリア → 宿泊エリア(1泊5,000円/管理:シノの式神「コンシェルさん」&猫又)→ 食堂エリア(管理:コムギ)→ 森エリア(初級者向け/管理:ユキ&ハヤテ)→ 火山・大空洞エリア(中・上級者向け/管理:リンドヴルム)→ 居住エリア → コアの小部屋
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