第57話 自室でやれ
ダンジョン攻略が日課としてしみついてきたある朝、鬼哭砦に出る支度をしていたら、リビングの扉が開いた。
ユキだった。白銀の髪を後ろでひとつに束ねて、紺のカットソーにグレーのパンツ。背中のリュックが膨らんでいる。中身は魔石袋だろう。
「おはようございます、ご主人様。」
昨日は蒼霧樹海から帰ってきていたらしい。
「ちょうどよかった。出かける前に悪いんだが、ちょっと頼みがあってさ。」
「はい、何でしょう?」
少し首を傾げながらユキが続きを求める。
「魔法を教えてほしいんだよな。」
「なるほど、魔法ですか。」
「ああ、ちょっと剣だけじゃ苦戦しててな。シノにも相談したんだが、身体強化とは別の魔力の流れが俺の中にあるはずだって。ユキに教わるのが一番いいって言われた。」
「でしたら今日は、砦はお休みしてはいかがですか?一度しっかりと覚えていただいた方が、明日以降の効率が上がるかと思います。」
5層の弓持ちと術師の顔が浮かぶ。剣で迂回して何分も無駄にするより、魔法を覚えた方がよっぽど早い。迷う理由はなかった。
「じゃあ、よろしく頼む。あー、昨日までの分を昼過ぎに協会で換金したくて、リンドヴルムにも声かけてある。今日は一旦昼前までよろしく頼む。」
「かしこまりました。」
リビングのソファを端に寄せて、床にスペースを作る。革鎧を脱いでTシャツとジャージに着替えた。朝のリビングは静かで、窓のない部屋に魔石灯の白い光だけが落ちている。
「座ってください、ご主人様。」
床に胡座をかいた。ユキが向かいに座る。膝と膝の間は拳ひとつ分くらい。
「まず、身体強化のスキルを意識してください。体の中を流れる感覚がありますね?」
「ああ。熱い回路みたいなやつだろ。」
「それはスキルが魔力を変換して流しているもので、ご主人様自身の生の魔力とは別のものです。これから私の魔力を少しだけ流します。スキルの回路とは全く違う感覚がするはずですので、覚えてください。」
「分かった。」
「では――手を出してください。」
目を閉じて、両手を差し出した。
ユキの手が重なった。
冷たい。ユキの手はいつも体温が低くて、細い指が俺の掌をそっと包む形になる。指の先から手首にかけて、ひんやりとした感触が広がった。
「力を抜いてくださいね。」
「んー、抜いてるつもりなんだが。」
「抜けていません。親指が強張っています。緊張なさらなくても大丈夫ですよ。」
言われて意識すると、確かに少し握り込んでいた。脱力する。
「では、流します。」
手のひらから何かが入ってきた。
冷たい。だが不快じゃない。水に手を浸したような感覚が手首から腕を這い上がる。静かで、滑らかで、細い流れ。身体強化の熱い回路とはまるで質が違う。
「これが魔力です。」
「……冷たいな。」
「私のものだから冷たく感じるのでしょう。ご主人様自身の魔力を見つけられれば、別の感覚があるはずです。」
ユキの魔力が腕を上がり、肩に達した。胸の中心に向かおうとした瞬間、身体強化の回路とぶつかって、ふっと消えた。
「……消えた。」
「身体強化の回路が強すぎて、吸収されてしまったようです。腕からだと回路と重なるので、別の経路を使いましょう。」
ユキの手が離れた。
「後ろに回ってもよろしいですか。」
「後ろ?」
「背中から直接流した方が、スキルの回路から遠い経路を辿れます。背骨沿いに下ろして、体の深い部分に届かせるのが目的です。」
「ああ、了解。」
背後に気配が移った。膝立ちの姿勢で、ユキが俺の後ろに座る。
掌が背中に触れた。肩甲骨の間、背骨のすぐ左。薄いTシャツ越しでも、手のひらの冷たさがはっきり伝わってくる。
「前かがみに。背骨を丸めてください。」
言われた通り背中を丸めた。ユキの手がさらに密着する。もう片方の手が背骨の右側にも添えられた。両掌で背中を挟む格好。
息が首筋にかかった。ユキの髪が肩に触れている。仄かに花のような香りがする。
「流します。」
背中から入った魔力は、手のときより遥かに鮮明だった。
冷たい流れが背骨に沿って降りていく。身体強化の回路とは交差しない道。背中の真ん中から腰に降りて、そこから腹の奥に向かう。
深い場所に、何かがある。
身体強化の回路よりもずっと奥。臍の下あたり。ユキの冷たい魔力がそこに触れた瞬間――ずっと眠っていたらしい何かが、揺れた。
「……何か、ある。」
「感じましたか。」
「腹の底に。ユキの魔力が当たったら、反応した。」
「それがご主人様の魔力です。」
ユキの声が近い。背中に当てた手に力が籠った。
「もう一度流します。その感覚を辿って、ご自身で動かしてみてください。」
2度目の魔力が背中から入ってくる。腹の底にあるそれの位置は、もう分かっている。ユキの魔力が触れると、また揺れる。
手を伸ばした。自分の意志で、そこに触れようとする。
するん、と逃げた。
水面に映った月を掴むような感覚。確かにそこにあるのに、力を入れた途端にすり抜ける。
「……駄目だ。逃げる。」
「大丈夫です。場所が分かっただけで、初日としては十分ですよ。」
ユキの手が背中から離れた。冷たさが抜けて、背中の皮膚がじわりと温まっていく。
目を開けて振り返ると、ユキがすぐ後ろにいた。膝立ちの姿勢で、顔が近い。蒼い瞳と目が合って――ユキが静かに立ち上がった。
気付けばかなりの時間が経過していた。
「しばらく練習しましょう、コツさえつかめば、魔法の発動は遠くありません。」
立ち上がって伸びをした。背中に手の感触がまだ残っている。
――と。
リビングの入口の柱に、ハヤテが張り付いていた。
両手で目を覆っているのに、指の隙間が3cmくらい開いている。こっちを見ていた目と、目が合った。
「っ!」
びくん、と体が跳ねて翼がばさりと広がった。
「い、いやっ! 自分は別に覗いてたわけじゃないっすからね! ちょっと通りかかっただけっていうか!」
耳まで赤い。
「あー、悪い。リビング占領して。いつからいたんだ?」
「……ユキ先輩が後ろに回ったあたりからっす……。」
「ほとんど最初からだな。」
「だって! 首に息かかるくらい近いし気になるのは仕方ないっていうか……!」
ユキが振り返ってハヤテを見た。表情は変わらない。
「魔法の指導です。」
「分かってるっす! 理屈は分かってるんすけど!」
両手をぶんぶん振る。翼が連動して廊下の壁を叩いた。
「やかましいのう。」
低い声。廊下の奥からリンドヴルムが歩いてくる。寝起きらしく紫の長い髪がやや乱れていて、半開きの目でリビングを一瞥した。床にスペースを空けた部屋、近い距離の俺とユキ、柱の陰で真っ赤になっているハヤテ。
「……自室でやれ。」
それだけ言って、キッチンに入っていった。冷蔵庫を開ける音がする。
「だから魔法の指導だって――」
もう聞いていない。リンドヴルムは麦茶をコップに注いで、リビングには入らず自室の方に戻っていった。
ハヤテがまだ柱の陰にいる。
「ハヤテ。昼からユキと協会に行く。リンドヴルムともそこで落ち合う予定だ。ダンジョンの方、頼んでいいか。」
「了解っす! 任せてくださいっす!」
敬礼して廊下を駆けていった。角を曲がるとき翼が壁にぶつかって、「あたっ!」という声が遠ざかる。
午前中いっぱい、もう少し練習を続けた。
背中からの魔力流入を5回繰り返して、腹の底の魔力に触れる感覚は少しずつ鮮明になってきた。ただ、自分の意志で掴むところまでは行けない。水中の泡を指で潰そうとしているみたいだ。力を入れると逃げ、脱力すると沈む。
「焦ることはありません。」
ユキが手を引いて、俺を立たせた。
「コツとしては、リラックスしている状態の方が魔力は感じやすいです。湯船に浸かっている時などに、意識してみてください。」
「風呂か。今夜やってみる。」
リンドヴルムは朝のうちに魔獣峡に出ていった。
昼過ぎ、ユキと2人でバスに乗って第七支部に向かった。
協会のガラス扉を抜けると、ロビーに人が多い。カウンター前に列、壁際のベンチに座る攻略者、掲示板の前で立ち話をする小グループ。20人は超えている。
ユキと並んでカウンターに向かう。5歩、10歩と進むうちに、ロビーの空気が変わった。
会話が減った。横からも後ろからも視線が集まってくる。
まあ、そうなるか。ユキは耳を隠しているが、白銀の長髪に蒼い瞳、170cm近い長身の美貌は隠しようがない。
カウンターの朝霧さんが俺に気づいて会釈した。
「鷹峰さん、こんにちは。今日は……」
隣のユキに目が行って、一瞬だけ手が止まる。
「換金をお願いします。もう1人、後から合流する予定です。」
「かしこまりました。」
ユキがリュックから魔石袋を出した。重い。蒼霧樹海の中層クラスがぎっしり詰まっている。朝霧さんが受け取って鑑定に回す。
ベンチで待っていると、隣の攻略者2人組がひそひそ話をしている。
「……あの銀髪、ダンジョンボードの……。」
「蒼霧樹海のエルフってやつ……か。」
自動ドアが開いた。
リンドヴルムだった。
紫の長い髪。175cmの長身。幻覚で角と尻尾は消えているが、纏う空気が根本的に違う。周囲の気温が2度くらい上がったような圧がある。肩に大きめのバッグを提げていた。
ロビーにいた攻略者の半分が、入口を振り返った。
リンドヴルムが俺たちを見つけて真っ直ぐ歩いてくる。
「待たせたかの?」
「いや、ちょうどよかったよ。」
ベンチにどっかりと座った。俺を挟んで、左にユキ、右にリンドヴルム。
ロビーのざわめきが、一段上がった。さっきまでのひそひそ話が、もう隠す気のない声になっている。
「おい……あの紫の髪の女、魔獣峡の……。」
「Eランクが素手で大蛇をぶん回してたって……。」
「2人ともEランクカードって聞いたぞ。Eランクであの魔石の量は何なんだよ。」
「あの3人パーティだったのか?男の方は何者だよ……。」
リンドヴルムが周囲を見回した。
「見世物になる趣味はないんじゃが。」
「頑張ってる分目立つからな、我慢してくれ。」
「ふん。」
ユキは無表情のまま微動だにしない。
朝霧さんが戻ってきた。
「鷹峰さん、お待たせしました。ユキ様の鑑定が完了しております。――リンドヴルム様もいらっしゃったんですね。こちらもお預かりします。」
リンドヴルムがバッグから魔石袋を出す。1つ1つが大きい。魔獣峡のボスクラスが混ざっている。朝霧さんが中身を確認して、手が止まった。
「……こちら、少々お待ちください。」
鑑定に時間がかかった。その間、ロビーのざわめきは収まるどころか広がっていく。近くにいた攻略者が2人の魔石の量を見たらしく、そこから波紋のように話が伝わっていた。
朝霧さんが封筒を2つ持って戻ってきた。
「お待たせいたしました。」
「ありがとうございます。」
封筒を受け取った。
帰りのバスは3人で乗った。リンドヴルムが窓際の席で、揺れるたびに眉を寄せている。
「この乗り物は好かんのう。」
「そうか?よく使うから、慣れてもらわないとな。」
「……まぁよい。」
ユキが窓の外を見ながら言った。
「注目を集めるのは、想定通りですね。」
「ああ。二人はもう注目の的だよ。こっちから堂々と動いた方が、変な憶測を呼ばなくていいと思う。」
バスが山道に入った。夕方の光が斜めに差し込んで、車内に長い影を落としている。
祖父母宅の最寄りで降りて、3人で家に入った。転移陣で居住エリアに戻る。
居住エリアのリビングでは、シノがソファに足を投げ出してスマホを弄っていた。
「おかえり。盛り上がったでしょ。」
「どうして分かったんだ?」
「もうダンジョンボードに書き込み出てるよ。」
シノが画面をこっちに向けた。
『第七支部にヤバい3人組来てたんだが。銀髪の美女と紫髪の長身美女とCランクの男。Eランクカード2枚であの魔石量はおかしい』
「……早いな。」
「ネットってそういうものよ。」
逆にネットのことを教わる日が来るとは……。
「この調子なら、ひかりちゃんの件が終わる頃には勝手にそこそこ知名度上がってるんじゃない?」
「そうだな、まあ好都合ってことで。」
シノが手を振って、またスマホに視線を戻した。
遅い夕飯を食べて、風呂に入った。湯船に浸かって、ユキに言われたことを思い出す。リラックスしている時の方が掴みやすい。
目を閉じた。腹の底に意識を向ける。
あの感覚が、まだ残っていた。朝の練習で何度もユキの魔力に触れられた場所。身体強化の回路とは別の、もっと深い場所。
まだ掴めない。でも、朝よりは輪郭がはっきりしている。
湯船から上がって、髪を拭いた。
明日もやろう。
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貯金残高:4,660,000円 / ダンジョン蓄積魔力:570
スキル:【剣術】Lv.5 / 【身体強化】Lv.5 / 【戦闘機動】Lv.3 / 【危機感知】Lv.3 / 【状態異常耐性】Lv.2
眷属:ユキ(エルダーエルフ)/ ハヤテ(鷹獣人)/ リンドヴルム(祖竜)/ シノ(九尾)/ 猫又(下位妖獣)/ コムギ(土精)
【ダンジョン構成】
入口 → 物資補給エリア → 宿泊エリア(1泊5,000円/管理:シノの式神「コンシェルさん」&猫又)→ 食堂エリア(管理:コムギ)→ 森エリア(初級者向け/管理:ユキ&ハヤテ)→ 火山・大空洞エリア(中・上級者向け/管理:リンドヴルム)→ 居住エリア → コアの小部屋
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