第54話 エリクサー
ダンジョンに戻ると、リビングでリンドヴルムとハヤテが待っていた。
リンドヴルムは椅子に腰を据えたまま、こちらを見た。ハヤテが立ち上がりかけて止まる。
「……どうだったっすか?」
「あー、コムギと猫又はいないけど、まあいいか。聞いてくれ。」
ユキがソファに腰を下ろし、シノも隣に座る。
病院での一部始終を話した。ひかりの弟のこと。心臓の魔力回路の異常。ユキの応急処置で当面は持つが、猶予は1か月。根本治療にはエリクサーが要ること。
話し終えると、しばらく誰も口を開かなかった。
ハヤテが最初に動いた。
「エリクサーってなんなんすか?」
「欠損とか、病気とか、全部治しちゃう霊薬よ。確かカタログにもあったはず……。」
シノが立ち上がって壁面モニタを操作する。カタログの画面が切り替わり、アイテム一覧のずっと下の方――ポーション(低)から始まって、ポーション(中)、ポーション(高)、ハイポーション――いくつか飛んで、その先。
画面に表示された。
「えっ。」
「なんすかこれ!」
エリクサー。蓄積魔力5,000。
リビングに沈黙が落ちた。
「ご、ごせん……。」
ハヤテが呆然としている。
シノがモニタを見たまま言った。
「ダンジョンの運営収入だけだと、完全に節約しても、3か月はかかるわね。どうするの?」
ダンジョン運営だけでは無理だ。
「皆、ごめん。」
全員の視線が集まった。
「本当はもっと楽をさせられるのかもしれない。だから、これは俺のわがままだ。けど、どうしても助けたい。」
「ふん、しばらく退屈しておった。ちょうどいい。」
「……ありがとう。皆もいいか?」
「私はご主人様のものですから。何でも命じてください。」
「もちろんっすよ!これでご主人がダンジョンを優先する人だったら、嫌いになっちゃうっす!」
「嫌われなくてよかったよ。」
全員の承認を貰えたところで、今後の方針を切り出す。
「俺とユキ、リンドヴルムの3人で、攻略者として外のダンジョンに潜る。1か月、効率最優先でそれぞれ別行動がベストだと思ってる。ダンジョンは、シノとハヤテに任せたい。」
「ほう、ようやくわらわも外に出られるのか。散々待たせおって。」
ユキも頷いた。
「かしこまりました。」
「ユキ先輩とリンドヴルムさんも攻略者になるってことっすか?」
「ああ、明日協会に行こうと思う。」
「いいな~自分も今度登録するっす!」
「分かった分かった。」
「ふむ。ところで、わらわは攻略者とやらが分からん。何をして稼ぐのじゃ?」
リンドヴルムの声に全員がそちらを見た。
「基本はダンジョンで魔物を倒して、そいつらが落とす魔石を回収すればいい。ランクが上がったら依頼なんかも受けられるけど、2人くらい強ければ、どんどん魔物を狩った方が早いと思う。」
「そのダンジョンとやらは、潰してもよいのか?」
「あー……。転々とするのも効率悪いし、深層で止めといた方が良いかなって思うけど、攻撃的なマスターが出張ってきたら、しょうがないかな。」
「よかろう、命乞いするようなら殺しはせん。」
「よろしく頼む。」
「楽しみじゃのう。」
目が光っている。
あとは、見た目の問題だな。リンドヴルムの角と鱗の尻尾は自力では隠せない。
「シノ、リンドヴルムが出かける時は幻覚をかけられるか?」
「ハヤテのときと同じね。出かける前にかければいいわ。」
「頼む。」
話がひと通り片付いたところで、今日はそれぞれ早めに休むことにした。
「よし、明日の朝から動こう。」
ユキが静かに立ち上がった。
「それでは、私も準備がありますので、今日は早めに休みますね。」
「ああ、お休み、ユキ。」
シノもスマホを閉じて立ち上がった。
「うちも少し考えることがあるから。おやすみ。」
リビングに残ったのは3人。ハヤテがソファの端で膝を抱えて、リンドヴルムが最後まで椅子に座っていた。
「お主。」
「ん?」
「1か月じゃな。」
「ああ。」
「足りるぞ。」
それだけ言って、部屋に消えた。
ハヤテが笑った。
「リンドヴルムさん、楽しそうっすね。」
「……だな。あれだけ自信満々だと、不安になってる俺が変なのかと思えてくるよ。」
途方もない目標だが、不思議と少し気が軽くなった。
ハヤテが敬礼した。
「ご主人、ダンジョンのことは任せてくださいっす。自分とシノさんで、ちゃんと守るっすから。」
「ああ、任せた。」
翌朝。
居住エリアのリビングに、外出の支度を終えた3人が揃った。
ユキはいつも通り、変化の魔法で耳を人間の形にしている。長い白銀の髪に蒼い瞳。目立つが、まあ人間に見える。
リンドヴルムの前にシノが立った。
「じっとしててね。」
シノの尾がゆらりと揺れた。リンドヴルムの頭部の角が、すうっと薄れて消える。尻尾も同様に。残ったのは、紫がかった長い髪と、紫の瞳。
角と尻尾が生えたド迫力の美人から、ただのド迫力の美人になった。目立つけど、これ以上はしょうがない。
リンドヴルムが自分の頭に手をやった。
「……触ると角はあるのじゃな。」
「幻覚だからね。見た目だけよ。ぶつけないように気をつけて。」
「ふん。不便なものよ。」
口ではそう言いながら、リンドヴルムの口元が少し緩んでいた。
朝食を済ませ、ハヤテとシノに留守を頼んで居住エリアを出た。
「ちゃんと帰ってきてくださいっすよ!」
ハヤテが転移陣の前で手を振っていた。シノはソファで猫又を膝に乗せたまま軽く手を上げてひらひらとしていた。
転移陣でダンジョンの入口に出て、裏山を下り、祖父母の家を抜けて駅前に向かった。
リンドヴルムが街の景色を眺めている。車が通るたびに目で追い、信号が変わるのを見て片眉を上げた。
「便利なものじゃな。あの光る柱で獣を制御しておるのか。」
「信号っていうんだ。赤で止まって、青で進む。」
「知恵よのう。」
ユキは慣れたもので、横断歩道も迷わず渡る。2回目の外出だけあって、足取りに余裕があった。
バスに乗って第七支部の最寄りまで揺られる。リンドヴルムは窓の外を見つめ、時折あれは何かと気になっているようだった。
攻略者協会第七支部。
朝9時。ロビーにはもうそこそこの数の攻略者がいた。出発前の打ち合わせをしているパーティや、掲示板の前で依頼を吟味している連中。朝から活気がある。
自動ドアをくぐった瞬間、空気が変わった。
近くのベンチに座っていた男が、ユキを見て飲みかけの缶コーヒーを止めた。隣の仲間の肩を叩く。掲示板の前にいた女性グループが振り返り、ひそひそ話が始まった。
「おい、あれ……。」
「白髪の――裏山の森エリアにいるエルフじゃない?」
「いや、でも耳が……エルフ耳じゃなくね?」
「似てるだけじゃないの? でもあんな美人二人もいないよな。」
「つーか隣の紫の人もやばくない? 何あのオーラ……。」
「てかあの2人連れてる男、何者?」
「知らね。見たことない顔だけど……。」
「なんで普通の兄ちゃんがあのレベルの美人2人と一緒なわけ?」
「世の中おかしくない?」
ベンチの男たちの視線が痛い。それに聞こえてるぞ。
ユキは完全に聞こえているはずだが、表情ひとつ変えずにまっすぐ受付に向かった。リンドヴルムは周囲のざわめきなど気にもしていない。というか気づいてすらいないかもしれない。
受付カウンターに、見覚えのある顔がいた。
「あ、鷹峰さん。おはようございます。それと――。」
朝霧が笑顔で迎えてくれたのだが、ユキとリンドヴルムの顔を見た途端に固まった。気持ちは分かる。
「おはようございます。今日は登録をお願いしたくて。この2人の。」
ユキとリンドヴルムを示す。朝霧がぱちぱちと瞬きした。後ろのロビーでまだひそひそ声が続いている。
「お2人とも、初回登録ですね?書類に記載していただきたいのですが……。」
「あ、俺が代筆します。二人とも見ての通り海外出身なんですけど、カタカナでもいいですか?」
「はい、問題ありませんよ。ハンドルネームの方もいるくらいですから。」
書類上の名前を確認して、朝霧さんが端末を操作した。
「登録には適性検査が必要です。体力測定と魔力感応テストの2種類で、奥の検査室でやりますね。お時間は30分ほどです。」
「頼む。」
「では、ユキさんからどうぞ。」
カウンター奥の検査室は、前と同じ白い壁に囲まれた狭い部屋だった。中央にテーブルがあり、その上に握力計や反射測定器が並んでいる。奥の台座には、拳大の透明な結晶が置かれていた。
ユキが最初の測定――握力計を握った。
数秒後、朝霧の顔色が変わった。
「……え?」
計器の針が振り切れている。朝霧が2度、3度と数字を確認した。
「あ、あの、すみません、もう一度お願いできますか? 機械の故障かもしれなくて……。」
ユキが淡々と握り直す。結果は同じだった。
魔力感応テストに移る。台座に手を置くと、測定用の結晶が一瞬にして砕け散った。
「――ッ!」
朝霧が固まっている。
「え、えと。あ、朝霧さん?」
「……は、はい。すみません。ちょっと、数値が、と言いますかその……。」
メモを取る手が震えている。俺は見なかったことにした。
「つ、次、リンドヴルムさんお願いします。」
代替の測定器が用意され、リンドヴルムが台座の前に立った。
「これに触ればよいのか。」
「はい、手を置いていただければ。」
リンドヴルムが無造作に手を置いた。
結晶が紫色に染まった。台座がびりびりと振動して、結晶に亀裂が走る。
パキン、と小さな音がしたところでリンドヴルムが手を引っ込めた。
またしても結晶が割れていた。台座の上で、紫色の欠片が散らばっている。
「……む、加減したのじゃが。脆いのう。」
「いえあのこれちょっと待ってください。」
朝霧さんが早口になっている。
「鷹峰さん、あなたも大概でしたが……。いえ、登録はできますが、うーん……。」
15分後。グレーの攻略者カードが2枚、カウンターに置かれた。
「Eランクでの登録が完了しました。協会に関するご説明は、いかがされますか?」
「あー、基本的なことは俺から話すから、大丈夫です。」
「かしこまりました。お二人は鷹峰さんのパーティに所属されますか?」
「はい、俺とひかりのパーティに登録お願いします。」
「分かりました。何かあればいつでもご相談ください。」
協会を出た。
建物の前のベンチに並んで座り、スマホを開いた。ダンジョンボードで近隣のダンジョン情報を検索する。
「ユキ、ここは?」
画面を見せたのは、蒼霧樹海。森林・霧地形のダンジョンで、推奨ランクはC。バスで40分ほどの距離だ。
「はい。森なら私の魔法が活きますし、ここにします。」
迷いのない即答だった。
「リンドヴルムは――。」
「これじゃな。」
俺が説明する前に、横からスマホを覗き込んだリンドヴルムが画面の上の方を指差していた。魔獣峡。峡谷地形、大型魔物多数。推奨ランクB。投稿に「パーティ推奨」「ソロ非推奨」のタグが並んでいる。
「強い獣がおるのじゃろう? 退屈せんで済みそうじゃ。」
「難易度高そうだよ?」
「それがいいんじゃろう。稼ぎの方も期待してよいぞ。」
反論する余地がなかった。
「……気をつけろよ。」
「ふん。」
俺は画面をスクロールして中ほどに戻した。鬼哭砦。廃砦地形、推奨ランクC。集団戦が多く、入り組んだ構造。ソロ向きとは言い難い。だがその分、魔石の単価が高い。
きついだろうが、稼ぎを考えるとここだ。それに、俺もここらで鍛えないとな。
「よし、決まりだな。ここからは別行動だ。」
ユキが頷いた。
「では、私は蒼霧樹海に向かいます。」
「気をつけろよ。」
「はい。――行ってまいります。」
ユキが歩き出した。
「わらわも行くぞ。」
「スマホの使い方は大丈夫か?」
「シノに教わった。」
リンドヴルムがポケットからスマホを取り出して見せた。画面にはシノとのトーク画面が開いている。昨夜のうちに叩き込まれたらしい。シノの仕事が早い。
「何かあったら連絡しろよ。」
「うむ。では行くぞ。」
リンドヴルムが背を向けた。数歩歩いて、足を止めた。
「お主も、死ぬでないぞ。」
「当然だ。」
リンドヴルムが歩き出した。人混みの中に紫の長髪が見え隠れして、やがて見えなくなった。
1人になった。
ポケットのスマホが震えた。シノからだ。『気をつけてね』とだけ書いてある。
返信だけつけて、俺も歩き出した。鬼哭砦。ソロで突っ込む馬鹿は少ないらしいが、やるしかない。
1か月。ここからが本番だ。
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貯金残高:867,000円 / ダンジョン蓄積魔力:260
スキル:【剣術】Lv.5 / 【身体強化】Lv.5 / 【戦闘機動】Lv.3 / 【危機感知】Lv.3 / 【状態異常耐性】Lv.2
眷属:ユキ(エルダーエルフ)/ ハヤテ(鷹獣人)/ リンドヴルム(祖竜)/ シノ(九尾)/ 猫又(下位妖獣)/ コムギ(土精)
【ダンジョン構成】
入口 → 物資補給エリア → 宿泊エリア(1泊5,000円/管理:コンシェルさん&猫又)→ 食堂エリア(管理:コムギ)→ 森エリア(初級者向け/管理:ユキ&ハヤテ)→ 火山・大空洞エリア(中・上級者向け/管理:リンドヴルム)→ 居住エリア → コアの小部屋
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