第53話 助けて
ダンジョンボードの通知音が鳴ったのは、昼前のことだった。
DMだ。
画面を確認して、動きが止まった。
差出人は、空月ひかり。
メッセージは一行だった。
「遥さん、助けて……。私……どうしたらいいか、わからなくて……。」
ひかりが弱音を吐くのをほとんど見たことがない。余程のことがあったのだろう。
すぐに返信した。
「今どこにいる、話せるか?」
「……病院にいます。弟が昨日の夜から意識不明で、今朝、担当の先生から……今の医療ではもうできることはないって言われました。」
スマートフォンを握ったまま立ち上がった。
リビングへ向かうと、眷属達が揃っていた。俺の雰囲気を察してか、皆俺の言葉を待っているようだった。
「今連絡があって、ひかりの弟さんが急変した。昨夜から意識不明で、病院では原因が分からないそうだ。打つ手なしだと言われているらしい。」
テーブルに沈黙が落ちた。
「原因不明、ね。……直接見れば何か分かるかもしれない。」
「私も同行させてください。治癒に関しては多少の知識があります。診てみましょう。」
シノ、次いでユキが名乗りを上げた。
「わらわは専門外じゃな。行ってくるがよい。」
リンドヴルムが腕を組んだまま言った。
ハヤテがまっすぐこちらを見た。
「行ってきてくださいっす!リンドヴルムさんと留守番してるっすよ。」
「ありがとう、よろしく頼む。」
ひかりに『今から行く。場所を教えてくれ。』と送ったところ、返事はすぐに来た。病院名と住所が記載されている。
ユキ、シノと3人で出る。居住エリアの転移陣から祖父母宅へ。和室に出て、そのまま玄関を抜けた。ユキが耳を人間の形に変え、シノが幻覚で狐耳と尾を消すと、見た目は普通の女性2人になった。
バス停までの道を早足で歩く。夏の日差しが容赦ないが、今は暑さなんかどうでもいい。
バスでの車中、ユキは車窓の外を静かに見ていた。シノはスマホを操作している。
白銀の長髪と琥珀色の長髪が並んでいると、さすがに周囲の視線が集まる。
移動中、ひかりのメッセージを何度か読み返した。
活動を休止してから、ひかりからの連絡はなかった。こちらからも急かすようなことはしなかった。それが正しかったのかは分からない。
連絡をもらった総合病院の最寄りで降り坂を上ると、白い建物が見えてきた。
病院に入るとエントランスでひかりが待っていた。
遠目にも分かるほど、栗色の髪が乱れていた。目の下が濃く翳って、服には皺が入っている。昨日からそのままだろう。顔色が悪い。いつものひかりとは別人だった。あの快活な笑顔も、張りのある声もどこにもない。
それでも俺の顔を見た瞬間、「来てくれてありがとうございます。」と言った。
来てよかった。
「わるい、遅くなった。弟さんのところへ案内してくれるか? そこで話そう。」
「はい……。あの……そちらのお二人は?」
「紹介が遅れたな。二人とも俺の仲間で、治療に心得があるから連れてきたんだ。連れていきたいんだけど、良いか?」
シノが軽く手を挙げた。
「よろしくね。」
「……よろしくお願いします。」
ひかりが頭を下げた。
病室に入った。
消毒液の匂いと、機械の低い電子音。個室のベッドに少年が横たわっていた。小学生くらいだ。ひかりと同じ栗色の髪。顔色は白い。規則的な呼吸音だけが繰り返されている。
窓際にパイプ椅子と畳まれた毛布。飲みかけのペットボトルが床に置いてある。ひかりがここで夜を明かしたのだろう。
眠っているのではなかった。意識を奪われている、という方が近い。時々苦しそうに唸っているのが見ていて痛ましい。
シノが呟く。
「肉体的に病があるような匂いじゃない……。」
そして、ユキが静かにベッドの傍に立った。
「シノがそう言うのであれば、やはり魔力が怪しいですね。調べてもよろしいですか。」
ひかりが頷いた。
ユキが少年の胸のあたりに手をかざしたまま目を閉じる。指先に蒼い光が灯った。
そのまま、身体をなぞるように手の位置を変えていく。
しばらく無言が続き、光が消えた。
ユキが目を開けた。
「分かりました。」
ひかりが息を呑んだ。
「心臓の魔力回路に異常があります。」
ユキの声は落ち着いていた。
「通常、魔力回路は体内の魔力を受け入れて循環させる機能を持っています。この方の回路は逆方向に機能している。詰まった魔力が行き場を失い、心臓周辺で結晶化しています。それが原因で、意識障害を引き起こしているとみて、間違いないかと思います。」
シノが頷いた。
「そんな……でも、精密検査でも何も。」
「魔力は通常の医療機器では検出できません。原因が特定できなかったのは当然です。」
ユキが続けた。
「人体が魔力環境に完全に適応しているとは言い切れません。この世界にダンジョンが出来てから、それほど長い年月が経っていないと聞いています。弟さんは、運悪く魔力への適性が低いと言わざるを得ません。」
ひかりが唇を噛んだ。弟さんはダンジョンに入ったこともない子供だ。それでもこの世界に生きている限り、避けられない問題というあまりに残酷な答えだった。
ひかりがベッドの弟を見た。それからユキに向き直った。
「どうすれば治せますか。」
声が震えていた。
「根本的な治療には、回路ごと心臓を正常な状態にする必要があります。現状で考えられる手段は2つ。心臓の移植か、臓器そのものを正常な状態で作り直すこと。」
「そんな……。」
ひかりの声が細くなった。
当然だろう。臓器の移植には何年と待つ必要があることは、広く知られている話だ。
しばらく重い沈黙が落ちた。そして、俺はある一つの可能性に思い当たる。
「……エリクサーならどうだろう。」
ユキがこちらを見た。シノも。
「エリクサー、至上の霊薬ですか。」
あらゆる傷を癒し、あらゆる病を治す。現実には手が届かないと言われている幻の霊薬だ。ユキの治療をした際、たしかエリクサーなら欠損の修復さえ可能だと知った。
「ユキ、どうだろう?」
「理論上は可能だと思います。細胞レベルでの再生促進効果がある。正常な魔力回路を持つ心臓を再生成できれば、根本的な解決になりえます。とくに、ダンジョン内のような魔力の濃い環境で治療を行えば、高い確率で治療できるはずです。」
ひかりがこちらを見た。
「でも……エリクサーなんて、そんな、手に入るはずが――。」
「……手はある。」
ひかりが信じられないような、それでも縋るような眼でこちらを見ている。
「信じてくれ。」
それから、ひかりの許可を得て、ユキが応急処置を始めた。
少年の胸の上に再び手をかざした。今度は時間をかけた。蒼い光が灯り続ける。
ひかりは傍で黙って見ていた。組んだ手が震えていた。
俺はベッドの反対側に立って、待った。ユキの額に汗が浮いていた。集中しているのが見て取れる。
10分近く経って、ユキが手を離した。息を吐いた。少年の呼吸が変わった。さっきより深い。顔色も戻ってきている。
ひかりが弟の顔を覗き込んだ。
「結晶を拡散させました。しばらくすれば意識が戻るはずです。当面の症状は解消されています。」
ひかりが『ありがとうございます。』と言って頭を下げる。
「ただ、伝えておかなければならないことがあります。」
ひかりはユキの言葉の続きを待っている。
「これは応急処置です。結晶を散らしただけで、魔力回路の異常そのものは残っているので、魔力は再び結晶化します。同じ処置を繰り返すことはできません――心臓への負荷が大きすぎます。持って1か月です。」
「……1か月。」
「そんな、1か月しか――。」
ひかりの声が途切れた。
「……わたしに、できることは。」
「弟さんの側にいてやれ。」
ひかりが瞬いた。
「何かあったらすぐに伝えてくれ。すぐ飛んでくるから。」
ひかりの頭に手を置いて、努めて自然に返す。
ひかりの目から涙が一筋落ち、しばらく俺の顔を見て、それから深く頷いた。
「……分かりました。」
ひかりがベッドの傍に戻った。パイプ椅子に座り、弟の手を取った。小さな手を両手で包むように握っている。
「少しだけ待っててくれ。」
ひかりが振り向いた。
「ありがとうございました。」
深く頭を下げた。長い栗色の髪が揺れた。
病室を出た。
病院の正面玄関を出ると、夏の空気が肌にまとわりついた。
バス停に向かう坂道を下りながら、シノが口を開いた。
「さっきは言えなかったけど、ダンジョンのカタログにエリクサー自体はあったと思う。手が出ないと思って読み飛ばしたけど、かなりのコストが必要だったのは間違いないわね。」
「あぁ。でも、今回は何をおいても手に入れる。皆には悪いけどな。」
「悪いことなどございません。ご主人様は、だからこそ、ご主人様なのですから。」
1か月。短い。だが、やれることはある。帰ったらすぐに動こう。
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貯金残高:777,000円 / ダンジョン蓄積魔力:210
スキル:【剣術】Lv.5 / 【身体強化】Lv.5 / 【戦闘機動】Lv.3 / 【危機感知】Lv.3 / 【状態異常耐性】Lv.2
眷属:ユキ(エルダーエルフ)/ ハヤテ(鷹獣人)/ リンドヴルム(祖竜)/ シノ(九尾)/ 猫又(下位妖獣)/ コムギ(土精)
【ダンジョン構成】
入口 → 物資補給エリア → 宿泊エリア(1泊5,000円/管理:コンシェルさん&猫又)→ 食堂エリア(管理:コムギ)→ 森エリア(初級者向け/管理:ユキ&ハヤテ)→ 火山・大空洞エリア(中・上級者向け/管理:リンドヴルム)→ 居住エリア → コアの小部屋
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