第45話 黒曜海岸
烈風の一件から少し経った頃、リンドヴルムが「少し付き合え」と言ってきた。
火山エリアに向かうと、溶岩の照り返しの中にリンドヴルムが立っていた。腕を組み、大空洞の天蓋を見上げている。その背後には、見慣れた低級竜6体が滞空していた。飛竜たちの鱗は薄紫に光り、リンドヴルムの加護が宿っていることを示している。
「あの攻略者どもに飛竜を6体とも屠られたのは事実じゃ。」
リンドヴルムが静かに切り出した。
「いつまでもそのままにしておくわけにはいかぬ。」
目を閉じ、片手を掲げた。紫の魔力が指先から溢れ出す。大空洞の空気が震えた。
低く重い咆哮が、遠くから聞こえてきた。1つではない。複数の声が重なり、火山エリアの岩壁が共振する。溶岩の川が不自然に波打った。
大空洞の闇の奥から、新たな竜が現れた。
はじめに、低級竜が6体。ここまでは前と同じだ。
その後に、体格や纏う雰囲気の違う竜が3体。
最初の1体は、全身が赤銅色の鱗に覆われた竜だった。低級竜より二回りは大きい。翼を広げると溶岩の熱気に乗って悠然と旋回し、吐く息に火の粉が混じった。
続いて、深い蒼の鱗を持つ竜。体表に薄い霜が張り付いているのか、周囲の空気が白く煙る。
3体目は、体表の鱗が鉄のような暗灰色をしていた。鱗の一枚一枚が厚く、動くたびに金属が擦れ合うような音を立てる。見るからに硬い。
「中級竜3体じゃ。火・氷・鉄、それぞれ属性が異なる。飛竜とは格が違う。」
さらに、大空洞の最も高い場所から、もう1体が降りてきた。全身が漆黒の鱗に覆われ、体長は中級竜の倍近い。翼を一度羽ばたくだけで、大空洞全体に突風が吹き荒れた。
「上級竜じゃ。」
「……すごいな。」
率直な感想しか出なかった。低級竜6体でも、3人パーティーが1体に手も足も出ないレベルだった。中級竜、上級竜となると、もう次元が違う。
「こないだの攻略者程度なら、もはや最奥には辿り着けぬ。」
「助かる、リンドヴルム。それに、かなり快復したみたいだな、よかったよ。」
「……礼はいらぬ。わらわの領域じゃ。」
それだけ言って、リンドヴルムは滑空してきた上級竜の背にそのまま飛び乗り、大空洞の上空へ消えていった。配下の竜たちの配置を直接確認するのだろう。
居住エリアに戻ると、ハヤテがモニタの前に張り付いていた。
「ご主人、すごいっすよ。今日だけで18組っす。過去最高更新したっす。」
モニタには森エリアの映像が映っている。木々の間を複数のパーティーが行き交い、順番待ちの列ができていた。烈風の動画がダンジョンボードに拡散して以来、来訪者は増える一方だった。見物目的で火山エリアの入口まで来る物好きもいる。
「物資補給エリアのポーション、午前中に切れたっす。自分が補充しといたっすけど。」
「ありがとう。やっぱり情報端末を使えるようにして正解だったな。」
来訪者が増えれば消耗品の回転も上がる。だが同時に、攻略者の滞在による魔力吸収も加速する。収支としてはプラスだ。
ダンジョンの運営は、眷属たちに任せて回る状態ができつつあったおかげで、俺が外で稼ぐ時間を確保できる。
Cランクの依頼報酬は1件あたり十数万。ダンジョン運営の収入と合わせれば、次の召喚のコストを積み上げられる。そう考えて、協会の依頼をこなし始めた。
最初は翠嶺洞の中層、特殊鉱石の採取依頼だった。指定されたのは5層の壁面に稀に露出する蒼晶石という鉱物で、ロックタートルの群れを蹴散らしながら掘り出す。力仕事だが、身体強化Lv.5が常時発動している今の俺には作業に近い。
次は石廊殿の3層、階層調査。ゴーレムの出現パターンに変化がないか記録する依頼で、報酬11万。ゴーレムを殴り倒しながら延々とメモを取る。地味な仕事だが、他のダンジョンの構造を知るのは勉強になった。石廊殿のマスターは遺跡型の地形を活かした配置をしていて、視界が遮られる通路構造がなかなか嫌らしかった。
3件目は霧谷洞という湿地型のダンジョンで、3層の水棲モンスターの生態調査。報酬14万。水場が多く足元が悪い構造だったが、モンスター自体は問題ないレベルだった。
4件目の依頼を受けに協会を訪れた時だった。
窓口で朝霧と話していると、ロビーの方から切羽詰まった声が聞こえた。
「お願いします! 誰か、お願い……!」
振り返ると、3人の若い攻略者がロビーの受付前に立っていた。20歳前後。女性2人と男性1人。全員が装備のまま汗だくで、女性の1人は目を真っ赤にしていた。しかし、他の攻略者はなるべく関わりたくないといった様子だ。
「あの、どうしたんですか。」
朝霧さんが窓口から声をかけた。男性攻略者が早口で説明し始めた。
「パーティーのリーダーが戻ってきてないんです。黒曜海岸の3層で、大型のモンスターに囲まれて――自分たちは撤退しろって言われて、出口まで走ったんですけど、リーダーが殿を務めて、そのまま……。」
「救出依頼は出されましたか?」
「出しました。でも対応まで最短2時間って言われて。3層なんです、もう1時間経ってて……。」
男の声が震えていた。隣の女性が堪えきれずに泣き出した。もう1人の女性がその肩を抱きながら、それでも受付を食い入るように見つめている。
情景がひかりの時と重なった。
同情かもしれない、だが、助けたって罰は当たらないだろう。
黒曜海岸。名前だけは聞いたことがある。確か海沿いにある中規模ダンジョン。洞窟型で、3層までなら難易度はDランクの下の方だったはず。
「その人、怪我は?」
俺は気づいたら口を開いていた。
3人が一斉にこちらを見た。男が食いつくように答える。
「分からないです。剣を構えたところまでは見ました。リーダーは剣士で、自分たちの中では一番強くて……でも囲まれてて、3体か4体――」
「Cランクの依頼で対応できる範囲だよな。」
朝霧さんに確認すると、朝霧は頷いた。
「黒曜海岸の3層なら、Cランクで対応可能です。鷹峰さん、行ってくれますか?」
「行く。」
3人の攻略者が目を見開いた。男が一歩前に出て、頭を下げた。
「お願いします……! ヤマは……俺たちのリーダーは、俺たちを逃がすために残ったんです。お願いします、助けてください……!」
声が掠れていた。こいつらは多分、新人だ。パーティーを組んで日が浅くて、実力も足りなくて、それでも仲間を置いて逃げたことが、たまらなく辛いんだろう。仲間を逃がした判断は間違ってない。むしろ正しい。
だが残された側の気持ちは、正しさとは別の場所にある。
「分かった。場所の詳細を教えてくれ。」
黒曜海岸は、名前の通り黒い岩盤で構成された洞窟型のダンジョンだった。
入口は海岸近くにぽっかりあいた岸壁の裂け目。内部に入ると、壁面に黒曜石に似た鉱物が脈を走らせている。通路はそこそこ広く、大人3人が横に並べる程度。空気は湿っていて、どこかから水の滴る音がする。
1層のモンスターは蝙蝠型の群れだった。体長30cmほどの黒い蝙蝠が天井に張り付いていて、近づくと一斉に飛びかかってくる。10体ほどの群れを剣の一振りで薙ぎ払った。
2層に入ると、今度は犬型のモンスターが通路を巡回していた。体長1m、黒い毛並みに赤い目。低い唸り声を上げて突進してくるが、身体強化の常時発動下では動きが遅く見える。2体まとめて斬り伏せて先に進む。
3層は大きな広間だった。天井が高く、黒曜石の壁面がところどころ鈍く光っている。
広間の奥に、人が倒れていた。
走った。
剣士の青年だった。20歳くらい。短い茶髪に、使い込まれた長剣を握ったまま壁に背を預けている。左腕から血が流れ、鎧の胸当てに爪痕が走っていた。周囲にはモンスターの残骸――魔力の粒子に変わりかけた黒い獣の体が3つ、散らばっている。
「おい、大丈夫か。」
駆け寄って声をかけると、青年が薄く目を開けた。
「……あ、れ。誰……ですか。」
「協会の依頼で来た。仲間が救出依頼を出していた。動けるか?」
「仲間……が?」
「全員無事だ。ロビーで待ってる。」
青年の顔に、安堵が広がった。目尻に涙が滲む。
「……よかった。」
「それはお前が無事で帰って初めて言う台詞なんだよ。」
ポーションを取り出して渡した。買ったはいいものの、使い機会がなかったポーション(中)だ。
「飲めるか?」
青年が礼を言って飲み干すと、左腕の出血が止まり、顔色が少し戻った。
「はい。すみません、助かりました。持ってきた分、全部使っちゃって……。」
立ち上がった青年は、俺より少し背が低い。足取りは不安定だが歩ける。2人で来た道を戻り始めた。
2層に入ったところで、危機感知が反応した。通路の先。リポップしている。
犬型のモンスターが3体、こちらに向かって走ってきた。さっき倒した個体と同じ種だ。赤い目がこちらを捉えている。
山崎が剣に手を伸ばそうとした。左腕が痛んだのか、顔をしかめる。
「下がってろ。」
1歩前に出た。先頭の1体が跳びかかってきた瞬間、抜刀から一閃。剣の軌道が犬型の首筋を通過し、体が魔力の粒子に変わった。続く2体が左右から挟み込んでくる。右の個体を蹴りで弾き飛ばし、左の個体に踏み込んで斬り下ろした。
剣を鞘に収めて振り返ると、山崎が口を開けたまま固まっていた。
「……え。」
「リポップしてたな。行こう。」
「あ、は、はいっす……。」
山崎は呆然としたまま俺の後ろをついてきた。1層でも蝙蝠の群れがリポップしていたが、通り抜けざまに薙ぎ払って終わりだった。
黒曜海岸の出口が見えてきた頃、山崎がようやく口を開いた。
「あの、本当にありがとうございます。名前、聞いてもいいですか。」
「鷹峰遥だ。」
「鷹峰さん。俺、山崎って言います。Dランクの、まだ駆け出しで……。」
「仲間を逃がしたのは立派だよ。今度は自分が生きて帰ることも考えなきゃな。」
山崎が少し驚いた顔をして、それから照れたように頭を掻いた。
「全然立派じゃないっす。逃げ遅れただけで……いや、逃がしたかったのは本当なんですけど、正直めちゃくちゃ怖かったです。」
「怖くて当たり前だろ。」
「……さっきの、やばかったっす。犬3体が一瞬で。俺たちあれに囲まれて撤退戦になったのに。鷹峰さんって、攻略者になって長いんすか?」
「いや、まだ数ヶ月だな。」
山崎の足が止まった。
「……数ヶ月!?」
「まぁ、色々あってな。」
山崎が何か言いたそうな顔をしていたが、俺がそれ以上説明する気がないのを察したのか、黙って歩き出した。
出口の光が近づいてくる。山崎はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「あ、そうだ。鷹峰さんって、裏山ダンジョン行ったことあります?」
心臓が跳ねた。
「……裏山?」
「ダンジョンボードで最近めちゃくちゃ話題になってるダンジョンっす。知りません? 竜がいるっていう。」
知ってるどころの話じゃないが、顔には出さない。
「あー、なんか聞いたことあるかも。」
「あそこ、マジですごいらしいっすよ。あのAランクの烈風も挑んでるって聞きました。」
見た。というか、リアルタイムでモニタ越しに見てた。
「へぇ。」
「それだけじゃなくて、あのダンジョン、攻略者に人気あるんすよ。森エリアが程よい難易度で、物資補給エリアのポーションが安くて質がいいって。常連がめちゃくちゃ多いらしくて。」
「ふーん。」
ポーション安くしすぎたかな、と一瞬思った。いや、あれは利益率的には問題ない。
「俺、怪我治ったら絶対行きたいんすよね。森エリアから始めて、いつか火山エリアまで行くのが目標で。」
山崎の目が輝いていた。
「いいんじゃないか。まずは怪我を治してからな。」
「はいっす!」
出口を出ると、3人のパーティーメンバーが走ってきた。
「ヤマ!!」
真っ先に飛びついたのは、さっき泣いていた女性攻略者だった。山崎の胸に顔を埋めて号泣している。男の方も目を赤くしながら山崎の肩を掴み、もう1人の女性は両手で口を押さえて泣き笑いしていた。
俺はそれを少し離れた場所から見ていた。
悪くない仕事だ。
協会に戻って依頼の完了報告を済ませると、朝霧さんが「お疲れ様です」とカウンター越しに微笑んだ。
「救出依頼、Cランクの単独達成。報酬は15万円です。」
「ありがとう。」
攻略者カードに依頼実績が記録される。緑色のカードを財布にしまいながら、今月の収支をざっくり計算した。依頼報酬がここまでで52万。ダンジョンの運営収入が日に38,000円として、この10日間で38万。合わせて90万か。
悪くない。
祖父母宅に戻り、転移陣で居住エリアに移動した。転移陣からはユキと一緒だ。
「ただいま。今日の状況は?」
「今日も沢山来ましたよ。物資補給エリアのポーション(中)が午後に品薄になりましたが、ハヤテが補充済みです。」
「安定してるな。」
「はい。上級者層の来訪が増えています。火山エリアの竜の追加配置は正解でした。森エリアだけでなく、火山エリアの入口付近で引き返す攻略者も一定数おり、その分の滞在時間が蓄積魔力に上乗せされています。」
モニタを確認した。蓄積魔力の表示が目に入る。610。
……増えたな。
リンドヴルムがリビングに入ってきた。ソファの端に腰を下ろし、目を閉じる。火山エリアの巡回から戻ったのだろう。ハヤテもキッチンから顔を出した。
「ご主人、おかえりっす。今日の依頼どうだったっすか?」
「救出依頼だった。新人が3層で取り残されてて。」
「助けられたっすか?」
「ああ。大した怪我じゃなかった。」
「よかったっす!」
……そろそろ、いけるかもな。
蓄積魔力610。貯金213万。合わせて518万円相当。
もう1人。ここにもう1人いれば、物資補給エリアの管理も、情報の収集も、ダンジョンの運営はさらに安定する。
「ユキ、ハヤテ、リンドヴルム。」
3人が俺を見た。ユキは本を膝に置き、ハヤテはキッチンの入口で足を止め、リンドヴルムが片目を開けた。
「そろそろ、もう1人呼ぶか。」
ハヤテが目を輝かせた。ユキは静かに頷いた。リンドヴルムが「ふむ」と一言だけ返した。
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貯金残高:2,132,500円 / ダンジョン蓄積魔力:610
HP:9,100 / MP:17,600 / STR:10,600 / VIT:10,200 / DEX:9,700 / INT:15,000
スキル:【剣術】Lv.5 / 【身体強化】Lv.5 / 【戦闘機動】Lv.3 / 【危機感知】Lv.3 / 【状態異常耐性】Lv.2
眷属:ユキ(エルダーエルフ)/ ハヤテ(鷹獣人)/ リンドヴルム(祖竜)
【ダンジョン構成】
入口 → 森エリア(初級者向け/管理:ユキ&ハヤテ)→ 物資補給エリア → 火山・大空洞エリア(中・上級者向け/管理:リンドヴルム)→ 居住エリア → コアの小部屋
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