第35話 追いつけない
明らかな違和感があった。
地面を踏みしめる脚に、以前とは別物の力が通っている。リンドヴルムを召喚してからまだ実戦を経験していなかったが、こうして戦いの場に足を踏み入れた瞬間、ステータスの変化がはっきりと身体に伝わってきた。
「遥さん、今日の依頼ってロックタートルの甲殻片5枚ですよね。中層の6層まで行けば確実ですね。」
「ああ、いつものルートだな。」
隣を歩くひかりの声に応じながら、俺は手の平を握っては開くを繰り返していた。指先まで力が漲っている。ユキを召喚したときと同様、リンドヴルムの召喚によるステータスの底上げがあったからだ。最上位眷属2体分の恩恵である。
1層はいつも通りだ。苔が淡く発光する広い通路をひかりと並んで進む。ロックリザードが1体、岩陰から飛び出してきたが、剣を抜くまでもなくひかりが双剣で処理した。
「ここは余裕ですね。」
「だな。」
2層でロックリザードの群れに遭遇したとき、それがはっきりした。5体の群れが前方から突っ込んできた。
先頭の1体が飛びかかってくる軌道が、妙にゆっくり見える。右に半歩ずれて顎の下に剣を滑り込ませる。手応えすらほとんどなく、ロックリザードが光の粒子に変わって消えた。
2体目、3体目。振り返りながらの横薙ぎが正確に2体の首筋を同時に捉えた。
残り2体はひかりが仕留めた。
「……遥さん、なんか今日、動き違いません?」
「そうか?」
「はい……なんか、ゆっくり動いてるのに早いっていうか……うーん……?」
よく見ている。
眷属のステータス加算の件は勿論説明していない。
ひかりは怪訝そうにしながらも、それ以上は追及しなかった。だが、その横顔が、一瞬だけ曇った。
3層、4層と順調に降りていく。
中層に入り、ロックタートルの群れと遭遇する。4体。鎧のような甲殻を纏った亀型モンスターが、重い足音を立ててこちらに向かってくる。
「ひかり、いつも通りで。俺が引きつけるから、隙を狙ってくれ。」
「了解です!」
前衛に出て、先頭のロックタートルの突進を受ける。盾は持っていない。剣の腹で軌道をそらす――つもりだった。
衝撃が軽い。
以前は腕に痺れが走るほどの重さだったロックタートルの突進が、片腕で流せてしまった。
そのまま甲殻に向かって蹴りを叩き込む。通常であれば牽制にしかならない攻撃でロックタートルが崩れ落ち、慌てて剣戟で甲殻片を斬り飛ばした。甲殻片が地面に転がる。
「1枚目。」
振り返ると、ひかりが2体目のロックタートルと対峙していた。双剣の扱いが洗練されてきている。右の剣で腹部を切り裂いて注意を引き、左の剣で甲殻片を抉る。
だが、仕留めるまでに7合。俺が1合で片づけたのと比べると、差は歴然だった。
ひかりも、それに気づいていた。
「……っ、3枚目、取りました。」
「流石。あと2枚だな。」
残りの2体は俺が処理した。甲殻片を丁寧に剥がしながらひかりの様子を窺うが、双剣を鞘に収める手つきがいつもより硬い。
動きは悪くないどころか、むしろ尋常でないスピードで成長している。だが、彼女の表情はどこか焦りや不安を纏っていた。
5枚目の甲殻片を回収し、依頼分が揃った。帰りの道中、ひかりはいつもより口数が少なかった。翠嶺洞から出たとき、夕方の空気がひんやりと肌に触れた。
「ひかり、今日の動き良かったぞ。」
「……ありがとうございます。」
笑顔が返ってきた。だが、どこか無理をしているようにも見えた。社会人時代、こういうやつは沢山見てきた。
言葉にはしない。ひかりはそういう子だ。弱音を吐かず、黙って努力で追いつこうとする芯の強さがある。
俺には何も言えなかった。ステータスが上がった理由を説明することも、「気にするな」と無責任に励ますことも、どちらも出来ないと思ったから。
協会で依頼完了の手続きを済ませる。朝霧さんが窓口で甲殻片の状態を確認し、「品質良好ですね」と処理してくれた。
協会を出たところで、ひかりが足を止めた。
「遥さん。」
「ん?」
「わたし、もっと頑張りますから。」
まっすぐな目だった。焦りも悔しさも、全部飲み込んだ上での言葉だと分かった。
「……ああ。次もよろしく。」
ひかりは小さく頷いて、駅の方へ歩いていった。
「はぁ……。ひかりには悪いことしたよな。あいつは間違いなく才能があるのに……。」
バスに揺られながら俺はもう1つの課題に意識を向けていた。
ダンジョンの運営についてだ。
火山エリアは順調に回り始めた。リンドヴルムが低級竜を管理し、森エリアはユキの精霊魔法で運営を維持している。だが、それは全て眷属たちの力に依存した運営だ。
ふと、ここ数日ずっと引っかかっていた疑問が頭をもたげた。
将来的に、エリアをさらに拡張してモンスターを自分で配置するとしたら。
生成したモンスターが攻略者に倒された場合、自動的に復活するのか? それとも、その都度魔力を消費して再配置する必要があるのか?
異なる種類のモンスターを同じエリアに配置した場合、縄張り争いや同士討ちは起きないのか?
普通のマスターはこの辺りをどうやって知るのだろうか。
こんな情報がネットに転がっているわけがないし、攻略者向けの情報サイトにもマスターの運営ノウハウなんて載っていない。知り合いのマスターもいないしな。
……いや、待て。
知り合いはいない。だが、ダンジョンの最深部には、必ずマスターがいる。
頭の中で、一つの考えが形を成していった。
翠嶺洞。俺が一番よく知っているダンジョン。あそこの深層は7層以降、ロックワイバーンが飛ぶ本格的な構成になっている。あの階層設計を作り上げたマスターが、最深部にいるはずだ。
深層を突破して、最深部のマスターに直接聞きに行けばいい。
……まぁ、向こうからすれば「防衛線を突破してきた攻略者」でしかないわけだが。
だから、ユキを連れていく。
俺一人だと生きて帰れるか分からないが、ユキがいてくれればかなりの安全マージンになるだろう。
無茶ではないはずだ。
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貯金残高:360,500円 / ダンジョン蓄積魔力:79
スキル:【剣術】Lv.4 / 【身体強化】Lv.3
眷属:ユキ(エルダーエルフ)/ ハヤテ(鷹獣人)/ リンドヴルム(祖竜)
【ダンジョン構成】
入口 → 森エリア(初級者向け/管理:ユキ&ハヤテ)→ 物資補給エリア → 火山・大空洞エリア(中・上級者向け/管理:リンドヴルム)→ 居住エリア → コアの小部屋
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