第13話 ハーブ過多
朝の稽古を終え、汗を拭きながら居住エリアに戻った。
一ヶ月前は一方的に転がされるだけだった模擬戦も、今では数手持ちこたえられるようになっている。
「ご主人様。昨日おっしゃっていた、ダンジョン拡張の件ですが。」
稽古の余韻が冷めないうちに、ユキが切り出した。このあたりの切り替えの速さは相変わらず見事だ。
「ああ、そうだった。そろそろ本格的に考えたくてさ。今ある訓練エリアと居住エリアだけじゃ、先を見据えると手狭だろ。」
「はい。優先度の高い施設をいくつか挙げさせていただきますと、まず攻略者を受け入れるのであれば物資補給エリア、次いで食堂エリア、変わり種だと湯治エリアあたりかと。」
さらりと三つ並べてくるあたり、ユキも考えてくれていたんだろう。
「物資補給と食堂は需要が見えやすいな。湯治も、長時間滞在してもらうなら必要か……。まあ、どれも魔力が足りないとどうにもならないから、優先順位をつけて一つずつだな。」
「焦る必要はありません。ご主人様のペースで。」
ユキが小さく頷いて、話の区切りがついた。
そこで、ふと思い出したように彼女が口を開いた。
「ところで、ご主人様。一つお訊きしてもよろしいですか。」
「ん?」
「……普段、出来合いのものばかりを召し上がっているようですが、外出中は何を?。」
意外な質問だった。食事の話が出たからだろうか。
「えーと……コンビニの弁当とか、カップ麺とか。あとはパンかおにぎりか。翠嶺洞に行くときは途中で買って済ませてるな。」
沈黙が落ちた。
ユキの表情は相変わらず読みにくいが、眉がほんの少しだけ寄っている。最近の付き合いで分かるようになった。あれは不快とか怒りではなく、もう少し――たぶん「呆れ」に近い感情だ。
「……一ヶ月間、ずっとですか。」
「ずっとだな。」
「毎朝の稽古であれだけ身体を動かしておいて、コンビニの弁当。」
「いや、栄養バランスは一応考えてるぞ。幕の内弁当とか選んでるし。」
反論として弱すぎるのは自覚している。ユキの蒼い瞳が静かにこちらを見つめているのが、無言の圧力だった。
「ご主人様。私に料理をさせていただけませんか。」
「料理? ユキが?」
「はい。眷属として、ご主人様の健康管理も務めの一つです。このまま即席の食事を続けられるのは……看過しかねます。」
「……でも、材料がないだろ。キッチンも碌な調理器具がないし。」
「食材はご主人様に買い出しをお願いできれば。調理器具は最低限あれば十分です。」
断る理由が見つからなかった。というか、正直に言えば温かい手料理に飢えていた。会社員時代から自炊の習慣はなく、退職後の一人暮らしで腕が上がるはずもなく。コンビニ弁当の生活に不満はなかったが、それは「不満を感じる余裕がなかった」だけだったのかもしれない。
「分かった。お願いしていいか?」
「かしこまりました。」
ユキが小さなメモ帳を取り出した。簡単な日用品は居住エリアに置いているが、いつの間にそんなものを用意していたんだ。そこに整った文字で食材のリストを書き始める。
「鶏肉、白米、卵、野菜はキャベツ、人参、玉葱……。それから、もし手に入るようでしたら、香草を数種類。」
「香草?」
「はい。バジル、ローズマリー、タイムあたりを。」
ハーブの名前がすらすら出てくるあたり、結構調べてくれていたのだろうか。それにユキの世界にはない食材も多いんじゃないかと思うんだが。買い出しリストを受け取り、俺は地上のスーパーへ向かった。
食材を両手に抱えて戻ると、居住エリアの小さなキッチンにユキが立っていた。
「ご主人様、食材はそちらに置いてください。」
「あ、ああ。」
なぜか少しだけ声が上擦った。気のせいということにしておく。
買ってきた食材をユキが手際よく並べ、一つ一つ確認していく。野菜の鮮度を見る目つきが真剣で、こういう顔もするのかと思った。
調理が始まると、ユキはよどみなく作業を始めた。
まな板の上で包丁が規則正しいリズムを刻む。その手つきは繊細で丁寧だった。鶏肉に薄く塩を振り、香草を丁寧に刻んで揉み込む。鍋に水を張り、野菜を入れてじっくりと火にかける。居住エリアにいい匂いが充満し始めた。
「ご主人様、味見をお願いできますか。」
差し出されたスプーンを受け取り、スープを一口。
口の中に広がったのは――森だった。
いや、森は言い過ぎか。だが、ハーブの香りが想定の三倍くらい効いている。基本の味付けは確かに美味い。出汁の取り方が丁寧で、素材の旨味がきちんと引き出されている。が、その上に重ねられた香草のレイヤーが、人間の舌にはやや……パンチが強い。
「……どうですか。」
ユキの蒼い瞳がまっすぐこちらを見ている。微かに――本当に微かに、期待しているような光が宿っていた。
「美味い。美味いんだけど……こう、ハーブがちょっと、こう。」
我ながら歯切れが悪い。だが正直に伝えるべきだ。
「……森。」
「森、ですか。」
ユキの声のトーンが微妙に下がった。表情はほとんど変わらないが、唇がわずかに引き結ばれているのが見える。
まずい。これは落ち込んでいるとかではなく、もっと――ムッとしている。ユキが感情を見せること自体が珍しいので、どう対処すればいいのか分からない。
「いや、味のベースは本当に美味いんだ! 出汁の感じとか、鶏肉の下味とか、完璧だと思う。ただ、人間の舌だとハーブがこのくらいでも結構強く感じるっていうか……」
「……エルフの味覚は人間より繊細なので、香草の風味はもう少し複雑な方が心地よいのです。加減を間違えました。」
言いながら、ユキが鍋に向き直った。香草を足す代わりに、隣のコンロで少量の醤油と味醂を温め始める。
「ご主人様。もう一つ鍋をお借りしてもよろしいですか。」
「好きに使ってくれ。」
そこからの軌道修正は見事だった。
スープを二つに分け、片方はそのまま、いやむしろ香草が追加され(ユキ用だろう)、もう片方の風味を和風の調味料で上手くまとめていく。醤油の塩味と味醂の甘味がハーブの尖りを丸くして、不思議な調和が生まれた。
「……これは。」
二度目の味見で、思わず唸った。和風とハーブの融合。名前のつけようがない料理だが、滅茶苦茶美味い。身体の芯にじんわりと沁みるような温かさがある。コンビニ弁当では絶対に出会えない味だ。
「よかったです。」
珍しく、はっきりと微笑むユキが新鮮だった。
今まで、この食卓はユキとの「報告の場」だった。翠嶺洞の攻略状況やダンジョンの管理について話し合う席。
「いただきます。」
鶏肉を一口。外はしっかり焼き目がついていて、中はしっとりと柔らかい。ハーブの香りが今度はちょうどよく、噛むたびにじわりと旨味が広がる。スープも、さっき味見したときよりさらに味が馴染んで、完成度が上がっていた。
「……美味い。」
「ありがとうございます。」
ユキが自分の分のスープを一口飲んだ。あちらはハーブ増量版のはずだが、満足そうに――いや、ユキの場合は「満足」の表情が分かりにくいのだが、たぶんそうだ。
しばらく二人で黙って食べた。
ただの食事の時間。それが妙に心地よかった。
「ご主人様。」
「ん?」
「明日からは、私が食事を用意いたします。」
「稽古もあるのに悪いだろ。」
「稽古の前に朝食を、夕方の報告の際に夕食を。時間に問題はありません。」
有無を言わさぬ口調だった。提案ではなく宣言である。
「……あ、材料の買い出しだけは俺がやるよ。リストを書いてくれれば。」
「助かります。」
こうして俺の食卓事情は劇的に改善された。ダンジョンの拡張計画より先に、日常の生活の質が上がるとは予想外だったが、悪くない。むしろ、こういう地味な変化の方が、暮らしには効くのかもしれない。
食器を片付けながら、明日の買い出しリストのことを考えていた。ユキの字は達筆すぎて、たまに読めないのが唯一の問題である。
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貯金残高:1,850,000円 / ダンジョン蓄積魔力:480
スキル:【剣術】Lv.3 / 【身体強化】Lv.1
眷属:ユキ(エルダーエルフ)
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