表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リネアの選択  作者: とたか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

82/97

81 困惑

 休養日の午後。

 本科棟の図書室は、いつものように静かだった。

 窓から差し込む光が、古い紙の匂いをゆっくりと温めている。

 リネアは奥まった席に座り、本を開いていた。


 ページの上には細かな注釈。

 読み進めているはずなのに、時折視線が止まる。


「今日はこっちなんだ」


 足音が近づいて顔を上げると、セイルが立っていた。


「セイル」


 研究所籍になってから、セイルは本科棟の研究室にこもることが多く、こうして学院内で顔を合わせることは減っている。

 まだ王都の研究所と学院を行ったり来たりもしているようだった。


「久しぶり」

「久しぶり。仕事、忙しそうだね」

「配属されたばかりだからね。覚えることが山ほどある」


 穏やかな会話。

 学院の時間より少し外側にいる人間の空気。


「最近どう?二年になってすぐの演習って一番きつい時期だから」

「うん、なんとか」


 短く答えるリネアの様子に、セイルに眉を寄せた。

 顔色があまり良くない。

 この時期の演習がどれだけ負荷になるかは、セイル自身も経験して知っている。

 ただ、ここで心配や制止を口にしても、リネアが応じないことは、セイルも分かっていた。


 言葉を探すように巡らせた視線が、机の上の本に視線が落ちる。


「珍しいね。聖女関係?」


 リネアの指先がわずかに止まった。


「……たまには視点を変えようと思って」


 曖昧に笑って、リネアは本を閉じる。

 聖女が生まれる背景も調べれば、大星蝕の何か手がかりになるかもしれない。

 色んな角度から可能性を探る必要がある。


 少し考えて、それなら、とセイルが口を開く。


「研究所に専門で追ってる人がいるよ。面白い資料があるか聞いてみようか?」

「いいの?」

「うん。少し、時間はかかるかもしれないけど」


 リネアは少しだけ表情をやわらげた。


「ありがとう」


 ちょうどその時、閲覧室の入口の方で誰かが足を止める気配がした。

 顔を向けると、クロウが立っていた。


 視線がセイルとリネアの間を通り過ぎた。


「……二人で約束してたのか?」


 低い声で言いながら、歩み寄る。


「ううん、偶然」

「たまたま会っただけだよ」

わまか

 セイルが軽く笑って立ち上がる。


「そろそろ僕も戻らないと。資料の件は、また今度」


 去っていく背を見送りながら、リネアは小さく息を吐いた。

 リネアのすぐ側に立ったクロウが背負う、弓袋をちらりと見た。


「今日も、練習棟?」

「ああ。もう終わった」


 予定のない休養日に、クロウは長い時間を練習棟で過ごす。

 その日々の鍛錬が演習での高い命中精度を支えている。


 この時間に切り上げたということは、図書棟に用事があったのだろうか?

 けれど、クロウがこの場から離れる様子はない。リネアは首をかしげた。


「……用だった?」

「用はない」


 短く答える。


「練習棟から姿が見えたから来た」


 それだけを、当たり前のように言うとリネアは少しだけ目を瞬かせる。

 クロウはそのまま迷いなく、隣の椅子を引いて座った。


 机の上に何冊も積まれた本に視線をやる。


「……あまり読まない分野だな」

「うん。ちょっと気になって」


 それ以上は言わず、リネアはそっと本を避ける。

 無意識に表紙を隠すように手が動いた。

 代わりに脇に置いていた理論書を引き寄せる。


「それより、こっちの方が面白かった」


 開いたページには複雑な術式図。


「最近の回路理論、解釈が少し変わってるでしょう?ここ」


 クロウの目がすぐに本へと落ちる。


「……そこは前提が古いものと違うな」


 低い声で言いながら自然に身を寄せると、肩がわずかに触れた。


「こっちの補助式を優先した方が安定する」

「でもそれだと展開速度落ちない?」

「速度より制御だ」


 言葉が重なる。

 気づけば、同じ紙面を並んで覗き込んでいた。

 クロウは理論や戦術の話になると、いつもより少しだけ言葉が多い。

 淡々としているのに、どこか楽しそうで熱がある。


「ここ、連携なら意味が変わる」

「あ、確かに――」


 リネアが笑って顔を上げる。

 同じタイミングでクロウも視線を上げた。

 思っていたよりも距離が近くて、呼吸が触れそうなほどの位置で目が合う。


 動きを止まる。


 胸の音が一拍跳ねたのを合図に、リネアは反射的に視線を逸らし、少しだけ身体を引く。

 静かな図書室に椅子の脚が小さく鳴った。


 クロウは何も言わず、ただ、ほんの少し視線を揺らす。


「……もし、速度を優先するなら」

「ああ」


 視線が本に縫い付けられたように、リネアはクロウの方はもう見れずに再び話し始める。

 会話は続いているのに、さっきとは違う距離が生まれていた。


 それでも、その横顔から覗く頰や耳の先にわずかに差した赤みを見て、クロウはわずかに目元をやわらげた。





 消灯時間が間近に迫った女子寮は、朝の喧騒とは違う静けさに包まれていた。

 廊下を照らす灯りは柔らかく、遠くで誰かの笑い声が小さく弾けては消える。


 リネアは迷いながらも、セラフィナの部屋の前で足を止めた。


 軽くノックすると、すぐに扉が開く。


「リネア?珍しい」


 驚きと嬉しさが混じった声。

 部屋の中は甘い香りがして、机の上には令嬢たちに人気の刊行誌が置かれていた。


「……ちょっと、話してもいい?」

「もちろん!」


 セラフィナはベッドをぽんぽんと叩く。

 リネアは遠慮がちに腰を下ろした。


 少しの沈黙。

 言葉を探してから、リネアは口を開く。


「……クロウ、最近ちょっと変じゃない?」

「変?」

「その……前より、距離が近い気がして」


 今日の昼間だけじゃない。

 領地での見たことのない表情や、春暁祭での時間を思い出して、耳の先が熱くなる。


「なんだか、急に……」


 眉を下げて、言い切れないまま言葉が途切れる。

 セラフィナはしばらく瞬きをして、それからにやりと笑いかけた。


「嫌なの?」

「……嫌なわけ、じゃない」


 ゆっくりと首を振る。

 思い出すと、頬に熱が集まる気がして、隠すように俯く。


「でも……困ってる」


 声は小さくなる。


「――なら、」


 笑顔でセラフィナは言いかけて、そのまま止めた。


 プロムのとき、セラフィナはクロウをとことんいじめた。

 だから、今日は少しくらい援護射撃をしてあげよう――、そこまで考えて言葉を飲み込んだ。


 目の前のリネアの表情が、想像していたものよりずっと暗かったからだ。

 恋に浮かされるように、困っている顔ではない。


 リネアは膝の上で指を組む。


(私は……)


 クロウを守るために隣にいる。

 それだけにしないと、いけない。


 誰かを好きになったとしても、自分には結ばれることなんてない。

 対価を抱えたまま、普通の未来は選べない。


 ――だから。


 これ以上はきっと苦しくなる。

 その思いが胸の奥で静かに重く沈む。


 セラフィナはその沈黙を見つめて、真剣な顔になった。


「……たぶんね」


 慎重に言葉を選ぶ。


「友達として。星約として。もっと仲良くなろうって、クロウなりに頑張ってるだけだと思う」


 リネアが顔を上げる。


「クロウって、幼馴染以外の交友関係がほんとに少ないの。女友達なんて、たぶんリネアが初めてだし」


 小さく笑って、肩をすくめる。


「だから距離感、ちょっとおかしいんだと思う。

 悪気はないから、許してやって」


 その言葉に、リネアの表情から力が抜ける。


「……そっか」


 セラフィナが言うなら、そうなのだろう。反芻するように頷く。


 最近の言葉も、視線も、特別な意味なんてない。


 そう思うと、胸の奥がほんの少しだけ軽くなった。

 けれど同時に、どこか冷たいものが残る。


(勘違いしないように)


 自分の感情を、間違えないように。

 そう静かに心の中で決める。


「ありがとう、セラフィナ」

「うん」


 セラフィナは笑った。

 けれどその笑顔の奥で、複雑な色が揺れていた。


 リネアは気づかないまま、部屋を後にする。

 扉が閉まってから、セラフィナは息を吐いた。


「……違うんだけどなあ」


 誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。

 夜の静けさだけが、優しくその言葉を包み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ