79 二年生
始業の鐘が鳴る前の学院は、昨年よりもわずかに落ち着いた空気を帯びている。
ただ、中庭の掲示の前だけは、例外だった。
星約再編通知。
半年に一度の見直し。
学院は星約単位で動く。
だから三年間、クラスはほとんど固定だ。
動くのは――星約が変わったときだけ。
「……あ、あいつら解消だ」
「三組も変わってるな」
「やっぱ一年目は試用期間ってことか」
ざわめきは、緊張というより、探るようなものだった。
リネアは、人の隙間から掲示を見た。
名前が並ぶ。
再編があったのは数組。
その中に自分の名前はない。
リネアのクラスで変更があった星約はいなかった。
すぐ横でクロウは一瞥するとすぐに、踵を返す。
「リネア」
振り向きざまに言う。
「行くぞ」
「……うん」
まるで最初から結果は決まっていたかのように。
解除、再編――
そういった可能性は、クロウにとって考慮の外にあるらしい。
それが、少しだけ羨ましくて、少しだけ怖い。
◇
二年の教室は、一年のそれとは少し雰囲気が違った。
机は固定式ではなく可動式に変わり、討議しやすい形式に変わっている。
壁際には簡易結界の模型。
天井からは魔力計測器が吊り下がり、淡く光を帯びている。
演習も変わる。
人工魔物はより速く、より複雑に。
単純制圧ではなく、状況判断を挟む実戦を前提とした内容になる。
校外演習が、星約によっては王立軍の後方支援など、随行派遣になる可能性もあると聞いている。
「……随行なんて大丈夫かな」
眉を寄せるセラフィナに、リネアもまた少し不安げに頷く。
「そんなに都合よく星蝕が観測されてるわけでもない。
実際は軍の方の模擬演習への参加だ」
だから安心しろ、とレオニスが笑う。
「実戦投入」
「絶対回避」
と、ネーリス兄弟がいつもの調子で言い合う。
反して、ガイは逆にワクワクしている。
「俺は早く実戦に出てみたいけどな!」
演習については、双子のような反応が大半だ。
あくまで学院は義務であって通過点。無用な危険は避けたい。
ただし、王立軍や王宮騎士への入隊を見据えているガイや、軍閥の家門の者からすれば良い機会となる。
リネアが手元の資料に視線を落とした瞬間、横から影が差す。
「随行は、結界維持と負傷者搬送の補助を想定か」
低い声が、すぐ近くで落ちる。
クロウが身を寄せ、同じ紙面を覗き込んでいた。
肩が、かすかに触れる。
避けるほどでもない、けれど意識すれば温度が伝わる距離。
「思っていたより実地寄りだな」
真剣な横顔で、紙面を目でなぞりながら、淡々と続ける。
軍の名に浮き立つわけでもなく、ただ状況を整理している。
「お前の負担は、増えるかもしれない」
「大丈夫だよ」
視線だけが、わずかにこちらを向く。
少し心配を含んだ気遣いのある声音だった。
「今のうちに詰めておこう」
「うん……」
それだけ言って、クロウは自然に体を離した。
体温の名残が、なぜか薄れない。
春暁祭の日から、クロウは変わらずにリネアの隣にいる。
話せば楽しいし、嫌なわけではない。
それでも、リネアは落ち着かない。
友人で星約だ。
けれど、自分の中ではそれだけではない。
(目を離してはいけない)
大星蝕が、いつ起こるかわからない。
守ることが、自分の役割だと決めていた。
だから、隣にいる。
そうして自分を正しても、最近のふとした視線や、無意識の気遣いに、意味を探してしまいそうになる。
それは、違う。
そう思うのに。
どういう顔で、どういう距離で、ここに立てばいいのかがわからない。
◇
始業式では二年生としての授業は本格的にはまだ始まらず、星約単位での確認や今後の予定の説明が中心だった。
放課後になってリネアは一人、中庭を横切る。
風は春らしく暖かく、空気も軽いのに、リネアの胸の奥は沈んでいた。
図書棟の裏に着くと、約束通りミカは待っていた。
壁にもたれかかって、いつも通りの様子で軽く手を上げる。
図書棟の壁に背をつけて並んで立つ。
「……ミカの星約、また決まらなかったね」
半年。いや、一年近くずっとミカの星約は不在のままになる。
人数が合わないとはいえ、彼の恩寵は誰とでも組みやすいものなのに。
「まあ、そうしろって言われてるから」
「言われてる?」
「そう。便利なんだよ、単独って」
「便利……」
「それに学院側も、ほかの星約を解除してまで、平民とは組ませにくいでしょ」
あっけらかんとした声の中に、神殿の意図を透かしている。
「心配してくれるなら、次でリネアが星約になる?」
覗き込んでくるからかうような目に、思わず固まる。
クロウが隣に立つ姿が、リネアの脳裏をよぎる。
「……それは」
前みたいに軽い調子で、返せなかった。
ミカは、ほんの一瞬だけ首をかしげたが、すぐに笑い飛ばす。
「冗談だって。そんな顔しないでよ」
「……」
それからすぐに、その目が真面目な色に変わる。
「で、本題に入ろうか」
春暁祭のときの話だ。
身構えるリネアにミカは紙の束を差し出す。
「これは……?」
「リネアなら、見ればわかるんじゃない」
畳まれた紙を広げると、いくつかの星蝕の観測報告が写されていた。
地方のごく小さな規模の星蝕。
地方神殿の神官だけで密かに処理された記録だ。
「それ、軍には上がらない」
息を呑んだリネアの目が、大きく揺れる。
きちんと照合しないとわからない。
けれど、頭の中の神殿の図書室で見た資料と傾向は重なる気がする。
――大星蝕の前兆。
夢の中で見た空の色が、目の前に蘇る。
紙を握る指先が、わずかに震えた。
気持ちを落ち着けるように、大きく息を吸う。
「……ちゃんと、照合するから、少し時間が欲しい」
「もちろん」
ミカはそれ以上何も言わず、ただリネアの反応を見つめていた。
「ミカは……」
「ん?」
「どうして、ここまでしてくれるの?」
ずっと疑問だった。
ただの命令なら、リネアのことを伝えて神殿に引き渡してしまえばいいだけだ。
夢も、詳細は明かしていなくても、信じてくれている。
だけど未だにミカが神殿にリネアのことを話した気配はない。
この資料もきっと、神殿には黙って持ってきてくれた。
「確証がないから……じゃ、納得しない顔だよね」
「理由が分からなくて」
ミカとはクラスメイトや小隊の仲間として一緒に過ごす時間を積み重ねてきた。
少し特殊な関係でも、すでにリネアの中では秘密を共有する友人のような立ち位置になってしまっている。
だからこそ、ミカが友情に絆されるほど甘い性格ではないことも、分かっていた。
ミカが、諦めたようにふっと息を吐く。
「俺も、別に神殿のためだけに動いてるわけじゃない」
「……?」
「神殿のやり方に乗ってるのは、都合がいいから」
「じゃあ、何のため?」
「世界平和」
にっこりといつもの軽い笑顔で言い切る。
本気とも冗談ともつかない顔。
虚を突かれ、リネアは言葉を失う。
「信じなくていいよ。俺にも個人的な目的があるってこと。
だから、リネアの話を全部神殿に渡すつもりはないだけ」
それに、と続ける。
「君が何ものなのかにも、興味がある」
それは、リネアだって知りたい。
五歳の日から今日まで、夢を見る理由も、意味も、ずっと分からないままなのだから。
何も返せないままのリネアを見て、ミカは肩をすくめて笑った。
「今日はここまでにしよう」
会話を閉じる声は、いつもの調子に戻っている。
リネアもこれ以上は続ける気になれず、小さく頷いた。
手元の紙束から感じる、拭いきれない不穏の気配に、そっと目を伏せた。




