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リネアの選択  作者: とたか


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78 春暁祭 後編

 太陽の位置が高くなり、空はもうすぐ完全な朝を迎えようとしている。

 窓の向こうで王都の屋根を照らす光が、白く澄んでいく。


 リネアははっと我に返る。


「……セラフィナたちと合流しないと」


 クロウが窓から視線を戻す。


「ああ」


 名残惜しむ様子はない。

 けれど、急ぐ様子もない。


 階段を下り始める直前、リネアの視線がふと本棚を滑った。


 指が勝手に動く。

 内容も確かめず、薄い一冊を引き抜く。


「買うのか」

「……うん」


 本当は、何を手にしたのかもよく見ていない。

 階段を一段ずつ降りながら、リネアの鼓動はまだ落ち着かない。


 一階に戻ると、店主に礼を言って会計を済ませた。

 外へ出ると、朝の空気は少し冷たい。


「持つ」


 クロウが当然のように本に手を伸ばす。


「……大丈夫」


 リネアは本を両手でぎゅっと抱え込む。

 しっかりと、掌をふさぐように。


 クロウの視線が一瞬だけそこに落ちる。

 それ以上は、何も言わない。


「行くぞ」


 今度は手を取らずに、並んで歩くだけ。

 それでも距離は、夜より近い気がした。





 王城の城壁へ続く階段は、この日だけ解放されている。

 普段は立ち入れない歩廊。

 高い石壁の先に、王都の街並みが広がる、日の出がよく見える場所だ。


 二人が着いたとき、

 ちょうど城壁の階段から降りてくる影があった。


「二人とも!」


 セラフィナが手を振る。


「遅いよ!」

「……ごめん」


 息を整えながら答える。

 レオニスは静かに二人を見比べた。


「迷子は見つかったようだな」

「見つけた」


 クロウが淡々と頷く。


「もうっ!日の出に間に合わなかったじゃない」


 頬を膨らませたセラフィナがクロウを睨む。


「"あとで向かう"と言った」


 しれっと言い切る。

 セラフィナが口を開きかけ、閉じる。


「……もう、いいわよ」


 呆れと諦め半分ずつ。

 レオニスがその隣で、小さく肩をすくめた。


「そろそろ行進の準備だ。俺たちは向かわないとな」


 今日の昼過ぎからは王立軍の行進が始まる。華やかな音で楽隊が先導し、王都を歩くパレードだ。

 レオニスとクロウは、その采配に駆り出されている。


「私も、行進まで帰って少し寝るわ……」


 セラフィナにも夜通し遊んだ疲れが、今になって現れていた。


 数日後には、またすぐに学院が始まる。

 簡単な別れの言葉のあとに、自然な流れで解散が決まった。


 馬車に乗るセラフィナを見送ったあと、クロウとレオニスは王城の内側へと歩いていく。


 その背中に朝日が当たって照らされて、眩しさにリネアは目を逸らした。





 王城から宿までは近い。

 それでもリネアはそのまま戻る気にもなれず、中央神殿に向かった。


 春暁祭の朝の祈りは、王都でも特に重要な祭儀だ。


 神殿に着くとすでに早朝にも関わらず、人が集まり、厳かな緊張に包まれている。

 夜通し賑わっていた街とは別世界のようだ。


 鐘が鳴る。

 高く澄んだ、真っ直ぐな音が神殿に響く。


 広間の入口の扉がゆっくりと開き、いつもより華やかな祭服に身を包んだ神官見習いたちが、先導して列を成して姿を現す。


 その中――先頭近く。


 リネアの視線が止まる。


 装飾が多く、金糸の縁取りが施された祭服。

 若い神官見習いの中では明らかに目立つ位置。


 背筋を伸ばし、迷いのない歩みで進む青年。


「……ミカ」


 思わず、小さく声が漏れる。


 整えられた装いに、いつもの軽口や笑顔もない。表情は静かで、真剣だ。


 手には金の燭台。

 日の出の光を受けて炎が揺れる。


 ――面倒な役目。


 手紙の意味が、ようやく分かる。


 中央へ進み出ると、彼は祭壇前で膝をついた。

 祈祷の言葉が唱えられる。


 声は、よく通る。


 神官見習いたちも祈祷で夜通し起きていたはずなのに、一切の揺らぎがない。

 神殿に集う人々の視線が集まっても、堂々としている。


 知っている顔なのに、知らない人のようでもある。

 学院とは違う、これは彼の別の顔だ。


 祈りが終わる。


 燭台の炎がゆっくりと掲げられ、春の光が神殿内部に差し込む。

 人々が頭を垂れる。


 ミカは一瞬だけ、顔を上げた。

 視線が群衆を流れて、――止まる。


 リネアと目が合った、その刹那。

 わずかに、口元が歪んだ。


 次の瞬間には、完璧な神官見習いの表情に戻っている。


 祭列が退場して、そのまま儀式は続いて行く。

 リネアは本を抱えたまま、神殿の外へと踵を返した。





 外に出て、神殿の裏手に回り込むと先ほどの祭列の一行を見つけた。

 すぐに列は分かれて散って行く。


「ミカ」


 声をかけると、白い祭服の裾が揺れた。


 振り返った顔は、もう先ほどの厳かな神官見習いのものではない。


「……来たんだ」


 露骨に眉を寄せる。


「あんまり見られたくなかった」


 小さく舌打ちするように言う。

 さっきまであれほど堂々としていたのに。


「どうして?立派だったのに」


 本心からの言葉だった。

 声も姿勢も、誰よりも迷いがなく、あの場に立つにふさわしい人に見えた。


 ミカは少しだけ黙る。

 それから、肩をすくめた。


「神様を信じてるみたいで、嫌じゃん」


 軽い調子。

 冗談みたいな顔。


「俺、信心深いタイプに見える?」

「……見えない」


 思わず正直に返してしまう。


「でしょ」


 けれどその顔には、ほんの少しだけ影がある。


「リネアも、まさか祈りに来たわけじゃないよね?」


 さらっとしてるようで棘のある問い。


 ――忌み子なのに?


 言葉にはしない。

 でも、そういう意味だ。


「……ううん」


 リネアは本を抱え直す。


「ミカを見に来ただけ。

もしかしたら、いるかもって」


 特別な意図はない。

 本当に、そう思っただけだ。


 ミカが少し言葉に詰まる。

 視線がわずかに逸らして、すぐ戻す。


「……へえ」


 いつもの、軽い笑い。


「物好きだね」


 でも、その笑いは半拍遅れていた。

 すぐに切り替えるように、裾を払う。


「今日はこのあと、まだまだ忙しい。

行列の整理と、午後の祈祷補助とか」


「大変だね」

「最悪だよ」


 苦々しい顔をしてから、少しだけ真面目な目になる。


「リネア。学院が始まったら、話したいことがある」

「……話?」

「うん」


 短い。

 それ以上は言わない。


「分かった」


 何かあったのだろうか。


 資料室でのあの仮説。

 五歳のときの話。

 それとも、今日の祭儀のこと。


 浮ついていた気持ちに、冷たい水が一滴落ちて波紋を作る。


 春暁祭の喧騒はまだ続いている。

 でも、季節は確実に進んでいる。


 リネアのたちも、もうすぐ二年生だ。

 学院での時間も、止まらない。


「じゃあね」


 ひらひらと手を振って、ミカの白い背中が人波の中へ戻っていく。


 夜の出来事が、夢だったみたいに遠い。

 春の光が、足元に影を落としていた。

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