76 春暁祭 前編
卒業式から数日後。
リネアとセイルが王都へ着いたのは夕方のことだった。
街は陽が落ちる前から祝祭の色に染まり、光で満ちている。
家々の窓、石畳の縁、橋の欄干。
小さな硝子灯が吊られ、競うように瞬いていた。
楽団の音が遠くから流れてくる。
笑い声と呼び込みの声が重なる。
今日と明日は春暁祭。
街は夜通し眠る気配がない。
「……すごい」
露店が並ぶ広場の向こう、神殿の塔が灯りに照らされている。
日が傾きはじめたのに、まったく暗くない。
圧倒されるリネアの隣でセイルが小さく笑う。
「僕も初めての王都の春暁祭に来た時は、驚いた」
「こんなに夜が明るいの、見たことない……」
「夜通し騒いで、日の出を迎える。守夜祭とは真逆だね」
言いながら、リネアの荷を宿に預けてくれる。
広場に歩いて行ける距離にある、簡素だが清潔な宿屋。窓からは大通りが見える。
宿泊の手続きを終えたところで、セイルが外套を整えた。
「じゃあ、僕は行くね」
「もう?」
セイルは春暁祭のためではなく、王立研究所に顔を出すために王都に来た。
これから数日間、春からの新しい生活に向けて打ち合わせがたくさんあるようだった。
「お祭り、楽しんで」
「うん」
「でも、夜更かししすぎないようにね」
釘を刺して、宿から出ていく。
変わらず穏やかだが、その背中はもう学生のものではない。
宿の部屋に入って、荷を整理を始めると鞄の中から封筒が覗いた。
ミカから、領地に届いた手紙。
この休暇中は、やはり祭りの準備で忙しくて会えないと、簡潔に書かれていた。
"面倒な役目を任された。忙しくて死にそう。最悪"
詳しいことはわからない。
中央神殿では、明日の日の出から儀式があるので、何か役割が割り当てられたのかもしれない。
(皆、それぞれの場所にいる)
リネアはこれから、セラフィナ達と会う。
少し外が暗くなり始めると、身支度を整えて広場へ向かった。
◇
人波の向こうに、見慣れた三人の姿。
最初に気づいたのはセラフィナだった。
「リネア!」
声と同時に、ふわりとワンピースの裾が揺れる。
次の瞬間、抱きつかれていた。
「久しぶり!会いたかった!」
「私も」
距離が近い。声も近い。
嬉しさがそのまま形になっている。
「リネアが潰れる。そのくらいにしておけ」
「ちゃんと加減してるもの」
レオニスの静止と、軽い応酬。
空気はいつも通りだ。
――そして。
リネアの視線が、最後に向いた。
クロウ。
灯りに照らされた横顔。
黒髪が夜に溶ける。
目が合ってリネアの心臓が跳ねる。
丘で見たあの微笑みが重なる。
「……久しぶり」
声が少しだけ静かになる。
「ああ」
短い返答。
表情はいつも通りなのに、目の奥が柔らかい。
それだけで、落ち着かない。
「さあ!今夜は楽しむわよ!」
腕を取られ、半ば引きずられるように歩き出す。
陽気な旋律。
広場では見知らぬ者同士が輪を作って踊る。
その先の大通りも華やかだった
子どもたちが走り回り、仮面をつけた小さな子が転びそうになって笑われている。
色とりどりの装飾品。
炭火で炙る肉の香ばしさ。
果実酒の樽を抱えた商人の威勢のいい声。
「見て、あの飾り!」
セラフィナが露店の一角に飛びつく。
硝子細工の髪飾りが並んでいる。花を模した繊細な細工。
リネアが一つ手に取り、セラフィナの髪にあててみる。
「似合う」
「ほんとに?」
少し照れて笑うセラフィナはとても可愛らしい。
せがまれたレオニスが苦笑しながらも、すぐに髪飾りを買ってセラフィナにつけてやる。
その様子をリネアは微笑ましく見ていた。
「……お前も買うか?」
横からクロウが静かにリネアを声をかける。肩が少し跳ねた。
「ううん。私は大丈夫」
「そうか」
手に持っていた髪飾りをそっと戻す。
クロウもそれ以上は踏み込まない。
すぐに別の露店に目移りしたセラフィナから声がかかる。
「春暁祭といえばこれだな」
「香辛料入りの果実酒?」
「これで、体を温めるのよ」
春めいたといえ、王都の夜はまだ肌寒い。
屋台のそこかしこで、温かく甘い飲み物の湯気がたちのぼっていた。
全員で買ってみて、リネアが一口含むと甘くて少しだけ刺激があった。
「おいしい……」
「だろ?」
「あ、あれもおすすめよ!」
――それからも、真夜中に珍しい食べ物や飲み物を皆で分け合って歩く。
初めての体験。
興奮で眠気が来ることもなく、楽しい時間はあっという間に過ぎる。
気がつけば時計の針が真夜中を指していた。
◇
「あれ?リネアは?」
「……はぐれたな」
人の流れが一段と濃くなった通りの端で、セラフィナがきょろきょろと周囲を見回す。
「さっきまで後ろにいたのに」
「本の露店の前で立ち止まっていたか」
レオニスが冷静に言う。
その瞬間、クロウの視線がわずかに動いた。
本。
異国の装丁。
あの通りの角。
「……あそこか」
小さく呟く。
「探してくる」
「私も行くわ」
「いや、人が多い。余計に散る」
「じゃあ、ここで待ってる?」
セラフィナの言葉にクロウは一瞬だけ沈黙し、首を振った。
「待たなくていい」
「え?」
「日の出はいつもの城壁で見るんだろう。場所は分かっている」
金色の瞳が二人を見る。
「あとで向かう」
反論の隙がない。
言い終えると、もう振り返らない。
クロウはするりと人の流れに溶けていった。
「……」
レオニスもセラフィナも目を丸くした。
「今の、戻らないって言った?」
「ああ」
二人は顔を見合わせる。
「大丈夫かしら、リネア」
「まあ、なるようになるさ」
◇
人混みから少し離れた通り。
露店の灯りが柔らかく並ぶ一角。
リネアは一人、異国の本を手に取っていた。
表紙に見覚えのない言語。
装丁が珍しい。
「……これ、やっぱり気になる」
ページをめくるが、まったく読めない。
聖女の挿絵があるから、神話の類だろうか。
しばらく解読に奮闘して諦めかけた頃、背中に声がかかった。
「やっぱり、ここか」
振り向くと、クロウが立っていた。
辺りを見回してもセラフィナとレオニスの姿は見えない。
「……あれ?」
「自覚無しか」
安堵と呆れの混じったその言葉に、ようやく自分が迷子になっていたことに気づく。
「ごめんなさい!……探してくれてたの?」
「ああ」
余計な説明はしないが、怒っている風でもない。
「セラフィナたちは?」
「任せた」
問わせない声音。
リネアは一瞬だけ戸惑う。
「戻らなくて、いいの?」
「あとで合流する」
クロウの視線が上を向く。
遠く、王城がぼんやりと灯りの中に浮かんでいる。
「時間はまだある」
そして、当然のように言う。
「行くぞ」
人波が押し寄せる。
横から誰かがぶつかりそうになった。
その瞬間。
手を掴まれる。
「……っ」
驚いて見上げる。
「もう、はぐれないよ」
「前科がある」
引かない。
指に力がさらにこもって、しっかりと掌を握られる。
リネアは抗議しかけて、言葉を飲み込んだ。指先が熱い。
クロウは振り返らない。
ただ人波を見据え、確実に進む。
その背中に導かれるように、リネアは歩いた。
夜が深まるほど灯りは増えて、音楽が高まっていく。
春暁祭の夜は、まだ終わらない。




