75 門出
リネアたちが領地を離れる朝は、空が高かった。
春先の柔らかい陽が、フォレスト家の屋根を照らしている。
屋敷の前には馬車が用意され、荷はすでに積み終わっていた。
セイルの両親は、卒業式には出席でなきない。並んで申し訳なさそうな顔をする。
「すまないな。仕事で急遽、西部へ行くことになった」
「それは誇りに思っているよ」
セイルがまったく気に留めない様子で答える。
セイルの母はにっこりと笑った。
「晴れ姿は後でちゃんと聞かせてちょうだい。あなたはもう、自分で歩けるでしょう?」
軽い抱擁を交わして別れの挨拶をする。
自立への信頼を含んだそのやり取りを、リネアは少しだけ羨ましく見ている。
男爵がゆっくりと娘の前に立った。
「リネア。学院までは、ローウェンが送る」
「うん」
「任せろ!」
ローウェンがどんと胸を叩く。
「仕事に戻る前に、セイルの晴れ舞台もしっかり目に焼き付けてくる」
夫人がリネアの頬に手を当てる。
「また寮生活ね。無理はしないこと」
「分かってる」
夫人はリネアの顔をじっと見たあと、額に口づける。
「あなたはあなたの歩幅でいいのよ」
胸に優しい温もりが広がる。
ローウェンが、わざと明るい声を出す。
「ほら、行くぞ。泣くなよ」
「泣いてない」
否定はするけれど、少しだけ目が熱い。
馬車が動き出す。
両親に叔父と叔母、使用人たちが並んで手を振っている。
その姿が小さくなるまで、リネアは何度も振り返った。
◇
馬車の座席は昔から決まっている。
体格のいいローウェンが片側を占めるため、自然とその向かいにリネアはセイルと並んで座る。
「寂しい?」
小声でセイルが聞く。
「少し」
正直に答える。
「でも、すぐ春暁祭だしセラフィナたちとは会えるから」
「そうだね」
向かいでローウェンが腕を組む。
「セイルは式が終わったら、寮はどうするんだ?」
「本科生用の寮に移る。教員補佐もいる棟だよ」
「部屋は増えるし、今より広くて静かになると思う」
「よかったね」
学院生の男子寮は女子寮と違って、夜遅くまで賑やかだと聞く。
「夜更かしする人が減る?」
「……いや、本科生の方が夜型が多い。そもそも寮に帰らずに、研究室の方に籠ってる」
「お前はほどほどにしろよ」
三人で笑ったあと、馬車はしばらく静かに揺れていた。
規則正しい車輪の音。
春の光が窓から差し込み、ゆっくりと移ろう。
ふと、セイルの隣の気配が重くなる。
リネアのまぶたが、こくりと落ちた。
「……寝たな」
ローウェンが小声で言う。
セイルはちらりと横を見る。
眠気と戦うのを諦めたように、静かな寝息をたて始めている。
揺れに合わせて身体が傾く。
セイルはそっと肩を寄せて支えた。
無理に抱き寄せるでもなく、ただ安定する位置に。
リネアは抵抗なく、その肩にもたれかかる。
「相変わらず、夢見が悪いようだ」
ローウェンは、眉を寄せて心配そうに呟く。
セイルも頷いた。
リネアの眠りが子供の頃から浅いことは、家族も勘づいていた。
馬車が小さく跳ねる。
リネアの眉がわずかに寄った。
セイルはさりげなく位置を調整し、揺れを吸収する。
額にかかった髪を、指先で軽くよけてやる。
あまりにも自然な仕草だった。
「……頼むぞ」
ローウェンがぽつりと言う。
「従兄の立場に甘えてるのはわかってる。
だが、無理はさせたくない」
視線は外に向けたまま。
声音だけが真剣だ。
「もちろん」
セイルもまた真剣に答える。
ローウェンは小さく息を吐いた。
「学院は広い。いろんな連中がいる」
「うん」
「自由にはさせてやりたい。
でも頑固だからな。一人で抱え込む」
セイルは少しだけ笑う。
「それも知ってる」
馬車は揺れ続ける。
リネアの寝息は、次第に深くなっていく。安心してる証拠だ。
ローウェンはそれを横目で確認し、腕を組み直した。
「……式が終わったら、俺は王宮に戻る。
しばらく顔を出せん。
何かあればすぐ手紙をくれ」
「分かってる」
短いやり取り。
それで十分だった。
春の街道を、馬車は進む。
フォレスト領から学院まで二日半。
長い道中の景色は、静かに流れていった。
リネアは目を覚まさないまま、次の町を越えた。
◇
卒業式は、厳かに行われた。
大講堂に三年生が並ぶ。
それぞれの未来に進む希望にあふれた姿が眩しい。
リネアは後方の来賓席に座っている。
その隣でローウェンも、静かに式の進行を見守っていた。
やがて名前が呼ばれ、セイルが壇上へ上がる。
背筋は真っ直ぐ。
歩幅も落ち着いている。
証書を受け取る動きが、やけに大人びて見えた。
式が終わって大講堂を出ると、あちこちで歓声が上がる。
「セイル!」
「未来の先生!」
三年の男子がセイルの肩を叩く。
苦笑しながらも、嬉しそうだ。
「結局仲間内ではお前が一番優秀だったな」
「学院に出向だろ?うまいことやったよな〜」
「まだ何もしてない」
即答に、笑いが弾ける。
「俺は領地に戻るけど、また会おうな」
「もちろん」
「研究所行っても連絡よこせ」
「逃げるなよ!」
肩をぶつけ合い、
軽口を叩き合う。
リネアは少し離れた場所からそれを見る。
領地での顔とは違う。
ここにはここで、セイルの世界がある。
ふと、セイルがこちらに気づく。
「リネア、ローウェン」
歩み寄ってくる。
「卒業おめでとう」
「ありがとう」
素直に言うと、少しだけ照れた顔をした。
その様子を見ていたローウェンが、にやりと笑う。
「立派だったぞ、卒業生」
「やめて」
セイルは苦笑する。
「これで本当に一歩前だね」
リネアが言う。
静かに頷く。
学生寮を出て、本科生棟へ。
研究所へ。
皆が少しずつ、次の段階へ進んでいく。
春の風が講堂の外を抜けていった。
春暁祭は、もうすぐだ。




