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リネアの選択  作者: とたか


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72 フォレスト領

 東部へ向かう街道は、王都近郊よりもずっと空が広い。

 舗装の甘い道でも馬車の中は揺れを拾わず、春先のやわらかな光が差し込んでいた。


「早く会いたいなあ」


 セラフィナが窓の外を見たまま、にこにこと笑う。

 その横顔は本気で楽しそうだ。

 クロウは視線を上げる。


「……そうだな」


 短く返す声は落ち着いている。

 いつも通りだ。


 ただ、いつにも増してやけに姿勢が良すぎる。

 演習前のように張り詰めた顔。

 凍りついて真っ直ぐな背筋を見て、レオニスが口元を緩めた。


「何だ」

「いや、別に。緊張しているのか?」

「していない」


 嘘だ。

 セラフィナがくすりと笑う。


「男爵様とは初対面でしょう?」

「……ああ」


 そこだ。


 社交や会議でもなければ、戦場でもない。

 リネアの家族に、星約として正式に挨拶する。

 視察の名目はある。

 手順も礼も尽くしている。


 しかし、それとこれとは別だ。


 粗相がないか。

 軽く見られないか。

 誤解を与えないか。


 ――警戒されるのは当然。


 クロウは息をひとつ整える。


「失礼のないようにするだけだ」

「うんうん」


 セラフィナは頷きながらも、完全に楽しんでいる。

 レオニスは窓の外へ視線を戻す。


「心配するな。フォレスト男爵は穏やかで堅実な方だと聞く」

「分かっている」

 

 それでも、知識と実感は別だ。

 不安は残る。


 やがて馬車が木々に囲まれた森を抜けた瞬間、景色がひらけた。


 一面の麦畑。


 雪が溶けたばかりの土はまだ濃く、湿り気を含んでいる。

 その上に、柔らかな若緑が揺れていた。


 春の芽吹きだ。

 まだ背は低い。

 けれど確かに、風を受けて波打っている。

 細い水路が幾筋も走り、溶けた雪を静かに川へと流している。

 畦は整えられ、無駄がない。


 飾り気はないが、丁寧。

 人の手が何代も重ねられてきた土地だと、一目で分かる。


「……すごい」


 セラフィナが小さく息を呑む。


 美しさを誇示する庭園とは違う。

 見せるための景観ではない。

 ただ、生きるための畑。

 それがこんなにも穏やかで、美しい。


 レオニスは冷静に眺めている。

 水路も倉庫の位置も理にかなっている。

 兵站としても優秀だ。

 でも、それ以上にここは開かれ、守られてきた場所だ。


 クロウは窓の外に視線を向けたまま、言葉を失った。


 ――この土地で育ったのか。


 麦が揺れる。

 風が、やわらかい。

 気づけば、肩の力がふっと抜けていた。

 緊張が消えたわけではない。

 ただ、理由が少しだけ変わる。


 ――会える。


 その事実が、胸の奥で静かに膨らむ。

 麦畑の向こうに、屋敷の屋根が見え始めた。





 領主の屋敷の門前に馬車が止まる。


 フォレスト家は総出で並んで迎えた。

 父が中央に立ち、その半歩後ろに母。

 少し離れてローウェン。

 叔父叔母とセイル、使用人たちも整列している。

 リネアも同じように並び、その様子を緊張した面持ちで見ていた。


 馬車の扉が開いた。

 まず降りたのはレオニス。

 無駄のない動きで一礼する。


「ヴァレンティ侯爵家、レオニスです。本日はご厚意に感謝いたします」


 声は落ち着いていて、響きがよい。

 “軍務卿家の嫡男”の礼だ。


 フォレスト男爵が応じる。


「遠路をようこそ。セオドア・フォレストです。ご視察、心より歓迎いたします」


 男爵の挨拶は丁寧だが、卑屈ではない。

 続いてレオニスの手を取ってセラフィナ。

 裾を整え、完璧な所作で膝を折る。


「ロゼ伯爵家、セラフィナと申します。お招きいただき光栄です」


 柔らかいが、揺らぎのない声。

 礼儀を知る家の娘だと、すぐに分かる。

 男爵夫人がわずかに目をやわらげる。


 最後にクロウ。静かに一礼する。


「ノクエル伯爵家、クロウです。本日はお世話になります」

「星約の件では、娘がお世話になっております」


 穏やかだ。

 穏やかだが、測っている。

 クロウは背筋をさらに正した。


「こちらこそ」


 短い。余計な言葉は足さない。


「ご滞在中は、どうぞごゆるりと」


 形式は整った。

 ローウェンも一歩前へ出る。


「長子のローウェン・フォレストです。何かあれば遠慮なく」


 声音は明るいが、態度はきちんとしている。

 いつものローウェンとは違う顔だ。

 リネアはそのやり取りを、少し離れた位置から見ている。


 ――ちゃんとしてる。

 父も、ローウェンも、皆。


 ほっとしながら、少し誇らしかった。

 ここが、自分の故郷だ。

 麦畑の風が吹き抜けるこの場所が。


 三人の視線が、自然と自分へ向く。

 レオニスが口元を緩め、セラフィナが楽しそうに目を輝かせる。

 クロウと目が真っ直ぐにこちらを見る。


 目が合った瞬間。

 ほんのわずかに、彼の視線が揺れた。


 父が手を差し出して促す。


「どうぞ、屋敷へ」


 穏やかな声に続いて、リネアは一歩進み出て静かに礼をとり微笑んだ。


「ようこそ、フォレストへ」





 屋敷の応接室は豪奢ではないが、丁寧に掃除の行き届いた絨毯、無駄のない家具で整えられていた。

 格式は保ちつつ、飾らない。

 窓からは屋敷の先に広がる麦畑が見える。


 ソファに腰を下ろすと、茶が運ばれ、ひと通りの礼が交わされた。

 男爵は背筋を正し、きちんとした距離を保っている。ローウェンもまた、嫡男として控えていた。


 空気は悪くないが、やや固く緊張感がある。

 そこへ、レオニスが穏やかに口を開く。


「男爵、どうか滞在中は“視察の客”ではなく、娘御の学友として扱っていただければ」


 男爵がわずかに目を上げる。


「フォレスト領の管理が優れていることは、報告でも十分承知しております。私どもは……」


 ほんの少し、口元を緩める。


「リネアの友人として、彼女の故郷を見せていただければ、それで十分です」


 張りつめていた糸が、ほんの少しほぐれる。

セラフィナも続く。


「私たち、本当にリネアに会いに来たのですもの」


 社交の仮面ではない微笑み。


「堅苦しい席次や格式は不要ですわ。必要以上のもてなしも」


 夫人の目がやわらぐ。

 男爵が小さく笑った。


「では、そのように」


 ローウェンも肩の力を抜いた。


「なら、領地の案内は娘にさせましょう」


 男爵の一言で、空気が完全に切り替わる。

リネアが目を丸くした。


「私が?」

「任せたよ、案内役」


 嬉しそうな両親の視線。

 セイルもリネアを見て小さく頷く。


「……はい」





 客間への案内を終えたあと、一行は屋敷から少し離れた丘へ、馬車で移動した。


 馬車を下りて、丘に出た瞬間、風が抜けた。

 春先のまだ少しだけ冷たい風。

 この小高い丘からはフォレスト領が一望できる。


 先ほど屋敷に着くまでに馬車から見ていた光景が、さらに広大に広がっていた。

 麦畑の緑の間を水路が流れ、光を受ける。

 点在する領民たちの家からは竈門の細い煙が上がっていた。


「風が気持ちいい!」

「転ぶなよ」


 丘の先の方へと小走りするセラフィナをレオニスが追いかける。

 その後ろを少し離れて、リネアはゆっくりとクロウと歩く。


 リネアは、落ち着かない。

 フォレストは王都みたいに、華やかではない。

 自分にとっては大切な故郷でも、退屈ではないかと不安になる。


「……何もないでしょう」


 髪を押さえながら言う。


「あるのは麦と水路と倉庫くらい」


 眼前の景色を見ながらクロウは首を振る。


「いや、落ち着く場所だ」


 遠くで麦が揺れる。


「お前の家らしいな」

「……そうかな」


 受け取りきれないように、少し笑う。

 クロウが一歩だけ隣に近づいた。


「ここに来られてよかった。

 それに――久しぶりに、会えた」


 自分も、会えて嬉しかった。

 そう返そうとして、顔を上げたリネアは息と一緒に言葉を飲み込んだ。


 クロウが真っ直ぐに微笑んでいる。

 黒髪が柔らかく風に揺れた。

 今まで見たことのない、とけるような優しい顔をしていた。


 彼は自分にこんな風に笑う人だっただろうか?


 目に宿る温度が今までと違う気がして、 リネアの指先が思わずスカートを握る。


「……遠いのに」


 やっと出た言葉は、それだった。


「視察、大変だったでしょう」


 逃げ道みたいな台詞。

 クロウはわずかに眉を動かす。

 何かを少し察したように。


「いや、まったく」


 それだけ穏やかに答える。

 それ以上の言葉はなく、風だけが二人の間を抜ける。


「置いてくわよー!」


 少し遠くでセラフィナが手を振っている。

 レオニスが苦笑している。

 一瞬だけ、クロウを見る。


「行こう」


 少し困ったような、どこか控えめな笑顔。

 クロウは、その揺らぎを確かに受け取っている。


 二人は並んで歩き出す。

 眼下の麦畑がまた柔らかく風に揺れた。

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