66 プロムナード 5
歓談の時間は、緩やかに続く。
生徒たちは思い思いに歩き、笑い、言葉を交わす。
リネアとセイルもいったん別れて、お互いに同級生の輪へと一時戻っていた。
「ちょっとこっち来て」
その合間にセラフィナに腕を引かれて化粧室に行く。
鏡の前に立たされ、素早く髪を整えられる。
崩れかけた後れ毛を直し、頬にほんのりと色を足す。
「完璧」
「そんなに崩れてた?」
「崩れてない。念のため」
「……セラフィナ。プロムのこと、いろいろありがとう」
「楽しめてる?」
「うん!」
セラフィナは今日のリネアは最高よ、と嬉しそうに頷いた。
会場に戻ると、レオニスが遠くから視線だけで「まだ踊るぞ」と合図を送る。
「私たちはもうひと踊りしてくるわ」
赤薔薇色が軽やかに翻る。
花は、まだ咲き足りないらしい。
リネアは少し壁際へと移動して、会場に視線を巡らる。
イリスの前からは男性が途切れない。
エドガルが必死に牽制するも、外賓の令息に手を取られている。
ガイはすでに、ダンスには飽きてテーブルの前で真剣な顔をしていた。
あれがうまい、これがうまいと、完全に戦場を間違えた様子で食事に挑んでいる。
エマはというと、上級生に声をかけられて静かに談笑している。
濃紺のドレスが、静かな存在感を放つ。
それぞれ楽しむ様子をリネアが眺めていると、横からグラスが差し出される。
「飲むか」
クロウだった。
「ありがとう」
薄く光を帯びた飲み物。
受け取ると指先が触れる。
「もう、踊らないのか」
「ワルツは苦手だから。最後だけ」
「そうか」
ラストダンスの相手は聞かなくても分かってる。
クロウの胸の奥が、また小さく軋む。
――今日は仕方ない。
自分は遅かった。
動かなかったのだから、当然だ。
「……ミカ、結局来なかったね」
「逃げられた」
レオニスが連れ出そうとしたが、いつの間にか寮から消えていた。
きっと今頃は部屋に戻ってくつろいでいるだろう。
そのとき。
「……あ、フォレスト嬢」
少しだけ躊躇いがちな声。
振り向くと、ヴィル・ハートウェルが立っていた。
今夜はきちんと正装している。
ここにいるということは、パートナーは無事に見つかったようだ。
髪も服も整えているのに、どこか落ち着かない様子で指先をいじっている。
「こんばんは」
「うん、こんばんは」
視線がリネアに向き、目が合うとすぐに顔を赤らめて逸らした。
「その……さっき、君が踊ってるのを見て。すごかった。いや、うん、ほんとに」
早口で捲し立てるのに、語彙が足りていない。
リネアは思わず笑う。
「ありがとう」
「……見違えた」
正直な声だった。
そのまま何か続けようとして、横に立つクロウに気づく。
一瞬だけ、息を呑む。
「あ、僕のパートナーは今、あっちで踊ってる」
少し離れたフロアを顎で示して、苦々しく笑う。
「社交、向いてないんだよなあ」
自虐の調子で言ってから、また視線をリネアに戻す。
「でも、フォレスト家とは領地も近いしさ」
ほんの少しだけ勇気を出す。
「今度の夜会では、ちゃんと挨拶させてくれない?
その……よかったらダンス、も……」
ヴィルは途中でぎくりとして、言葉を止めた。
リネアの隣からクロウの視線が、静かに刺さっている。
「あー……」
笑ってごまかす。
「じゃ、じゃあ。また」
逃げるように、長居はしない。
それでも、きちんと一礼して去っていった。
挙動不審な様子に、リネアは首をかしげる。
「どうしたのかな」
「さあ」
クロウの返事は短い。
けれどその視線は、まだヴィルの背を追っていた。
楽団の音が変わる。
低く、深く、旋律が揺らぎ始める。
最後のダンスだ。
会場の空気が、また一段静まる。
「行ってくるね」
リネアが微笑む。
こちらへ歩いてくるセイルの姿が見える。
クロウは頷いた。
視線の先で、セイルとリネアの手がまた重なる。
今日、自分は一度もあの手を取れなかった。
――完敗した。
自嘲が胸の内に滲む。
◇
楽団の音が、ゆっくりと深みを増していく。
軽やかな曲調は消え、低弦が静かに空気を震わせる。
柔らかく、けれど甘い旋律。
ラストワルツ。
中央へと、自然に人の流れが戻っていく。
セイルが礼をとる。
「思えば、ちゃんとワルツを踊るのは初めてだね」
「……ちょっと緊張してる」
リネアの素直な告白に、セイルが小さく笑う。
「楽しもう」
手を取る。
今夜、何度も触れたはずなのに。
最後だと思うと、指先の温度がやけに強く感じられた。
ゆるやかに回転が始まる。
今までの曲よりも、距離は近い。
セイルの手が、リネアの背へと回る。
開いた背中に、直接触れる掌。
緊張と恥ずかしさでリネアの体が少し強張る。
それでもセイルの動きは乱れない。
指先に無理な力はなく、ただ確かにそこにあって支えるだけ。
「リネア」
鼻先が触れそうなくらい、顔が近かった。
「周り、見なくていい」
さっきから、視線を泳がせていたのを見抜いていたのだろう。
回転。
ふわりと持ち上がるようなステップ。
視界が揺れ、会場の灯りが流れる。
「集中して」
囁くような声。
リネアは思わず視線を上げる。
若葉色の瞳が、真っ直ぐに自分を映している。
セイルがわずかに強く引き寄せる。
体と体の間に、ほとんど隙間がない。
背中に回された手の熱が、じわりと広がった。
「大丈夫」
くすりと笑う。
「ちゃんと綺麗に踊れてる」
そう言って、さらに一段大きく回す。
音楽が盛り上がる。
水色のドレスが弧を描く。
裾が雨粒のように広がり、また閉じる。
優しくて迷いのないリード。
視線が絡み、動きが重なる。
リネアの心臓は、音楽よりも早い。
「ありがとう」
回転の合間。
耳元で、セイルが低く囁いた。
「今日、僕をパートナーにしてくれて」
セイルがあまりにも幸せそうに微笑むから、リネアははっと息を呑んだ。すぐに、胸の奥には優しい気持ちが広がる。
「こちらこそ」
最後の旋律。
ゆっくりと、深く沈む和音。
「すごく、楽しかった」
兄のようで、幼馴染でもある存在。
長期休暇が終われば、リネアは二年生になる。
セイルとは同じ学院にいても、目指す場所は違うのかもしれない。
でも、今は。
この時間は確かに積み重なっている。
旋律がゆるやかに終わりへ向かう。
最後のターンを終えると、会場に大きな拍手が広がった。
光の中で学院のプロムは、静かに幕を降ろした。




