64 プロムナード 3
開幕のダンスが終わり、ゆるやかな拍手が波のように広がっていく。
天井の高いホールに、その余韻がやわらかく反響した。
楽団は間を置かず、次の曲の準備に入る。
上級生たちは慣れた足取りで位置を入れ替え、自然と中央が開けていく。
二曲目からは一年生も参加できる。
ざわめきが少しずつ熱を帯び、
期待と緊張が入り混じった空気が、ゆっくりと場を満たしていった。
会場の中央へと、人の流れが生まれる。
色とりどりのドレスが灯りを受けて揺れ、軽やかな笑い声と、靴音が重なり合う。
けれど、壁際で三人は動かなかった。
レオニス。
セラフィナ。
そして、クロウ。
「……行かないのか?」
クロウが低く問う。
視線はダンスフロアに向けたまま、
声だけが二人へと投げられる。
レオニスは肩をすくめた。
「お前が行かないのにか?」
「今はそれどころじゃないんでしょ」
セラフィナが横目でクロウを見る。
軽く、けれど確信を含んだ視線だった。
図星だと分かっていても、クロウは何も返さない。
セイルとリネアは、そのまま踊り続けている。
ポロネーズから流れるように移った次の曲。
先ほどよりも距離が近く、回転も増える。
水色の裾が、灯りを受けてやわらかく弧を描く。
その軌跡が、まるで音楽そのもののように見えた。
開場のときに目を奪われたのとは、少し違う。
立っているだけでも十分すぎるほど目を引いたのに、動けばなおさらだった。
クロウの視線が吸い寄せられる。
どれだけ人がいても、結局ただ一人だけを探してしまう。
楽しそうだった。
リネアは笑っている。
無理のない、心からの笑顔で。
元々、ダンスは得意ではなかったはずだ。
練習で苦戦している様子を、クロウも何度か見ていた。
あのときよりも、明らかに上手くなっている。
それが自分以外の誰かと、繰り返し踊った結果だと知っている。
そのことも、ずっと妙に引っかかっていた。
セイルの手は迷いがなく、リネアもまた、自然に身を預けている。
その一連の動きが、あまりにも滑らかで、余計なことを考える隙を与えないほど完成されていた。
くるり、と回る。
その拍子に、リネアの視線が壁際へ向く。
そして、その目が三人を見つける。
ぱっと、笑った。
ほんの一瞬。
けれど確かに、自分たちに向けられた笑顔。
セラフィナが軽く手を振る。
レオニスも頷く。
クロウは、わずかに顎を引いた。
それだけで。
胸の奥に、鈍い痛みが走る。
言葉にならないまま、何かが確かに軋んだ。
「綺麗でしょう?」
セラフィナが静かに言った。
クロウの視線の動きを、最初からずっと見ていたような言い方だった。
誇らしげでもなく、
見せつけるでもなく、
ただ、確かめるように。
「ああ」
クロウは視線を外さないまま、答える。
肯定に迷いはなかった。
「……やりすぎだ」
小さく漏れた声。
どこか諦めたようで、白旗を上げるようでもあった。
セラフィナの口角が勝ち誇ったように上がる。
「最高の仕上がりよ」
「……分かってる」
分かっているでしょう、と言外に含ませた笑みだった。
分かっているから、困っている。
目を離せない。なのに、見ているのが苦しい。
「星約なら」
レオニスが静かに口を開く。
「来年は、あの場所に立てるな」
中央。
あの位置。
リネアの、隣。
クロウは答えない。
「立つか?」
軽い調子の問い。
けれど、その奥には試すような真剣さがあった。
クロウは、ようやく視線を外す。
――星約だから?
胸の奥でくすぶるこの熱は、星約の責務か。
違う。
そんな理屈で説明できるほど、整ったものじゃない。
もっと単純で、
もっと幼稚で、
もっと個人的なものだ。
他の男の手に、あの背を預けるのが、
――嫌だ。
目の前の光景が、どうしようもなく気に入らない。
理由を探そうとして、探すまでもないことに気づく。
答えはもう、随分前から出ている。
ただ、言葉にしていなかっただけだ。
◇
二曲目が終わる。
拍手が広がり、再び人の流れがまた変わっていく。
レオニスがクロウを見て、満足そうに笑った。
「少しは、まともな顔になったな」
「遅いのよ」
セラフィナが口を尖らせる。
その通りだ。
クロウは苦笑する。
言い返せない代わりに、肩の力が少し抜けていた。
さっきよりも、呼吸がずっと楽だ。
「俺たちも行くか」
レオニスが手を差し出すと、セラフィナは楽しそうにそれを取った。
「今度はちゃんと踊るわよ」
二人は人の流れに紛れて中央へ向かう。
残されたクロウは、もう一度リネアを探した。
さっきとは違う。ただ目で追うだけじゃない。
自分の中に生まれたものを、はっきりと自覚したまま。
――あの場所を、譲りたくない。
誤魔化す理由は、もうない。
やがて視界の中で、水色のドレスが再び旋律に乗って回る。
クロウは、その軌跡から目を逸らさなかった。




