62 プロムナード 1
寮の扉の向こう、玄関前はすでに小さな社交の場になっていた。
正装の男子生徒たちが、それぞれのパートナーを迎えに来ている。
革靴の音、控えめな笑い声、どこか緊張した空気。
リネアは外套を羽織り、最後にもう一度だけ鏡を見る。
淡い水色のドレス。
胸元から首元にかけては、透ける生地に繊細な銀糸の刺繍が走る。
シルエットがシンプルなスカートには裾にいくほど刺繍が広がって煌めいていた。
髪はゆるくまとめられ、後れ毛が頬の横でイヤリングと一緒に揺れる。
薄い栗色が、灯りを受けて淡く溶ける。
化粧は控えめだが、精巧に整えられてまつ毛が肌に影を落とした。
唇には、ほのかな血色。
鏡の中の自分に、まだ少し慣れない。
扉を開くと、リネアは他の女子生徒たちと一緒に外へ出る。
セイルとは、すぐに目が合った。
濃い茶色の髪はいつもより整えられ、前髪が軽く上げられている。
浅い若葉色の瞳が、今夜はやけに澄んで見えた。
細身の体に仕立ての良い濃灰の正装。
袖口のカフスボタンとポケットから覗くハンカチは、淡い水色。
リネアの瞳と同じ色。
一瞬、どちらも言葉が出ない。
「……」
セイルが先に口を開きかけて、閉じる。
ほんのわずかに、視線が泳ぐ。
リネアも、視線を上げたまま固まる。
いつもより背がさらに高く見える。
髪を上げたせいか、額のラインがはっきりして大人びて見えた。
「……セイル」
「リネア」
同時だった。どちらも小さく笑う。
セイルが、深呼吸のように一度息を整える。
「すごく、綺麗だ」
迷いがなく、褒める。
「想像してたより、ずっと」
視線をしっかりと合わせて。
少し照れながら、真っ直ぐに言う。
リネアの頬が、すぐに熱を帯びる。
「ありがとう」
鼓動が早い。
いつも兄妹のように顔を合わせてきた相手からこんな風に言われるのは、なんだか気恥ずかしい。
「セイルも、」
口を開いて、少しだけ躊躇う。
「今日は……格好いい」
言い終えた瞬間、自分の声がやけに小さく聞こえる。
セイルが、ふっと肩の力を抜いて笑った。
「それは嬉しいな。セラフィナ嬢のアドバイスを聞いた甲斐があった」
手を差し出す。
「行こうか」
リネアは頷いてその手を取る。
指先が触れる。
手袋越しでも、体温が伝わる気がした。
◇
学院内のプロム会場までは、ほんの短い道のり。
灯りが並ぶ石畳。
正装の生徒たちが笑いながら行き交う。
「寒くない?」
「大丈夫」
会話は短くても、沈黙は気まずくない。
隣に並ぶ歩幅が自然に揃う。
会場のエントランスはすぐに見えてきた。
入り口に入ってすぐの所で、係の同級生が外套を預かっている。
扉の奥からは音楽が、微かに漏れていた。
セイルが先に外套を脱ぐ。
次に、リネア。
肩から布が落ちとると、――背中が、露わになった。
肩甲骨のあたりまで大きく開いたデザイン。
滑らかな背の線。
露出した華奢な肩。
うなじが白く、細い。
淡い水色が柔らかく光を拾い、しっとりとした肌の艶を際立たせている。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
周囲の空気が止まって、わずかに視線が、集まる。
リネアは気づいていない。
ただ、前を向いて少し背筋を伸ばしただけ。
「……」
セイルが、固まる。
目を見開き、そして無意識に口元へ手を当てた。
狼狽。
ほんのわずかなそれ。
(……これは)
想像していなかった。
小さな頃から知っている女の子が、こんな風に――。
喉が、乾く。
視線を外してから、セイルはもう一度リネアを見る。
やっぱり綺麗だ。綺麗すぎる。
従兄の欲目かもしれない。
そう思い込もうとしても、周囲の男子生徒の視線に気づいて、胸の中に小さな独占欲が生まれる。
(あまり、見せたくないな)
自分の考えに少し驚く。
それでも、すぐに整える。
そっと、リネアの手を取り直した。
「……行こうか」
◇
上級生たちが集まったあと、ホールへの扉が開く。
――光と、音楽。
高い天井に吊るされたシャンデリアが煌めき、壁には学院の紋章。
花々が飾られ、床は磨き上げられた大理石。
色とりどりのドレス。
正装の紳士たち。
笑い声。
華やかな空気が一気に押し寄せる。
プロムだ。
セイルは背筋を伸ばす。エスコートの所作は完璧。
リネアも、セラフィナから教わった通りに歩く。
一歩ずつ、丁寧に。
思っていたよりも、自分たちに視線が集まっているような気がして、リネアはわずかに緊張する。
でも逃げない。
堂々と、隣に立つ。
水色と濃灰。
若葉色と水色の視線が交差する。
今夜、二人は確かに、“似合いの一組”だった。
静かな音楽を背景に、長い夜が始まった。




