58 特訓
三学期の座学の試験結果が張り出された。
白い紙に並ぶ名前と数字。名前と数字を追う視線は、どれも真剣だ。
「また一位か」
「レオニス強すぎだろ」
ざわめきの中心にあるのは、やはり最上段の名前だった。
レオニス・ヴァレンティ。
リネアは少し離れた位置から、自分の順位を探す。
(……十五位)
前回と同じ。
最近の忙しさを思えば、落ちていないだけで十分だ。
専門史は相変わらず高得点。理論系も悪くない。
小さく息を吐き、視線を上へ滑らせる。
セラフィナ・ロゼ、四位。
「……!」
一瞬、信じられないという顔をしてから、ぱっと振り返る。
「セラフィナ、すごい!四位!」
前回より三つ上。
リネアは自分のことのように嬉しそうな顔をしている。
レオニスが肩越しに笑う。
「努力の成果だな」
「当然よ」
セラフィナは胸を張る。
その勢いのまま、視線が横へ流れた。
クロウ・ノクエル、五位。
一瞬だけ、セラフィナの目が細くなった。
「……あら?」
クロウは掲示を見たまま動かない。
「応用理論で落としたな」
レオニスが淡々と指摘する。
「……ああ」
短い返事。
それ以上の弁解はない。
リネアが横からのぞき込む。
「クロウ、調子悪かったの?今回ちょっと難しかったよね」
「いや……」
言葉が濁る。
セラフィナがひょいと割り込む。
「クロウには難しかった?私は普通だったけど?」
満面の笑みだった。
「……」
「もしかして最近、別のことで頭いっぱい?」
声は明るいのに、視線に含みがある。
クロウは表情を崩さない。
「……別に」
「へええ?」
わざと間を伸ばす。
「ふうん?」
じわじわと詰める。
レオニスが肩を震わせて、完全に面白がっていた。
リネアは首をかしげるだけだ。
「まあいいわ」
セラフィナは両手を腰に当てる。
「五位も立派よ?」
一拍置く。
「――今のクロウなら、ね」
ぴしりと刺す。
クロウの眉が、ほんのわずかに動いた。
「でもね」
一歩近づく。
「ぼんやりしてると、順位も、他も、置いていかれるよ?」
◇
――最近のリネアはとにかく忙しかった。
中間試験の勉強ももちろんだが、正直なところ、それ以上に体力を削られていたのは別の件だった。
「プロムは、セイルと出ることになった」
数週間前、セイルの申し込みを受けてからそう報告したとき。
一瞬、皆は動きをピタリと止めた。
「そうか。楽しめるといいな」
レオニスは短く頷き、セラフィナはゆっくりとクロウを見る。
いつもより、鋭い視線。
クロウは表情を変えない。
「よし」
セラフィナの目が本気になった。
「最高のプロムにするわよ」
「え?」
「従兄だろうが何だろうが関係ないわ。夜会は戦場よ」
その声音には、ヴァレンティ侯爵家で教養を叩き込まれた令嬢の覚悟があった。
セラフィナの厳しい特訓は翌日から突然始まった。
「まず姿勢」
リネアの背中に軽く指を当てる。
「ここ、落ちてる。胸を張るんじゃない、肋骨を上げるの」
「え、肋骨?」
「そう。肩で張ると下品になるわ」
「こう……?」
「違う。肩で持ち上げない。肩甲骨は落として、首を長く見せる」
細かく、理論的。
「顎は引きすぎない。自信がない子に見えるわ。
目線は真正面。逃げないけど、睨まない」
歩き方。
「一歩は小さく、でも迷わない。
迷いはそのまま足取りに出るから」
座り方。
「椅子に体重を預けない。
背もたれは飾り。自分の体幹で支える」
食事。
「甘いものは夜は控える。
塩分は浮腫む。水はこまめに」
美容。
「髪は毎日梳かす回数を決める。
指先まで意識。爪もこまめに磨いて」
徹底している。
リネアはセラフィナの勢いに飲まれながら、素直に全部やった。
真面目に、黙々と。
それがまた、セラフィナの闘志に火をつけて勢いよく燃やす。
「いい感じに仕上がってきた!」
姿見の前に立たせる。
数週間で、確かに変わった気がする。
姿勢が整い、歩き方が軽くなり、
髪に艶が増し、肌が明るくなる。
「……なんか、違う」
戸惑うリネアに、セラフィナはうんうんと頷く。
「違うのよ」
努力は、裏切らない。
◇
そして肝心な問題も残っていた。
「ダンスは苦手で……」
音楽に合わせて足を動かそうとすると、どうしてもぎこちない。
回転のタイミングが合わない。
踏み替えが遅れる。
夜会経験の少ないリネアには、どうしても難しかった。
(そういえば……)
ふと、思い出す。
『練習するなら、付き合う』
クロウの声。
真面目で、正確。教えるのもきっと上手いはずだ。
「セラフィナ」
「なに?」
「ダンスなんだけど、クロウに――」
言い終わる前に、手首を掴まれた。
「だめ」
「え?」
「絶対だめ」
目が据わっている。
「なんで?」
「なんででも」
ぐい、と引かれる。
「私が教えるわ」
「でも、クロウの方が身ちょ――」
「私が教えるわ」
有無を言わせない。
「クロウとなんて練習させない」
静かな迫力。
そのまま半ば連行される。
廊下に取り残されたクロウは、唖然と二人の背中を見送った。
「……」
横でレオニスが吹き出した。
「……笑うな」
「いや、今のは笑うだろ」
遠ざかる二人の背中。
「クロウ」
「なんだ」
「完全に出遅れてるぞ」
プロムも、順位も、距離も。
全部が少しずつ、動いている。
それでもまだ、クロウは返す言葉を持てないまま。




