56 足踏み
――上級生は、女子生徒の数がやや少ない。
この事実が、三学期に入ってから始まったプロム戦線の状況を、さらに変えていた。
中間試験を目前にしても、学院の風景の端では小声のやり取りが絶えない。
徐々に決まっていくパートナー。
焦り。牽制。探り合い。
その空気は一年生にも波及する。
◇
リネアがセラフィナたちと、いつものように並んで移動していた昼休み。
角を曲がったところで、声がかかる。
「フォレスト嬢」
振り返ると、見覚えのある青年が立っていた。
ヴィル・ハートウェルだ。
領地が近い男爵家の次男。
社交の場で何度か挨拶を交わした程度の間柄だった。
「こんにちは」
「す、少しだけ、いいかな」
緊張感のある声。
視線が泳いでいる。
リネアが足を止めると、後ろの三人も自然に距離を取った。
聞こえない位置ではない。
聞くつもりもないが、離れすぎない距離。
「……もう、プロムのパートナーは決まってる?」
単刀直入。
リネアは一瞬だけ息を止めた。
セイルの顔が浮かぶ。
けれど、正式な申し込みも返事もまだだ。
「まだ、はっきりとは」
そう答えると、ヴィルはほっとしたあとに、困ったように笑った。
「実は……伝手がなくて」
言い淀む。
「正直に言うと、誰でもいいわけじゃないけど……その、僕はあまり社交が得意じゃなくて」
告白、という空気ではない。
本当にただ、切実に助けを求められている。
「も、もしまだ決まっていないなら、考えてもらえないかな」
「えっと……」
視線は真剣だ。
必死さが滲んでいる。
「……どうするんだ」
少し離れた場所で。レオニスが小声で呟く。
セラフィナは両手を口元に当てている。
クロウも少し驚いた顔でリネアを見ていた。
その横を、ひとつの影が静かに通り過ぎた。
「ヴィル」
穏やかな声。
顔を上げたヴィルの表情が、わずかに固まる。
「セイル」
いつも通りの微笑を浮かべたまま、セイルはリネアの隣に立った。
「困ってるみたいだね」
柔らかい。
強くもなく、弱くもない声音。
けれど毅然と言う。
「ごめんね。リネアは駄目だよ」
ヴィルは一瞬だけ沈黙し、そして項垂れた。
「……やっぱり」
視線が二人を何度か行き来きして、やがて大きなため息を吐いた。
「そうだよな」
それ以上は何も言わない。
「ごめん。無理言った」
「こちらこそ、ごめんなさい」
軽く頭を下げて、肩を落としながらヴィルは去っていった。
その様子を見送りながら、セイルが静かに言う。
「勝手に口を出してごめん。困ってるように見えたから」
リネアは首を振った。
「大丈夫、助かった」
それは本心だ。
セイルは一瞬だけ安堵したように笑う。
「プロムの件、夕方に話せる?」
「……うん」
「じゃあ、また」
それだけ言って去っていく。
颯爽と、というよりはごく自然に。
けれど確実に場を収めて。
◇
「……え、待って」
セラフィナがリネアに飛びつく。
「リネア、セイルと出るの!?」
「まだ決まってないよ」
リネアは慌てて否定する。
「そういう話は、あるけど……」
「あるんだ!」
「正式には、まだ」
レオニスが腕を組んで、クロウをちら りと見る。
「なるほどな」
クロウは何も言わない。
ただ、先ほどの光景が頭から離れなかった。
“リネアは駄目だよ”。
あまりにも当たり前のように言った。
まるで、もう決まっているかのように。
「……」
苛立ちが湧く。
自分は、何をしていた。
距離を測って、考えて、言葉を選んで。
その間に、誰かが一歩前に出ている。
昼休みのざわめきが、やけに遠い。
◇
放課後になり、リネアが教室を出ていったあと。
喧騒は少しずつ引いて、教室には数人が残るだけになっていた。
セラフィナは窓の外を見ながら、ぽつりと呟く。
「……リネア、セイルと出るのかな」
レオニスが椅子の背にもたれたまま、視線だけをクロウへ向ける。
「いいのか?」
クロウは視線を落としたまま答える。
「従兄だ。おかしくはない」
理屈は正しい。
「本気で言ってるの……?」
声は小さい。
怒鳴っていない。
けれど、セラフィナの目は笑っていない。
「……領地の社交でも、
よく一緒だったと言っていた」
だから、"普通のこと"のはずだ。
「何それ?」
ぴたりと空気が止まる。
「それでいいって、本当に思ってる?」
クロウは答えられない。
気押されて、言葉が喉で止まる。
セラフィナは一歩近づく。
声は抑えたまま。
「そんなので、リネアの星約でいられると思ってる?」
レオニスが「あー……」と天井を仰ぐ。
「黙ってるだけで、何も言わないなら」
セラフィナの目が据わる。
「そのままそこで、立っていればいいわ」
声がいつになく低い。
「私がリネアを、プロムで史上最高に可愛く仕立てて」
空気が凍る。
「セイルの隣に並べるから」
静かに言い捨てる。
ふんっと鼻を鳴らすと、くるりと踵を返して教室を出ていく。
「クロウは指をくわえて見てなさい」
扉が閉まる音は、思ったより小さい。
あとは静寂だけが残った。
「怒らせたな」
レオニスが苦笑する。
クロウは途方に暮れていた。
「……なら、どうすればよかった」
本気で分からない、という顔だ。
「知らん」
「……」
「だが少なくとも、“何もしない”は選択肢に入らない」
クロウは言い返せない。
距離は、勝手には縮まらない。
誰かが踏み出さないと。
そして今、自分は立ち止まっている。




